By the way, Friedrich Nietzsche would exactly have had a disease which is called schizophrenia. Whatever the approach he took at that time, he was treated as a victim in the zeitgeist for promoting capitalism. There was (a rule of) capitalism (which must be endorsed). ... In some cases, this "capitalism" is replaced by "war." There, war is an all-or-nothing affair, endorsed or rejected. People execute "concrete" wars based on capitalism which is called so now. There is also the idea with which capital embodies goods and services. If you see North Korea, you can do what selling war services ((in the form) of weapons) (to Hamas) is.
There are also those who sell (embodied) war services. These are people who participate in survival games and game designers. This may include (in some cases) people who play music such as rock and metal and people who sell alcoholic beverages, for example. We should consider it, as it is the war service, which is embodied, or the war service is embodied. There are certainly economists who say that war is the most lucrative industry, but there is a difference between interpreting war as the most lucrative industry and interpreting war as a "war business."
Wars that are generally carried on fall under the former, and it was the Nazis who did the latter as a form of war. Israeli Prime Minister Benjamin Netanyahu has called Hamas "a new Nazis," but absolutely the Nazis and Hamas were not waging war for fun. Particularly we Japanese can understand that such people are serious anarchists. In the Nazis, it was embodied in the form of nihilism and concreteized in the form of concentration camps. In principle, it would be the same as the "collectivization" that Joseph Stalin did to the people. The war service embodied in the form (of weapons) is based on hatred, and ironically, in the (embodied form of) war service, there is a philanthropic attitude to the people.
Philanthropic hatred is (paradoxically) the thing that helps people at first step. As there are people who rely on their hatred, it is seen as a trap. It is a world of egoism of the red. It could be the art of self-gratification or the promotion of a self-made social character. Without "it," there would be no racism.
…それを考えると、フリードリヒ・ニーチェは確実にスキゾフレニアであっただろう。あの当時、それがどういったアプローチであれ、資本主義を推し進める上で、彼は時代流的にそう扱われた。そこには、資本主義という(それを是認せねばならない)ルールが在ったのである。…場合により、この「資本主義」が「戦争」に置き換わる事がある。そこでは、戦争は是認されるか否決されるかのオールオアナッシングのものである。人々は、現代ではそう呼ばれているところの資本主義に基づいて「具体的」戦争を起こす。資本が財やサービスを具現化させるという考え方もある。北朝鮮を(で)鑑みれば分かるであろう、彼らは(武器という(形で具現化された))戦争サービスを(ハマスに)販売している。
戦争サービスという(形で具現化された)ものを販売する人々も居る。サバイバルゲームに参画する人々やゲームデザイナーといった人々である。ロックやメタルといったジャンルの音楽を演奏する人々も(場合により)これに含まれるかもしれない。他には例えば酒類を販売する業者の人々等々。ここで考慮されるべきは、具現化されたのが戦争サービスなのか戦争サービスが具現化された(ものな)のか、ということである。戦争を最も儲かる産業であると言う経済学者は確かに居るが、「戦争は最も儲かる産業である」とする解釈と戦争を「戦争ビジネス」であるとする解釈では全く違う。
一般的に行われる戦争は前者に該当するが、後者を戦争という形で為したのがナチスである。イスラエルのネタニヤフ首相はハマス(による暴挙)を「新しい(形の)ナチスだ」とおっしゃっているが、勿論、ナチスやハマスは戦争を遊びで行っていた訳ではない。特に我々日本人にはよく理解出来るが、そういった人々は本気で無政府主義なのである。ナチスにおいては、それが虚無主義という形で具現化されそして強制収容所という形での具象化が為された。それはスターリンが人民に対して行った「集団化」と原理的には同じであろう。(武器という)形で具現化された戦争サービスは憎悪に基づくということであり、皮肉にも戦争サービスという(形で具現化された)ものにおいては人民に対する博愛主義的な所があらわれている。
博愛主義的な憎悪というのは、(逆説的に)人々を第一手目で助けるものだろう。それを罠であるとして忌み嫌う人々も居る。それは、赤いエゴイズムの世界である。それは、自己満足の術であったり、自ら取り決めた社会的キャラクターの増進であったりするだろう。「それ」が無ければ、人種差別は起こらない。
(2023/10/18 10:21)
(2023/10/18 15:15)
(2023/10/19 3:04)
「国連総会、ガザ「人道休戦」決議 賛成121カ国、米は反対」というニュース報道に際して(西暦2023年10月28日記載)
戦争にルールがあるなどというそんなバカげた話があるか。ルールが無い、何でもありの無法状態だから、人はそれを戦争と呼ぶのである。戦争とはゲームではない。ルールがどうこうというのであれば、最初から「戦争を絶対に行ってはいけない」というルールを制定すれば良いであろう。先に戦争をけしかけた者は、問答無用で処罰されるという。それが無視された場合、一気に世界大戦である。そうすれば今回のイスラエルにおける戦争も起こらなかったであろう。
(2023/10/18 6:47)
「「英語で何をしたいか」によって学び方は変わる…シンプルかつ最強の学習理論「転移適切性処理説」をご存じか」というニュース報道に際して(西暦2023年10月26日記載)
About actions, words, and forms of recognition as representations people are allowed to pass time in peculiar ways to avoid "it" being destroyed. Otherwise, reason will be maintained without understanding what the done is. Some people express "it" in terms of the destructive impulse associated with humans, the sexual desire of males and females, or the will to exist, but I assign it to the preservation of biological self-identity (meditatively). Losing it might be medically referred to as schizophrenia, but a little more biological perspective is engaged to what the told is now. People who seek this in sociological self-identity rather than biological self-identity are to be in socialist countries, especially in modern China, which advocates modernized socialism. There is probably no universal standard for this. For example, there is an opinion that many excellent papers have been produced by China in recent years, but this means that "China is so," and it can not be applied to people all over the world. The distinguishment between monkeys and humans based on biological self-identity is based on sociological self-identity. The only way to be out of the dead end of no destruction for the state of being destroyed is to destroy the sociological self-identity. However, in the case of me, Shinpei Sugiura, for instance, "it" went backward with repealing itself. "It" is my sociological self-identity. Because I live in a world of memory, the world is broken.
(行動や言動やその他表象としての認識形態など、様々なものに至って、人々は「それ」が破壊されぬ様に時刻を経過させる。そうでなければ、自分が何を行っているか理解しないまま理性が保たれることになる。「それ」をヒトにまつわる破壊衝動や男女の性欲に求めたり存在意思などという表現であらわす人も居るが、私はそれを(メディテーションめいた)生物学的な自己同一性の保持に求める。それを失うことは、医学的には統合失調などと言われるかもしれないが、ここで私が述べているのはもう少し生物学的な見地によるものである。これを生物学的な自己同一性ではなく社会学的な自己同一性に求めているのが、特に現代化された社会主義を標榜する現代の中国の様な、社会主義国家圏の人々である。これに人類普遍の基準はおそらく無い。例えば、近年優れた論文が数多く輩出されるのは多くは中国からであるという意見があるが、これは「中国は」「そう」であるということであって、人類一般において適応され得るものではないだろう。生物学的な自己同一性に基づいてサルとヒトとの区別が付けられるのは、社会学的な自己同一性によるということである。破壊されている状態を破壊しない様に膠着している状態から脱け出すには、社会学的な自己同一性を破壊するしかない。しかし、例えば私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の場合、止揚された「それ」と共に逆行してしまった。「それ」が私の社会学的な自己同一性なのである。記憶の世界で生きているが故に、世界は分裂している。)
(2023/10/16 19:39)
…と思ったら、イスラエルはどうやらガザ南部地域まで攻め込む様子。南部地域における妥協停戦案をネタニヤフ氏が拒否した、とのニュース報道あり。もはや紛争全般の根本的解決の為強硬手段に出ている様相。
(2023/10/16 19:01)
エジプト検問所再開でガザ南部停戦合意、とのニュース報道あり。
もちろん、アッバス議長もそうおっしゃっている通り、パレスチナとハマスはイコールではない。これで、イスラエル軍の目的は人質奪還とハマス殲滅に絞られたわけで、UNは少なくともその点においてイスラエルを非難出来ないだろう。ガザ北部地域を占領する事は、今回のイスラエルにおける目的の第一義ではない。
(2023/10/16 18:50)
ドイツのショルツ首相が17日にもイスラエルを訪問、とのニュース報道あり。
(2023/10/16 18:41)
イランの外相が、このままイスラエルによるガザへの攻撃が続けば、事態に介入せざるを得ないと、警告を発した、とのニュース報道あり。
(しかし)、UNのそれと同じくこれがイスラエルの行動に影響を及ぼすことは無く、右派のネタニヤフ首相はそのままガザ攻略の計画に従って事を進めるだろう。
(2023/10/16 17:59)
映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」を映画館に見に行きたいが…レオナルド・ディカプリオ氏はあの独特の顔が格好良いので、彼には年を取っていても髭を剃っていて欲しいと、私は個人的に思う。
(2023/10/16 13:34)
ヒズボラがイスラエル領内に侵入し大規模な地上戦を行うことは無い。ブリンケン米国務長官によると、アラブ諸国も中東における情勢の不安定化は望んでいないとのこと。
(2023/10/16 13:29)
バイデン米大統領をイスラエルのネタニヤフ首相がイスラエルへと招待、とのニュース報道あり。
(2023/10/16 13:21)
イスラム系武装組織ハマスが今回行った事はやはりテロ以外の何物でもない。火付け役連中は必ず居るのであり、おそらくアドルフ・ヒトラーがそれをやられた様に、特定の人物に「それ」を擦り付けようとしても無駄である。フランスのマクロン大統領がおっしゃっている様に、「民主主義にテロの居場所は無い」。アメリカにおける一部の人々のガザの難民を受け入れまいとする措置を講じようとする態度は、決して形式的なものに批准するものではないだろう。
(2023/10/16 6:25)
ブリンケン米国務長官が16日に再びイスラエル訪問へとのニュース報道あり。「今回の中東歴訪ではヨルダンとバーレーン、カタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)を訪問した。」とのこと。
(2023/10/16 1:52)
ここで云う母親像とは、私の実母のことではない。彼女は黄色人種の典型の様な顔をしている。私の実父はスラヴ系の白人風の顔をしているが、私はアメリカの人に「お前はブラウンだ」と言われたことがある。…私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が白人女性の中に見る母親像は、ある種の愛おしい憧憬を引き連れて来る。白人女性は何故か暖かい心象を私にもたらすのである。彼女らの姿、場合により裸体を見せられても、私はあまり情欲を掻き立てられない。実母は料理が下手で、「おふくろの味」などといったものは馬鹿げていると考えていたが、彼女らはきっと美味い食事を給仕してくれるだろうと思う。ともかく、そういったものを求めて、私はかつて東ヨーロッパを一人で旅した。…そういったもの?「それら」は何処から来るのか?「それら」について、私はどうやら父親像を見ているようである。そう、基本的に私は他者とは食い殺し合いである。その意味では、その側面においてのみ、私は他者とは上手くやっていける。それは他者を食い物にする世界であり、無情である。只、私はそれを暖かく感じる。その世界では、死が前提になっている。そこでは、内部性の外部化の機能が働き、crash to createの繰り返しが現象している。歴史学者のE・H・カーは、「歴史は科学だ!」という様な内容のことを言っているが、ダイナミックな歴史のうねりの中で、「それ」は生き物の様に存在している。…私はどうやら(美しい)女性達に(美しく)男性的であって欲しいと願っている様である。美は「それ」を掴み取るものではなく、「それ」を排して得られるものだろう。
(2023/10/15 20:12)
ヤクザが絶滅危惧種でどうこうとか言っている連中が居るが、あの人たちがどれだけ狡猾か、という問題である。彼らが、少なくともマスコミと敵対するという形で、連中に本当の事など言うか。バカが。
例のビッグモーター社の件で鑑みれば分かる通り、公式の暴力団員でなくてもヤクザの様な連中など日本人にはゴマンと居る。というか、そこらじゅうそれだらけである。
当該の人物が教育されたそれ以上に、特に遺伝情報だけにここでかかずり合うわけではなく、元来的なものを無視してということで、ヒトを「それ以上に」良くする事は出来ない。こんな事は少し哲学的に頭をひねって考えれば分かる事のはずだが、マスメディアの提示する情報によってのみ踊らされるのではなく、少し物事を考えることを習慣化すると良いだろう。
(2023/10/15 18:30)
イスラエルのガザ地区への進攻が国際法に触れるというのであれば、では彼らはハマスに捕らえられている西側の人質達をどう助ければいいというのか?仮にロシアや中国が(後者に関してはアメリカの要請通り)仲介を行ったとして、ハマスはすんなりと人質達をイスラエルへと返すのか?どちらにしろ、戦場では一般的に女性は即レイプされ、人質達はおおむね被害に遭った後である。さらわれた被害者の女性が「奴ら(ハマスの構成員)は動物よ」と語っていたニュース映像もあったが、ヒトの本質などというものは、そういうものである。実際、「(その意味で)他者をレイプする心配の無い」女性達が平時の社会において何をやるか(で)鑑みてみれば分かり易いであろう。イスラム圏の男性は特にそれを理解しているのではないか?だから、私は以前、衣服で眼以外の部分を覆っているイスラム圏の女性は(結果論的に)賢いと言ったのである。一般的な女性達がナメているとかなんとかそういうことは私は言わない。只、女性達は身を守るということはどういうことかよく考えた方が良いだろう。教育がその根底からヒトの本質を覆すというのであれば、中進国もこぞって(その様な)教育に力を入れることだろう。しかし、それはおそらく適わない。
私は、nature or matureではなくnature and matureを標榜しているが、どちらに重きを置くかと問われればそれは確実にmatureの方であると答える。だから私はセックスを嫌いなのである。異性と事に及んだが最後、自分の信条を全て否定することになる様に考えられてならない。私はありのままの自分を曝け出すこと自体に特に躊躇は無い。しかし、その具体的行為が私Shinpei Sugiura(杉浦真平)個人の自己同一性を破壊するようにしか考えられない。ここで言う具体的行為とは勿論目的概化された信条の(における)それである。只、これは、認識の形態の問題であり、先述の通り、「そう思い込んでいる」時点で、自己の認識形態も「それ」に該当することになるだろう。「人は考える葦である」と言ったのはパスカルである。
(2023/10/15 14:49)
IMFが「最近の日本の円安はファンダメンタルズ(の弱さ?)に依存している」という見解を発表している、とのニュース報道あり。
日本銀行の植田和男総裁は、インフレが続いているにもかかわらず利上げを行わないことについて、「緩和策を止めた場合の着陸の具合が問題」といった様なことをおっしゃっていた。やはり、ファンダメンタルズ云々ということでは、特に(我々日本人の)文化人類学的側面についても考えなければならないだろう。新古典派のと言って妥当であるのかどうかは分からないが、古典的な経済学はこれを極端に捨象する。
(2023/10/15 12:50)
一般的に物理的な兵器が使用される戦場において、「戦略」家と「戦術」家が同じであることは稀だろう。ところで、ロシアのプーチン氏は一般的に戦略家ではなく戦術家であると云われているらしいが、「自分はKGBのスパイ時代に敵に勝つ為には敵より先にその敵を攻撃しなければならないということを学んだ」という内容のことを同氏がおっしゃっている通り、戦略家でないなどということはあまり考えられない。
(2023/10/15 12:39)
It is reportedly said that Senetor Mr.Graham said that it takes nuclear bomb to deal with Tokyo.
Accidentally I laughed at it. Surely I admire the positive way.
(リンゼイ・グラハム米上院議員が、"It takes nuclear bomb to deal with Tokyo."とおっしゃったとのニュース報道あり。
思わず笑ってしまった(笑)。もちろん肯定的な意味で。)
(流れている曲は、「主よ人の望みよ喜びよ」。)
(2023/10/15 10:55)
今回のイスラム武装組織ハマスによるイスラエル攻撃において、各国のインテリジェンスの失態などと報じている日本のマスコミ連中が居る様だが、そんなものは各国押さえているに決まっていよう。ケンカを売らせて叩き潰すなどといったやり方は、歴史上枚挙に暇が無い。事実というものの事実性からして、どう「事実」を捏造するかという問題である。(しかも)、その場合、「事実」でしかない。何を言っているかお分かりだろうか?「ここで六百万人のユダヤ人が殺された!」から人々が何を学ぶか、ということである。それが(各国の)インテリジェンスによって捏造されたものであろうと、そのことは「事実」として認められない。だから「捏造」なのである。それが明るみに出た場合(それがenlightenmentによって)、「事実」としてパラダイムを形成し、そこから人々は何かを学ぶことになるだろう。カール・ポパーという人物が科学の科学性は反証可能性にあると言っているが、同パラダイムシフトにおいて特定のバイアスの掛かった「それ」を人々は目の当たりにすることになるだろう。
(2023/10/15 0:54)
Exactly we, Japanese, tend to assume that the victim of a murder is one of goodness and unscrupulous at least and do that the perpetrator of the murder is a vice. Children are speculated to receive such an education in the name of public education in public elementary and junior high schools in their childhood. Thus, there is a kind of obsession with human death which has to be considered unjustifiably abhorrent. Formally, humans are not able to escape from the obsession until they have an experience that lets them think that it is better to die. It is not the antithesis of life, nor the one of death. In fact, it was a subscript by the Aryan people for the Yamato people to make motives to turn them into slaves, as it was the work of Eros to try to live like a living corpse by crawling on the ground. However, when we are "assuming so," the form of self-perception also depends on "it." I am not discussing the difference between deism and pantheism now. It is about what the subjectivity is.
(特に我々日本人は、殺人事件に関して、無根拠に殺害された被害者は善良少なくとも悪徳ではなく殺害した加害者は悪徳の徒であると思い込む傾向が強い。特には幼少期に公立小中学校において公教育の名の下その様な教育を受けるからである。それにおいては、ヒトの死に対して無根拠にそれを忌むべきものであると考えなければならないという一種の強迫観念めいたものが存しているということがある。ヒトは、基本的に、死んだ方がマシであると思えるような経験を得るまでは、その強迫観念めいたものから逃れられない様である。
その事は、生へのアンチテーゼでもなければ、勿論、死へのアンチテーゼでもない。
生ける屍の様に為りながらそれでも這いつくばって生きようとすることがエロスの為せる業であるというのは、大和民族を奴隷に仕立て上げようとするアーリア民族による動機後付けであったかもしれない。しかし、「そう思い込んでいる」時点で、自己の認識形態も「それ」に該当することになるだろう。私はここで理神論と汎神論の違いについて論じているのではない。主体性とは何かということについて云っているのである。)
(2023/10/14 15:43)
国連安全保障理事会でロシアとブラジルがイスラエルとハマスとの戦争に関して即時停戦を求める決議案を提示した、とのニュース報道あり。
(2023/10/14 15:39)
パレスチナにおける紛争にあたって、ロシアやエジプトの申請している仲介案その他は理解出来るにしろ、UN(国連安保理)の即時戦闘停止だのイスラエルの人道に対する罪云々だのは何か。イスラエルのガザの一般市民に対する避難要請の対応は、ハマスによるイスラエルの一般市民を拉致したり殺害したりの惨劇に比べれば、まだしも人道的である。グテレス氏は、イスラエルの一般市民に対して、「お前らは黙ってやられていろ。そうすれば上手くいく。」とでも云っているのであろうか。そんなものはイスラエルの特に指導部は怒り狂うに決まっているだろう。パレスチナ側がUNに対応を求めているのは、そういったことを分かり切っているからに決まっている。全体の流れにおける役割として「UNはこういう立場」というのであればまだ理解し得るが、あろうことか曲がりなりにもUnited Nationsである。そういったことは元来的にはロシアや中国の役割かもしれない。しかし、プーチン氏に逮捕状まで出されている事ここに至っては、UNはその様には彼らを認めるわけにはいかないだろう。彼らの言う「戦争にもルールがある」の「ルール」とは何か。戦争などというものは、勝てば官軍の世界である。そうである、だからUNは「勝とう」としているのであろう。
(2023/10/14 12:46)
ヒトのオスが社会的に男性である理由とはその(ヒトのメスに対する)慢心にあるのではないか?安易に男性的や女性的という表現を用いて妥当であるかどうかは分からないが、男性的なヒトのメスと女性的なヒトのオスを比較してみればジェンダーイクォリティに対するアンチテーゼとして「その比較自体が」認識されることになるだろう。これは生物学的な自己同一性における遺伝情報の(情報としての)当該性を裏付けるものである。
(2023/10/14 8:23)
UNのイスラエルに対するガザ地区への攻撃停止の為の非難は何か。イスラエルは、米国民その他の国の人々も含めて、自国民をハマスに捕らわれている。それを放っておけというのは、(イスラエルという)国家に対する侮辱ではないか?ネタニヤフ氏が「これは始まりに過ぎない」とおっしゃっている通り、怒り心頭のイスラエルは容赦無くガザを攻めるだろう。ブリンケン米国務長官が第三所でアッバス氏と会談したそうだが勿論パレスチナとハマスは元本的に別物であり、そしてそれでも彼らは同地区の民間人に対して24時間以内に退避しろと存命の余地を残している。
(2023/10/14 6:24)
オースティン米国防長官がイスラエルを訪問とのニュース報道あり。
言い方として難があるかもしれないが、「歴史上それぞれの民族はこう形成されてきた、ユダヤ民族はこうだ、だからアメリカはその一側面としてイスラエルをこうプロテクトする、その代わりにアメリカにこういう国家戦略を打ち出させろ」ということ、も、あるかもしれない。上記に先立ってブリンケン米国務長官は、「(イスラエルへは)イスラエルのバックには常にアメリカが居るというシンプルなメッセージを携えていく」という内容の事をおっしゃっていた。ドナルド・トランプ氏が切り開いた道を、「イスラエルの人々を差別するな」ということで、bipartisanで維持していくことが全世界レベルで表明されるべきだろう。UNは、戦闘行為自体を忌避することを第一義としグテレス氏が声明を発表し、またアメリカの民主党の中にはアンチセミティズムを旨としてそれが彼らのスタンダードである様なコンセンサスを作ろうとする者が居る様だが、少なくとも過去数百年の歴史において人類の発展に大きく寄与してきたのは誰か。その一部はユダヤ民族によって大きく占められている。
イスラエルの諜報機関は、情報収集能力に優れていることで有名だそうだが、これは情報の解析能力やそれを利用する能力とは別物かもしれない。勿論現代社会において各国の諜報機関が情報の解析能力その他において劣悪概であることは無いだろうが、そもそも各国諜報機関の組み方など見ていれば分かるだろう。かつて、オランダのジャーナリストであるカレル・ヴァン・ヴォルフレン氏が、「アメリカを幸福にし世界を不幸にする理不尽な仕組み」ということで、「日本のマスコミはいい加減日本人を騙すのを止めなさい」という内容のことをおっしゃっていたが、社会におけるマスメディアの恣意性は「その意味で」あまりにも当該的である。つまりマスメディアは良かれ悪しかれ所詮は「世論調査」であるということであり、結果としてヴォルフレン氏はマスメディアの存在そのものを否定してしまっているということであり、この手の人々は自己の主張の社会的存在意義に矛盾を孕ませている。つまびらやかな私的見解は、「ヤキがまわる」という言い回しにもあらわれている様に、自らの下へと返ってくるということである。
(2023/10/13 21:06)
スロヴァキアでウクライナ支援を拒否する構えの左派政党が他党と連立を組んで政権を発足させた。トップに就くのは、該当左派政権の党首の様だが、基本的に人々は自由意志(自由意思)を持てばその程度が深淵である程それを(さらに)深化させていく。それは伝染性を持つとすら言えるかもしれない。押さえ付けられれば押さえ付けられる程人々は自由の代替物を求めもしくはそれに参画し、過去それが(短期的に)戦争へと発展したこともあったが、現代社会においてはそうはならず、それを別のものへと昇華させる術を人々は知っている。
少なくとも、現代化された社会主義についてはここでは捨象するとして、旧態依然とした大文字での社会主義社会より民主主義を基調とする資本主義社会の方が強大な力を持つのは、故適った事である。例えば、アフリカの黒人社会においては人々の社会形成は(外部勢力によって)「テキスト化されて」おり、我々東アジア地域に自らを流布させている黄色人種の一部においては人々は自分達の社会を「テキスト化して」社会形成を担っている。一般に、西洋から登用へと行けば行く程、その意味での社会の分裂は為されており、東洋の極みこの日出づる国日本ではもはや分断された社会と社会とが背中合わせに(で)為っている。
(2023/10/13 15:29)
イスラエルが北部でイランから支援を受けるヒズボラと散発的に衝突しているそうだが、ここ(の地域)で大規模な戦闘へと突入すれば一挙に中東地域での大戦である。それはイスラエルもイランも少なくとも当面のところもしくは短期的には避けたいだろう。
ガザ地区はイスラエル軍が占領して終わりだろうが、中東を訪れているブリンケン米国務長官がハマスに捕らわれているアメリカ人を含む人質の救出に全力を尽くすとおっしゃっているからして、事態が難航することも予想される。むしろ、それで時間を稼いで、北部での戦闘を起こし一挙に自国の敵方を殲滅しようとするアメリカにおける一部強硬派の意図も覗える程である。むしろ、それは常套な経緯作戦かもしれない。
(2023/10/13 10:27)
女性は、自らのヒトのメスとして性欲が、社会学的な自己の立ち位置の保全ひいては生物学的な身の保身にとって邪魔であることを知っていた。平たく言えば、ふしだらな女であると思われることは女性にとって社会的に不都合であるどころか生命の危険に晒されるリスクを孕んでいるのである。だから、確かに肉を求められればそれは彼女らにとって生物学的には快感ではあるのだが、それにおける社会学的な不都合さを考えずにいられる程彼女らはヒトとして非理性的ではない。その際、流れる涙や抵抗の仕草もそれら故であるだろう。これは社会学的な自己同一性の為せる業である。もう一つ、教育によって、「それは自らにとって望ましくないことである」とヒトが学習してしまっている生物学的な自己同一性というものがある。その生物学的な自己同一性は、「自らが本心からそれを望んでいるのだ」と被教育者が(完全に)理解している限りにおいて、それの背反へとそれ自体を昇華させる。それはイコールで社会学的な自己同一性ではない。自己同一性というものにおいて社会学的なそれと生物学的なそれの境界が撤廃される時、ヒトのメスにおいてセックスとは前者であり、ヒトのオスにおいてセックスとは後者の背反であるだろう。その点、ヒトのメスにおいて性欲の存在は自然(的)なものであり、ヒトのオスにおいて性欲の存在は人工(的)のものである。ここで、セクシストの女というのは、そのまま垂れ流す。セクシストの男というのは、必死に捏造する。ヒトの個〃体における、性欲の強さとセクシストである度合いというのは勿論正の相関を示しているだろうが、ヒトのメスにおいてもヒトのオスにおいても、彼らは自体的に目的概化している。
つまるところ、男女関係において、「作る」のはヒトのメスであるべきであり、ヒトのオスが男だてらにヒトのメスに興味を持つというのは不純であるだろう。男一匹何をやっても食っていけるものであり、女に興味を持たれなかったらばそれはそれで済む話だろう。勿論、私は、女性(ヒトのメス)とその様な関係に陥った経験は無く、男性(ヒトのオス)とも女性(ヒトのメス)とも性的交渉を持ったことは無いものである。ちなみに、これは自己弁護ではない。
概して、「頭は良いが馬鹿」という人間が我々日本人の殆どを占めるが、「いい感じ」で、日本人の教育レベルが落ちてきた。アカデミズムにおける基礎研究もおざなり、基礎学力も低下、というかまあ上下の二極化だろうね。ここで云う上とか下とかいうのは、収入の高低の事では必ずしもない。ヒトとしての尊位とでも云うべきか。その意味では、左右の二極化といった方が妥当であるという点において分かり易いかもしれない。勿論、竜頭万里子さんの様な例外もいらっしゃるかもしれないが、左派は基本的に卑しい。「弱さ」の標榜の下、ひたすら人民を目的概化させ堕落させ総奴隷化させる。ナチスなどそれの典型であろう。ヨシフ・スターリンにおける様な価値観に賛同するとなると、私は「民衆などゴミだ」とまでは云わないが、彼らの置かれた状況はよく理解できるつもりである。
おそらく、少なくともこの日本国において、左派の人口はこれからずっと減っていくだろう。彼らにおいては「均質化」の機能が働いており、上記の通り、彼らは自体的に目的概化している。これ(で)は、繁殖の為だけに生きる生き物と同じである。それは、人として、あまりにも卑しい。「メシが美味い、オッホッホ」と言っていられる内は良いだろうが、その内自分の正体に気付く。彼らは自暴自棄になり、場合により犯罪に身を染める。
(2023/10/12 19:00)
イスラエルの国防相が「ハマスのテロリストを地球上から抹殺する」と囚われている人質の人命を(で)鑑みずに地上戦に踏み切る事を示唆する表明を行ったとのニュース報道あり。
平時と戦時の区別は付けられるべきとのこと。
シリアからイスラエルに向けて攻撃があったそうだが、イランが動けない以上、その軍事力からしてイスラエルが勝つことは目に見えていた。場合として(あまり)考えられないが、地域全体を巻き込んだ大戦となると、容易に核が飛ばされるだろう。
…明らかに行わない方が良い事というのはある。
(2023/10/12 12:52)
ブリンケン米国務長官が、ガザ地区からイスラエルの攻撃によって逃れてきた人々の為の人道回廊を設置するよう要請、とのニュース報道あり。
(2023/10/12 11:43)
沖縄の基地問題について。皮肉めいた言い方かもしれないが、玉城デニー沖縄県知事は、立場の人である。というのは、彼とて結果論的には何がどうなるか理解した上で、建前上というと言葉が悪いが、あの用に国に対して反発せねばならないというところのものの人であると思われる。
沖縄県民の人達に、基地問題を一面的に押し付けるのは間違っているのは私Shinpei Sugiura(杉浦真平)にも理解出来る。しかし、日本国における駐留するアメリカ軍の存在は、中国や北朝鮮のことを考えれば、もはや必須である。日本国の何処かに米軍基地が無ければならない。それに最も適しているのは、沖縄県なのである。
何の為に中国や特には北朝鮮がヴィランとして存在しているのか。ちなみに、北朝鮮はロシアとウクライナとの戦争において、ロシアに武器を輸出し、軍事特需だそうである。具体的な明確な事の詳細については私はもちろん知らないが。
(2023/10/12 6:58)
イスラエルが、ガザ地区に対する地上部隊投入以外選択肢は無い、との声明を発表。ハマスに囚われたイスラエル人の人質を救出する為には、もちろんやたらめったら拠点に対していたずらな大規模放火を浴びせる訳にはいかないだろう。ちなみに、アッバス議長のロシア訪問は事実上の退避そしてガザ地区の放棄かもしれないが、もはや情勢はそういったところまで来ている。ということは、イスラム教徒のハマスの構成員は人質殺害そして特攻という自暴自棄な暴挙に出る可能性がある。
別の武装勢力ヒズボラからの攻撃もあり、私は、アメリカ軍が直接に介入すれば良いと考えている。イランが黙っていないかもしれないが、もはやイスラエルに武器を供与している時点で同じ事であろう。おそらく、ハメネイ師の言行表明からして、イランは、アメリカがイランを直接に攻撃しなければ、間違っても戦闘に直接介入を行ったりはしないだろう。
社会主義圏の人々は、基本的に戦争は望んでいない。それが故に、(「その様に」)社会を立ち行かせようとすると、どうしても歪みが出る。それを人道危機だと云って、実質もちろん我々の常識からすると人道危機ではあるのだが、彼らからすればいたずらな介入であるところのそれが遂行されるのであるから、社会主義圏側では一挙に歪みが現出する。ハマスの構成員の人々が今回の件の初期において標榜していた「偉大なる戦いの日」というのには、そういった現象にまつわる意味合いも存するだろう。つまり、第二次大戦中の日本と同じく、三島由紀夫氏が作品中でそう語っていたが、そういった特には旧態依然とした大文字での社会主義的な社会においては一致団結という受け取り方によっては陳腐な標榜によって「内乱が戦争に転嫁され」逆説的に平和的に成るのである。しかしこの現象は、勿論、社会主義圏の人々からすると、戦争賛美者のそれであり、西側の我儘とも受け取られかねない。勿論、ウラジーミル・レーニンは、民主主義的な人のそれを標榜していということであり、彼についての一般的な論拠は廃されるべきであるところのヨシフ・スターリンも自らをその亜種に依拠したと云えどそれに倣った形である。そして、その意味で、確かに、習近平氏がおっしゃる様に、西側は「その様に」多国間主義ではない。しかし、どうしても西側諸国は自国の社会主義国家化を否定するだろう。特にアメリカにおいて(でもって)鑑みられる社会への競争原理の導入は、もちろんそれが自体的なものとなって(によって)、個々人のエゴイズムにまで浸透し、その点では我々日本人からしても、奇妙に、西側の雄を立ち行かせている。ウラジーミル・プーチン氏は、これに対して批判的である。彼の基本的なスタンスは、リスクに対して先手先攻である。意外だと思われるかもしれないが、アメリカの人々の基本的なスタンスは、リスクに対して受け身である。勿論、受け身であるからしてその分対リスク当該ということでは、危機回避能力が高いのはアメリカの方であろう、が、民主主義に見合わぬことばかりを行うプーチン氏の行動から鑑みても理解出来る通り、彼の行っていることにもナチスとの共通点は見出せる。つまり、現在のロシアは、少なからずとも自己破壊的になってしまっていることは否めない。しかし、ロシアというのは、少なくとも歴史上、そういった国家である。ロシアは、勿論他国家ありきでの自国家であることを知り尽くしており、彼らは少なくともその意味では「多国間主義」を標榜する中国と歩調を合わせる。
世界の、少なくとも地政学的な、二極化は進んでおり、人々の中には、その世界における横の分割を世界における縦の分割へと変換してしまおうとする者も居る。この事は、勿論、先記の「自己同一性というものにおいて生物学的なそれと社会学的なそれとの境界の撤廃の可能性」ということとも関係している。
(2023/10/12 2:43)
「政府の資金だけでは決して十分ではなく、MDBは民間資本の動員について具体的な目標を設定し、その達成に向けて職員にインセンティブを与えるべきだと訴えた。」とのジャネット・イエレン米財務長官の発言の内容。
私は、こういった事に関して、(ほぼ)無限に対象の母集団の構成員の行動を離散させて、常時それに応じたスコアを与えるシステムを構築すれば良いと考えている。コンピュータの類や人工知能が大いに役立つ局面だろう。もはや、睡眠時間も含めて、当該構成員は常時監視されれば良いのである。その局内で常時変動する評価体制下で仕事が為されれば、それ自体がインセンティヴとなるだろう。これは仮の論言だが、自らの行動をその様に律することが出来れば、自己同一性というものにおいて生物学的なそれと社会学的なそれの境界を撤廃することが出来るかもしれない。
(2023/10/11 23:43)
中国という国家は基本的に戦争は望んでいない。これは建前ではばく、中国は習近平氏の掲げる理念上、特にはアメリカと、戦争を行うわけにはいかないのである。「習思想」が国内で義務教育化されている通り、その「上からの」改革はあくまで理念的に統合されたものであり理知的である。
それを、一部の日本のマスコミが、やたらめったらと習体制の限界等々と報じる、が、これは勿論間違っている。連中は、社会主義国家というものがどういうものであるか全く理解していない。これは想像力がどうこうとかいった以前の問題である。連中は、自分達の身に染まっていることしか分からないのである。まさに発達障害患者群そのものであろう。事ここに至っては、もはや、社会学的見地からするところの発達障害と生物学的もしくは医学的見地からするところの発達障害と分類した方が良いであろう。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)はどちらにも該当しないが、特に前者は私の敵である。後者については、まず精神科の診察室へ赴き精神科医のきちんとした診断を受けてから全ての話が始まるといったところのものである。
(2023/10/11 23:19)
「イスラエル、挙国一致内閣を組閣-ハマスとの戦争遂行で」というbloomberg通信によるニュース報道あり。
(2023/10/11 23:15)
エニアグラム、特に竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」、というよりはそもそものエニアグラム図を、クーンのパラダイム論と結び付けて考えるのは、それなりに興味深いものである。
私杉浦真平は、竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」のタイプ4w3だが、仮に、リソ氏のエニアグラムではタイプ9であるとしよう(というか、そう思われる故の事であるが、断定的な事は現在の私には分からない)。いずれにしろ、私が精神科医によってスキゾフレニアと診断されている通り、私は分裂している様である。竜頭万里子さんはこれを後退と呼んでいるが、リソ氏のエニアグラムにおいて分裂における場合スキゾフレニアックとされているタイプ5とタイプ9、いずれに該当するかと言えばそれは私杉浦真平の場合明確にタイプ9の方である。仮にそうである場合、成長の方向にあるタイプ3は分裂における場合サイコパスの様呈を示すと説明されていたが、そもそもタイプ9自体が「そう」人間関係的であるということは否めない。しかし、ちなみに、タイプ9の場合、幼少期からの成長の過程において、(社会における)成長過程において対人格を身につけ、ここで興味深いのは、竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」におけるその個々人の能力の全開までそれを発揮出来ないタイプ4とタイプ9、その特質である。タイプ9の場合、やはり、それを考えると、タイプ3と同じくサイコパス的な要素を持ち合わせているのではないか?と、私は考える。しかし、タイプ9の場合、それが表象的に(で)鑑みられることは無い。タイプ3においてそれが、例えば、ロック音楽に昇華されて表象的に(で)観察されたところで、彼らはそれを楽しむことが出来るのだろう。竜頭万里子さん曰くの、タイプ6の「もう何も考えたくないとロック音楽に身を染める」などといったことは、タイプ3においては観察されないだろう。タイプ6の、自暴自棄な、あわよくば身を呈しての恐怖対抗は、分裂における場合いわゆる「弱いものいじめ」として観察されるだろう。この場合、特長が無いのが特長でいわゆる「何も出来なくなる」タイプ9が、あくまで概念的にということでだが、いじめのターゲットになるのかもしれない。基本的に、私杉浦真平を攻撃してくる者は、タイプ6が殆どであるところのものであるということである。「習近平氏の御名の通り」とは云わないが、私杉浦真平は基本的に概念的なそれという意味合いも含めて接近されるまで「気付かない」。
例えば、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は筋の通った事ばかり言うヒトではない。例えば、このテキスト群を(で)鑑みればそれは一目瞭然である。矛盾の無い筋の通ったことばかり言うヒトは、それはそれで医学的にコミュニケーション障害者扱いされるであろう。竜頭万里子さんの「究極のエニアグラム」のタイプ5は「賢くあらねばならない」だそうであり、勿論それを「武士に二言は無し」とイコールであると捉えるのは間違っているだろうが、どの様に「賢い」のか興味深いところではある。勿論、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は同タイプ5該当でもなければ「自分をタイプ5だと思っているタイプ2w3」でもない。ところで、同におけるタイプ7、特にタイプ7w8というブランドが大人気の様である。「その様に」社会的に自己のマンガ的キャラクターを求めるタイプ2w1らがどの程度タイプ7w8について知っているのか甚だ疑問である。例えば、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)はタイプ4w3だが、これは竜頭万里子さん「判定」済みの結果である。例えば、タイプ7w8はタイプ8とは明確に違う。タイプ8という連中は、基本的に、他者を従えさせようとすることしかしない。これは、ジャン・カルヴァンの様な人物でない限り、キリスト教徒においては明確に数が少ないであろう。表象上の(「その」)行動には勿論様々なものがある。しかし、というかむしろ、タイプ8というのは、ヒトにおける「現象学的な」裏局域を見定めるのに非常に便利なサンプルである。彼らは、一見タイプ6であるかと、それこそタイプ2w1御用達のマンガ的キャラクター設定で鑑みるのならば、そう思われるところのものである程、主体性が無い様に見える。それは、人々がサタニストとしてのそれを全く知らないからであり、彼らは例外無くサタニスティックである。それを「見ないように」我々は社会的に調教されてしまっているのである。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)がこういうことを言えるのは、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が同タイプ4w3であり同タイプ2w1が分裂もしくは後退の方向にあるからである。竜頭万里子さんによると、その人の後退の方向にある性格タイプはその人の性格タイプによって内包されているということだが、私はあの陳腐人達を性格的に内包している。彼らタイプ2w1の「非本位」性はあくまでも「本位」的である。例えば、タイプ2w1の「非本位」性は(「本位」的に)特定のターゲットに対する集団ストーカーに象徴されている。
(2023/10/11 22:26)
(2023/10/12 18:02)
西村博之氏が度々おっしゃっている「それって貴方の感想ですよね?」というセリフとその内容について一言。このセリフが発せられるにおいては、それの発言者に対する者の発したものの意味内容が問われることになるだろう。その意味内容上、同セリフが発せられて異常ではないという場合は容易に想定される。これを屁理屈であると言う頭の馬鹿な輩も存在する様であるが、そもそもその理屈において何ら(物事における)不整合が存在するというのであれば、具体的に反論すれば済むことであり、そもそも屁理屈などというものは存在しない。
基本的に、(具体的に)物事を考える能力の無い者は、他者の提示した情報や発言内容について、その様に捉える傾向が強いものである様であり、他者に対して(「それと」)同じく「そう」攻撃することにかまける件が多々観察されるものである。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、個人的に、これを「鉄砲玉」と呼称している。これらは、基本的に、(ダメージ0に対して)ダメージ1なので、こちらに対して損害を与えることは物理的な攻撃を除いて稀であるが、「塵も積もれば山となる」という諺もある通り、うっとおしいことはこの上無い。ちなみに、この、私に対してダメージ0でダメージが入るかダメージ1でダメージが入るか、というのは、敵の攻撃の特性に拠るものではなく私の特性に因るものである側面が強いものであると考えられる。
(2023/10/11 21:57)
ブリンケン米国務長官が12日にイスラエルへというニュース報道あり。
(2023/10/11 21:06)
「イラン、米に関与否定を伝達 ハマス攻撃巡り、報復警告」との共同通信によるニュース報道あり。
そもそも、ブリンケン米国務長官が、「イランが今回の件に直接関与している証拠をアメリカは掴んでいない」と声明を発表していた。もはや、ハマスはアメリカに武器供与を受けたイスラエル軍によって殲滅されるだろうが、しかし、これが中東の他地域全般を巻き込んだ大戦争へと発展することは無い。
(2023/10/11 19:43)
「「京大にミスコン文化を持ち込むな」OG作家の投稿が物議 大学側が見解「論点が異なる」」というニュース報道に際して(西暦2023年10月31日記載)
ミスコンダクトかと思ったら、ミスコンテストか(笑)。レベル低いね、京都大学。京都大学の卒業生で、芸能アイドルやってる奴も居るだろ?美女が商品化されてようが商品化されてまいが、そんなことはどうでもよい。本人達の問題。大学の本質や学生の本分とは関係が無い。大学は教育機関なので、学生において自分が勉強するかどうかという事が問題。計らずんば、最高学府の関係者が恥を知れ。
大学の様に、各構成員に対して評定を下す(教育)機関の関係者は、自己責任ということ(がどういうことであるか)について考えた方が良い。
先端卓越大学助成金制度についての、特にはその認定校から外れたことについて、京都大学の文句垂らしについて。(では)、京都大学が東北大学より優れている点とは何か。もしくは、京都大学が優れていて東北大学が優れていない点とは何か。それを明示せぬまま、文部科学省が彼らへの忠誠心を基に主観で各大学を裁いているというのであれば、彼ら京都大学の教授陣もまた同じくであろう。「意欲」が云々とは、勿論、各大学の特色が具体的に考慮されての上での、文部科学省による選定であろう。ちなみに、文部科学省に対して、制度自体を取り止める様強制する権限は京都大学には無い。京都大学の教授連中が主張しているのは、単なる子供の我儘であり、そこには、全共闘革命への思慕すら垣間見られる。もし、主観がどうこうというのであれば。残念ながら。
「学歴という美貌」とおっしゃってますな(笑)。只、美貌は(その意味で)一義的だが、学歴は(あんまり)一義的ではないでしょうね。"There is no beauty behind the mask."ということで。「勘違いするな、この女…」っつってね。
(2023/10/11 19:25)
(2023/10/31 14:30)
イスラエルとパレスチナ暫定自治区の間での出来事について。
イスラエルの一般市民が、この機に及んで自分達を特別に卑下する様な内容を掲げてデモ行進を行うとは如何なるものか。誰か、貴方たちの同胞が拉致されて殺されているのだということを、彼らに対して言う者は居ないのか。ここではこれだけ語っておく。内容の続きについては(おそらくは)後日記載のこと。
(2023/10/11 19:00)