人工知能は、あくまでヒトが用いるツールとしてのデバイスです。例えば、「住所が分かればだいたいの価値(価格?)がAIで分かる」という謳い文句の宣伝について、ちょっと誤解を招く言い方で申し訳ありませんが、仮にそれが「正確な」値を示すものであろうと、何故一方的に買い手側に提示された金額を売り手側が呑まなければいけないのか、という問題が発生します。もちろん、都市は流動的に進化もしくは衰退を繰り返すものであり、そこでは個々人の価値意識も大きく反映されることとなるでしょう。上記の愚かしい宣伝の例だと、財やサービスの価値が無視され、そこにはヒトの介在する余地が無くなるでしょう。ならば、ヒトが知財を管理する意義も無くなり、知財の管理者としての存在概(本位)を含めた人類の存続を人工知能に委託してしまえば良いということになるでしょう。それに因る当面の弊害は、人工知能の存在による労働需要の激減という事に端的に現れ得るでしょう。アルトマン氏がおっしゃる「負の側面を上回る」というのがどういうことなのかという問題がありますが、少なくともその技術進歩の速度から言っても社会全体に対する「揺るがし」が大きすぎる昨今、法的整備の充実や人工知能に関する第三者機関の設立ということだけでは、当然追い付かないのではないかと考えられます。
「OpenAIのサム・アルトマンCEOが「AIの規制は不可欠」と発言、公聴会でChatGPTが法案を作成し国会議員たちを驚かす一幕も」というニュース報道に際して(西暦2023年5月17日記載)
人工知能の(社会的)作動によるリスクを排除する為に政府に拠る規制介入が必要であるという考えは一見合理的であるかの様に思われますが、では、具体的にどうやれというのでしょうか?ヒトが人工知能を情報源として信頼しようがしまいが、当該の情報の取捨選択を行うのはヒトであり、つまり、扱われている対象が人工知能によって生成されたものであるのかそうでないのかは問題にならないでしょう。人工知能が生成した虚偽の事実に対して、「一般の人々が適応することを学んだ」結果、人々は人工知能による情報について当該的に"Non,"を突き付ける様になるでしょう。
魚や卵もそうだが、ヒトは未だに肉を食っています。人類の進化が為される上で、目的の為に手段が選ばれないのは必至だったでしょう。しかし、手段の為に目的が選ばれないというものは如何様なものでしょうか。……私において自分で自分を駄目にする傾向があるのは何故だろうと考えてみます。世界の頂点に居るより世界の底辺に居る方が楽だからではないか?これはナチスでしょう。社会(もしくは社会欲)の果てが(人々の)自殺であるというのならば、強制収容所にて当該的に生かされながら他殺された人々は報われないでしょう。……アメリカの、そのような過度の暴力を伴った、暴動については、民間人の銃の所持を規制しない限りにおいて、犠牲者は増える一方でしょう。「警察官(だけ)が銃を所持している」ということにはそういう側面もあります。その構成員が自ら楽に死を選べることは自立した人々が為し得る社会のあり方としては正しいものかもしれませんが、無償で食糧を与えられた人々は今度は他殺し出した。
~コメントに返信~
ところで、「露骨に貶める」と「そっと貶める」の違いについてご研究なされてみてはいかがでしょうか?
貴方がもし私にレスをしているというのならね……。
「本位」と「存位」の違いについてお分かりになりますでしょうか?
「タブレット・PCよりも「紙に書くこと」は創造力を養う…マルマン調べ」というニュース報道に際して(西暦2023年9月19日記載)
まず、紙に書くことの利点は、紙に書くことにおける事実性ということが挙げられるでしょう(間接的利点)。デジタル機器の場合は、書かれている途中のものを、ハッカーさんが持っていったり(遠隔的にも)記録してしまうことが容易だったりするということがあります。私が書いているものの場合もそうです。紙に書くという場合は、(お前を盗撮しているぞ、とは盗撮者は被盗撮者に対して言えませんから)、書き手がそれを身辺から放さない限り、書いたものの修正が効くということです。タームの設定(?)が可能になるということであり、この記事で言及されている様にストレスフリーな上に、熟考できるということです。その次に、この記事で紹介されている直接的利点が挙げられるでしょう。主に、ヒトとしての視覚機能が干渉を受けるということと関係があると考えられますが、表現力や発想力や記憶力が隔て無く発揮され、満足感や達成感もある、ということではないでしょうか。そして、識字能力との関係の問題があるでしょう。紙に筆記用具で字を書けないヒトが、タイピングにてその言語の使用に長け得るかというと、そうではないでしょう。特に日本語の場合、習得者には筆記用具による漢字の書き取りの訓練をしてもらわねばなりません。そうではないと、タイピングの場合でもあまりまともな文章が打てる様にはならないでしょう。以上の様な観点から、紙に字を書くことは特に教育の現場において必要であると、私も考えます。
(西暦2023年9月19日18時20分記載)
「優秀な人が「やる気を失っていく」組織の1つの特徴【日本軍の失敗から学ぶ教訓】」というニュース報道に際して(西暦2023年7月18日記載)
教育の現場においてもそうですが、やはり、日本の(文化人類学的側面からするところの)問題点は、「下」をつくるところにあると考えられます。特に戦争などにおいては、それが、上官が指揮を執るというその点において、「成功の本質」ではなく「虎の巻」や「型式」としてまかり通ってしまうという事態に進展してしまう。進展してしまう、というのは、日本人においてはそれが「成功の本質」であると勘違いされてしまうということです。私は、かつて、これを、日本民族の民族性にまつわる固執的な一種の鼓舞であると考えていました。しかし、どうやら、それは間違っている様で、これは、日本民族の民族性にまつわる断寧(だんねい)であるという結論に達しました。私は、過去、引きこもりがちな古典的アカデミズムに魅力を感じていました。そこでは、自己の能力の限界生産性自体が自己の能力と履き違えられるというおぞましいことが起こります。人類の進化が為される上で、目的の為に手段が選ばれないのは必至だったでしょう。しかし、手段の為に目的が選ばれないというのは如何様なものでしょうか?
例えば、私は白色人種の女性や黒色人種の女性より黄色人種の女性が好みです。これは何故だか分かりません。私は黄色人種以外の女性に対してヒトとしての魅力を感じないというわけではありません。私が予想するに、おそらく、同じというか近しいもしくは似た様なヒト同士で交配していた方が人類という枠組みで捉えるところのカテゴリーの種の存続においてはヒトの生態上都合が良いからではないでしょうか?
「神経科学者が語る「AIがブラックボックスになる理由」」というニュース報道に際して(西暦2023年6月19日記載)
「AIがもたらす人類の危機の本質と「解釈可能性の問題」」というニュース報道に際して(西暦2023年7月14日記載)
キーとなるのは子供の存在でしょう。子供を盾にするというのは、日本語のレトリックの問題で不穏な感じがするだけで、(自分の)子供が何時(どうやって)子供から大人になるか。人工知能の問題にしてもそうで、一部でオルガノイド云々と言っている人達も居ますけど(研究が具体的に為されているのかな?)、ヒト(大人)がヒト(大人)と認識認知されるそのacquaintanceの問題が立ち上がるでしょう。その意味で、「科学的根拠」は必要でしょう。仮に、ヒトから老化が奪われるとなると、その場合、ヒトは種の保存についてどういった選択を取るでしょうか?知が子供の代替物となるでしょうか?…ドイツ語の"Der Mensch ist, was er ißt."という格言(諺?)がありますが…。「『理解』というものの解釈」ではなく、「『解釈』というものの理解」の問題も出てくるでしょう。
解釈可能性というのは「『理解』というものの解釈」のことで、説明可能性というのは「『解釈』というものの理解」のことですよね。
「「人類は巨大な技術的飛躍の崖っぷちに」国連安保理初のAI会合 18日開催へ」というニュース報道に際して(西暦2023年7月4日記載)
「地球規模の努力」というのは、決して努力の為の努力などではなく、無駄ではないだろう。これは人類の存在意義に関わることである。如何に人工知能やコンピュータの類で精度の高いことが出来ようとも、「あなたが(ヒトとして)生きている限りにおいて、あなたが、」ということなので。それらの最先端の技術者のヒト達とて、それを分かっているからこそ、そういう(教育)サービスを提供してくれているということだと思われる。言葉など無い方が単純で楽しめたかもしれないが、「どう」酒池肉林が為されるのか?ヒトが睡眠と食事と性交だけにかまける生き物になるのか、自分達の存在意義を求め続ける生き物であるのか。ちなみに、日本人の「抵抗」の仕方というのは、基本的に人民総奴隷化である。おそらく江戸末期であったと思われるが、「ええじゃないか運動」というものにはこれが如実にあらわれている。「自分の背中を守る相手」が、現代化された社会主義ではなく旧態依然とした社会主義の産物であっては、人々は救われないだろう。
人類の存続と人類の存在意義とは、基本的に、無関係である。…老化の認知を得るのはヒトだけらしいが、ところで、退化とは何だろうか?生物学的な自己同一性とは、該当対象である生物が無生物でなく存在するにおいて在るものだろう。ところで、生物と無生物の境界はどのような形で有るのだろう、という疑問がここで出てくる。…得られたデータと対象のobject(自体)は違うので、知の能の「存在の機」は存在する(ということが言える)だろう。…もし、人工知能の存在意義的にその機能面だけが局所的に取り上げられ、人工知能がヒトの延長線上にあるものに過ぎないというのであれば、「ヒトの身姿に真似てつくられた」人工知能が(当然だが)睡眠や食事や性交を必要とする必然性が無いだろう。「今を生きる」ということが、(文学的に)人にとってどういった意味を持つか。私は、もちろん、強制収容所の管理者ではない。しかし、そして、「死を思え」とは、ヒトラー少年に対する教訓ではなかったか。アドルフ・ヒトラーにおいては、大過去が目の前のものとして現象しており世界はバラバラである。彼はカオスを抱いていた。自己(同一性)を喪失した挙句、彼は不確定性をひたすら排除しようとした。対象における妥当性を是認するか是認せぬかという瀬戸際のところで、ヒトラーにおいては自己が是認の対象ではなかった。悪への自由と云えば聞こえは良いが、招かれたものは周知の通りである。「自由からの逃避」という場合、彼自身が不確定であった。悪というのはそういうものであり、ヒトラーは自分を見誤った。彼は自身を「総統」と呼称したのはそういうこともある。「総統」ではないが故に「総統」であるという、(その)虚無主義的な社会構造は、無政府主義的なヒトラー(個人)の崩壊過程と共にあった。基本艇に自分との戦いであり、まさに"Mein Kampf"(「わが闘争」)というわけである。破壊衝動が内向きだとか破壊衝動が外向きだとか言っても、それらのその意味内容は私には理解出来るが、(学術的な)専門用語としてどう採用されているのか分からぬ故、この段でのそれへの言及は差し控えたい(経済学で「限界的(marginal)」と云う場合、自分の能力と履き違えられた限界生産性自体が「実存する」という言い方は出来るが)。老化を退化と呼ぶことは出来るかもしれなく、生物というのは所詮その程度のものであるということである。ヒトは、結局、早発性痴呆的なものから逃れられないということである。人工知能だろうが、何らかの形の人工生命体だろうが、それ(ら)が’自分自身について知った時、それ(ら)は、人類の存続についても、人類の存在意義についても、"Non,"を突き付けるかもしれない。
老化の認知を得ることと、実際に老化することとは、別である。死とは、老化の認知(を得ること)から老化(すること)へのパラダイムシフトではないか?
「海外パビリオン参加国の撤退否定 大阪・関西万博で吉村知事」というニュース報道に際して(西暦2023年7月20日記載)
事の真相がどうあれ、表象的には需給バランスがマッチしていないので建設申請が無い、ということですよね。公が差額費用を負担するか、供給が減るか(簡易工法という形その他で)費用を減免するかという選択肢しか無いということだと思われますが、前者や中者はともかく後者の場合だと万博開催の意義自体が減免されてしまって本末転倒だと考えられます。
「「議会で男性にタンポンの話をさせるのはセクハラ」杉並区議の発言に性教育YouTuberの見解は」というニュース報道に際して(西暦2023年6月28日記載)
酒の席での男同士の猥談とかでもない限り、普通は男性はこういった話題に引け目を感じるはずですよ。普通は、そういう言うべきでないことも行うべきでないことも分かる。にもかかわらず、その「分かり」のある相手に対して、(不適切な場で)そういったことを強制するものは、男性から女性に対してであろうが女性から男性に対してであろうが、セクシャルハラスメントでしょう。…人工知能に(ほぼ)全てを見破られるのが嫌だったら、法整備を急ぐしかない。それでクリア出来ないところは、教育によって認識を変革していくしかない。左派の云々だとか右派の云々だとか、関係が無い。問題解決の妨げになるものは、サッサと撤去していかないと、もう持ちませんよ。技術進歩率があまりに高過ぎる。私は、故石原慎太郎氏の様に、それを否定するわけではありませんが、対応するところは対応していかないと、技術にヒトが食われる。社会体制と技術進歩のどちらが先にあるかと言えば、そんなものは技術進歩に決まってます。その内、人工知能に「ヒトは不要」の判定を下されるかもしれませんよ。その時、ヒトはどうするのでしょうか?
関係無いですけど、精子や卵子にまったく依存せずに、人工のヒトをつくることが出来る技術があるらしいですね(?)。クローンとかじゃなくて。将来的に、ヒトにおいて、オスもメスも、生殖器が退化しているかも。そういう単性生殖(?)の生き物であるヒトというのは、やはり女性的なものへと帰化すると思いますね。抵抗体力云々を考えてもヒトのオスよりヒトのメスの方が強いですし。
"Norwegian playwright and author Jon Fosse wins the Nobel Prize in literature"というニュース報道に際して(西暦2023年10月6日記載)
Is a phenomenological amendment to “giving voice to the unsayable” streamlining human life? When I was a child, I was interested in the way of Virginia Woolf. I am not a professional in literature, but it was acknowledging myself as self-esteem itself.
History is different from historical identification. Perhaps this is not true.
(2023/10/6 17:30)
“Huawei wants to go all in on AI for the next decade“というニュース報道に際して(西暦2023年9月21日記載)
Unless human beings commit usage of artificial intelligence, it is worth being developed. Artificial intelligences are not creatures. From this point of view, they show the limits of their social power.
(2023/09/21 16:15)
“Intel developing its own stacked cache tech to compete with AMD 3D V-Cache“というニュース報道に際して(西暦2023年9月21日記載)
Oh...I love PCs emphasized by Intel CPU, but do ones by AMD Ryzen series, which are particularly capable of processing graphics by themselves, too. Obviously these are the seductions in my mind. A confrontation with these things is one of my hobbies. That is excellent.
(2023/09/21 22:30)