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「【書方箋 この本、効キマス】第42回 『奇想版 精神医学事典』春日 武彦著/髙橋 秀実」というニュース報道に際して(西暦2023年11月18日記載)


If we recognize the people who are implied not to take things seriously from the perspective of indecision and constancy, we may come to the conclusion that they are a group of rabbles, but the fact that they are characterized by their lack of characteristics does not indicate a high degree of versatility (it seems to me that everyone lives in this way in modern society). If we give them the definition of a "conciliator," there will be people in that position in the real world, regardless of being another problem to be the nature of the phenomenon. In the case of their vision of social characters, the question of "how they are" emerges from somewhere, and in that sense, it is not a feature but a "(characterized) feature." It was Tokugawa Ieyasu who imposed the waste of "shifting attendance" and said, "Do not let the peasants live and be killed."

Addiction to persons is to be greed itself. Appetite, worldly desires, sexual desire... (The) Structures by which persons perceive themselves as them are not established with so-called intellectual curiosity in modern society. It is meant to be the end of what degeneration is.

By the way, the doctrine of papal infallibility is an abstraction of man. On the contrary, Tokugawa Ieyasu's position is the embodiment of man as an abstraction. I do not think that abstraction and concrete are antonyms of each.

As history comes to an end, in what shape of the figure will it come true? If peace is adopted as a "poison," it explains the innate inferiority of human beings, but the psychology of seeking slaves proves "the psychology" of slavery. In other words, there are always people who are excluded, and it is a mistake to talk about them from a "neutral point of view", as there are people who are (not) to be mandatory.

It is foolish to be asking those who guess that humans are to be less than garbage for humanity. When it comes to paying no attention to the characteristics of the members of a (perceived) particular group, the opposite is also (to be) true, and these "neutral points of view" discard everything (in the world).

What does it mean to have everything discarded in the world? And then, not even the weight of the thing, only the figurative mass remains. All definitions become nominal. Since everything is discarded in the world, laws cannot be established as themselves(the idea that it depends on the interpretation of the world is nonsense). However, when people come along with it, they may know the mass of life. I might deny this. The problem of whether the death penalty or not the death penalty is a decisive reminder of the figurative mass. Therefore, the idea that life is not a thing appears now, but, for me, life is just an acceptance to be incidental to the activities for life support of living organisms.

If curiosity is suppressed by the concept of risk, it is stagnant within the individual, and the life spun in such a state is regarded as an expression of the desire to reproduce. A person who is somewhat closer to death than an ordinary person is probably closer to social justice for the same reason.

Yukio Mishima was called "a person by no ES," and he committed cognitive domain as death. In that sense, his actions were not suicide. He was destined to die. However, this is just a representation of him (or death). Kimitake Hiraoka and Yukio Mishima are distinct entities. People see the brilliance of life at the moment when a kamikaze member rushes into enemy territory and explodes to death. People must know that they are involved in death.

Of the three great desires, humans seem to be able to condone only sexual desire, and only the desire for sleep cannot be done. As for the rest, which cannot be concluded by the scale of whether it can be endured or not, appetite, it would be human happiness to be able to eat food, but it is sinful. ...In other words, it can be sublimated to a problem of existence, and greed can be treated as the primary meaning, so it is just a world of the mentally ill, for example, sinking a celebrity with a deadly bullet. ...Is it suicide? That's why, in that world, it would be affirmed. The sophistry that Thanatos does not cause a split of the mind is (a kind of) avarice of a "man-eater."

(真剣に物事に取り組んではいけないという暗示に掛かっている人間を優柔不断であることや恒常性といった切り口の側面から捉えると烏合の衆という結論が出て来かねないが、特徴が無いのが特徴ということは汎用性の高さを示しているのでは決してない(現代社会においては皆すべからくそう生きている様に私には思われる)。彼らに「調停者」という定義を与える場合、まさにそういう立ち位置の人というのは実社会的に多々方面にて存在するだろう、現象の本位的にどうであるかは別として。彼らの社会的キャラクターのビジョンという場合、そのアラワレが「(どう)彼ら的」なものかという問題がそこに立ち上がるわけであり、そういう意味で(は)特徴ではなく「特長」ということなのだろう。「参勤交代」という無駄を課し、「農民は生かさず殺さず」と云ったのは、徳川家康である。

人依存というのは、自体的に欲動的である。食欲、物欲、性欲…。ヒトがヒトをヒトであると認知する(その)構造は、現代社会においては、いわゆる知的好奇心に基づくのではない。分裂(degeneration)というのがどういう事であるのか、それ自体が自体的に目的概化している。

ところで、教皇不可謬説というのは、人を抽象化したものである。対して、徳川家康の立ち位置というのは、抽象としての人を具体化したものである。私は、抽象と具体がそれぞれの対義語であるとは考えていない。

歴史が終焉を迎えるとなると、それはどの様な形で訪れるのだろうか。平和というものが「毒」としてまかり通る場合、ヒトにおける先天的劣悪性が説明されてしまうことにはなるだろうが、奴隷を求めるその心理が奴隷としての「その心理」を証明することになるだろう。つまり、被排斥者というのは必ず存在するということであり、それを要らない人間云々という「中立的観点」から語ることが間違っているということである。

人間をゴミ以下であると考えている者に人間性を求めるなど愚かなことだろう。特定の集団(と見做されるもの)の構成員の特性を無視するとなると、(それは)逆も然りであり、それら「中立的観点」は全てを(世界から)捨象してしまう。

では、全てが世界から捨象されるとはどういうことか?そこでは、質量ですらない、モノの重みだけが残るだろう。全ての定義は唯名化され、全てが世界から捨象されているのであるから法は法として成り立たない(世界の解釈によるという考えはナンセンスである)。しかし、人はそこへ来てはじめて、命の重みというものを知ることになるかもしれない。私自身は、これを否定している。死刑か死刑でないかという問いは、モノの重みを痛感させる。つまり、命はモノではないという考えがここで出て来るが、私においては、命などというものは生物の生命維持活動に付帯されているものでしかない。

好奇心というものがリスクの概念によって封じられた場合、それは個人の内部において滞留せしめられ、その様な状態で紡がれた命なるものは繁殖欲の表象として見做され只終わるだろう。一般的な人間より幾許か死に近い人間の方が、同じ理由で社会正義にも近いだろう。

三島由紀夫氏は、「esの無い人」と呼ばれていたらしいが、彼の認知領域は死であった。その意味で、彼の行いは自殺ではない。彼は死ぬべくして死んだのである。しかし、そのこともまた彼(という死)の表象でしかない。故平岡公威氏と三島由紀夫氏は別個の存在ということである。神風特攻隊の隊員が敵陣に突っ込み爆発死するその瞬間の生命の輝きを、人々は見るのである。「あなたが死に携わっているのだ」ということを人々は知るべきだろう。

ヒトは三大欲求のうち、性欲だけは我慢できるそうであり、睡眠欲だけは我慢できないそうである。残りの、我慢できるかもしくは我慢できないかという尺度では裁けない、食欲というものについて、食物を摂れることはヒトの幸せであろうが、只、それは罪深い。…ということを言うと、存在の問題にまで昇華させることができてしまい、欲というものが一義として取り扱われることが可能となるので、もはやそれは例えば凶弾で有名人を沈める精神障害者の世界である。…自殺?それはそれで、その世界では、肯定されてしまうのだろう。タナトスが精神の分裂をもたらさないという詭弁は「人を食ってる」輩の(一種の)avariceである。)


(2023/11/18 15:23)
(2023/11/19 7:59)
(2023/11/19 11:15)
(2023/11/20 11:07)
(2023/11/20 21:04)
(2023/11/21 21:08)
(2023/11/22 17:09)
(2023/11/23 15:55)
(2023/11/23 16:30)




「【5分で英語力アップ】「強欲」を英語でどう言う?」というニュース報道に際して(西暦2023年11月17日記載)


In inclining to an affixed object, there is a judgment, which exists in itself, about it. For instance, this sentence that I am writing now is just a case. I objectify and describe "the judgment" itself as this sentence. What does it mean? The concept of exaltation of the rule of law in English depends on each judgment. And then, what is "the judgment"? The idea inquiring for the self to be spying on the self to be the extremity of schizophrenia is that of an ascending world.

(決まりきった事柄に傾斜するにおいて、それに関する判断が自体的に存在するという事はある。例えば、私が今現在書いているこの文章に関してもそうである。「その判断」自体を客体化して記述しているのが、この文章である。それはどういうことか?the rule of lawとと英語で云う場合のそのものの考え方は、個々の判断による。では「その判断」とは何か?自己が自己を盗み見ているというのがスキゾフレニアの最終到達地点であるという考えは、漸化された世界のそれである。)


(2023/11/17 18:02)




「【5分で英語力アップ】「強欲」を英語でどう言う?」というニュース報道に際して(西暦2023年11月17日記載)


"His sexuality is greedy, as he is a man. Almost all women are fascinated by it. ...Is this perspective about him greedy?"

とか、ね。女性は男性よりも共感能力に優れているそうです。完全、だと少なくとも思い込んでいない、男性の方が女性にとってはいいのかも。


(2023/11/17 16:10)




「なぜアメリカ人はアジア人を嫌悪するのか。映画『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』から透けて見える差別の構造と背景にある白人メンタリティ」というニュース報道に際して(西暦2023年11月17日記載)


生理的というか生物学的に嫌悪感抱くんだろうね。例えば、アインシュタインなんか物凄く理知的な顔してるけど、ユダヤ系のヒトって非常に柔和というかジェントルな感じするじゃん?そこが多分また彼らの敵においては鼻につくんだろうね、とは思う。私も日本人だが、東アジア人、特に日本人の場合、擦過傷じみた顔の相というか、見ててイライラするもしくは胸糞悪くなる感じというのは同属から(で)鑑みても確かに認められる。まあ、私は白人になったことは無いから厳密詳細なところは分からないけどね。


(2023/11/17 15:50)




「米国でのイスラエル支持32%に低下、68%が停戦支持=ロイター/イプソス調査」というニュース報道に際して(西暦2023年11月16日記載)


事の問題の本質は、イスラエルがハマスに拉致された人質を取り返せるか否かということ。で、停戦が妥行されて、人質の奪還が適うかどうかというと、そうではない可能性が高い(とイスラエル側は判断している)。つまり、いきなり急襲されて同胞を惨殺されたり拉致されたりしているヒトの集団が、それについての問題の解決を執行するとなるや否や反対されるというのは、イスラエル側にしてみれば世論は自分達に喧嘩を売っているのかということになるだろう。ハマス側は、最初からこういうテロリズム行為を行わなければ良かったんだからね。何でどう鑑みてもイスラエル側に分がある。つまり、イスラエル(ネタニヤフ氏)はそれが国連の要請であろうが受け入れないだろうし、その対応に問題があるわけでも何でも無い。ハマスも、最初、「偉大なる戦いの日」と云っていた。


(2023/11/16 20:05)




「古市憲寿氏、宝塚会見は「私達は変わりませんと宣言」「開き直り」とバッサリ」というニュース報道に際して(西暦2023年11月16日記載)


だから、世間の評価なんか求めてないってことでしょ。彼らにおいては、その方が、社会における自分達の需要が増す(という事を知っているというインセンティヴが彼らにおいてはある)。世間に対して「お前らの価値承認など求めてはいない」と云っている様で笑えさえするが。まあ、ヒトが亡くなっているわけだから、そういうことがまかり通る世界ですよという表明を行っているのだろうと考えるのが妥当ではないでしょうか。


(2023/11/16 19:40)




「「勉強できない子は机でわかる」東大生断言のワケ 人間は怠ける生き物、だからこそ環境作りが大事」というニュース報道に際して(西暦2023年11月16日記載)


全ての子供が東大へ入るわけじゃないからさ。そうなったら社会を構成出来ないでしょ?だから、仮に全ての子供が(テンポラリーに)「勉強が出来る」様になると、勉強を教える側も試験の執行方法その他を変えてくると考えらえるんだよね。つまり、現象として同じ結果が出て来る。その辺(は)相対評価だってこと。


(2023/11/16 19:10)




「英語の早期教育に抱いた幻想、なぜ「負の遺産」と語られる? 根底にあるのは日本特有の“完璧志向”」というニュース報道に際して(西暦2023年11月15日記載)


The curious thing is for a person, who might baptize himself a "devil", to be capable of being aware of his own vices. Human beings who "have shifted" the world in order to conclude "shifted" in the world explain it, in the beginning, to be no (explanation of) words. There is no proof of itself.

(自らの悪徳を自覚する能の有る人が、「悪魔」を自称するのは奇妙な事である。世界との「ズレ」をを妥結する為に世界を「ズラして」ゆく人間存在が、はじめに言葉があったのではないという事を説明する。それはそれの証明ではない。)


(2023/11/15 21:30)




「英語の早期教育に抱いた幻想、なぜ「負の遺産」と語られる? 根底にあるのは日本特有の“完璧志向”」というニュース報道に際して(西暦2023年11月14日記載)


The disadvantage of psychiatrists is the impossibility of identifying a particular target person as being "evil" in the way of their work at least. They are not able to assume being "evil" in their psychiatry. They have defined the disease in different ways, but they have had to cure the "patient." Moreover, they often misinterpret their treatment as unprincipled. It is not a vice but a mere performance of the way of their work, and they are in many ways to figure out degenerations, to figure out regenerations, and to exterminate definitions by them.

(精神科医の欠点は、特定の対象の人間に少なくとも業務上「悪」の烙印を押せない事にある。精神医学上、彼らは、「悪」というものを想定出来ない。彼らは様々に病気を定義するが、それもそのはず、彼らは「患者」を治さねばならないのである。しかも、彼らは、自身に拠るその治療行為を悪徳であると誤解している場合が多々有る。それは、悪徳ではなく、単なる彼らにおける業務遂行であり、分裂を形作ったり統合を形作ったり、果てまたその定義を廃してみたり、彼らは色々といそがしい。)


(2023/11/14 17:06)




「Facebookは「オワコン」に…今後、若者が活動する場所は「ゲームの世界」に変わるワケ」というニュース報道に際して(西暦2023年11月14日記載)


あの~、だって、普通に交流とかつまんないっしょ?ここのコミュニティーもSNSでいいのかな?私も空気無視したことやらせてもらってますけど、勿論ワザと。若者だけに限らず、AI相手にしゃべるとか、ゲームやってる方がそりゃ面白いに決まってるよね。


(2023/11/13 11:40)




「「RG MSN-04FF サザビー」など限定ガンプラがガンダムベース各店にて11月23日より特別販売「RG RX-93ff νガンダム」もラインナップ」というニュース報道に際して(西暦2023年11月14日記載)


俺の顔ってばジオングに似てるって言われたことあるよ・・・。あとアッシマーとか言われたこともあるな。

ジムⅡとは云わずとも、普通にジェガンとかも(で)良いよ。


(2023/11/13 5:30)




「英語の早期教育に抱いた幻想、なぜ「負の遺産」と語られる? 根底にあるのは日本特有の“完璧志向”」というニュース報道に際して(西暦2023年11月13日記載)


In Iran, recently, early foreign language education for young children was banned. After all, our children have to learn how to inscribe a "question mark" on thinking in their native language. Iranian people also have the way of thinking that people must live their permanent lives relying on how many tragic experiences humanity has had to make history and what something we have learned from it is, I guess.

If early education in English, for instance, makes it a mother tongue, there would be some problems taking place in particular. In putting it in layman's terms, and in this regard, of course, it is necessary for us to determine not English linguistics but English literature. However there are individual differences, and it is a matter of fact.

(イランでは、幼児に対する早期の外国語教育が禁止されたそうである。つまるところ、母国語で(を用いて)ものを考えるということにまつわる、「疑問符」の付け方を子供達に学ばせたいという事だろう。人類がどれだけ悲劇的な経験を積んで歴史を作り、そこから何を学んできたかという事を踏まえて、人々は生きていかねばならぬ、というのが彼らの考え方でもあるのだろうと想像する。

特に例えば英語の早期教育によってそれを母国語としてしまうのならば問題は無い、という事でもあるまい。俗な言い方をすれば、これに関して、勿論、必要なのは英文学であり英語学ではないという事だが、これについては、個人差もしくは個体差もあり、匙加減の問題ではあるだろう。)


(2023/11/13 17:05)




「英語「by all means」の意味って?」というニュース報道に際して(西暦2023年11月12日記載)


Usually, there is to be suspicion of superstitions such as that the yellow man is industrious, the white man is highly capable, and the black man is lazy. Even if it is done representationally, exactly there would be consideration that there is a cause and that if we remove it, the problem will be solved. By the way, it does not matter whether it is a genetic factor or not. ...Nowadays it no longer belongs to biological self-identity, but to sociological self-identity. ...Those who have no memory will have no way but to keep memories, as long as the world is regenerated. In man, everything is a general purpose, and he is nothing (to be) different from a machine. Ideas such as diversity also come from there. In order to make this slave of leisure say nothing, he has to be given the ultimate "ideal." The intellectual domain of "the man without ES" is death. In that sense, his actions are not suicide. He was destined to die. However, this is also only a representation of him (as death). He would be filled with indulgence in "that world of death, in which the ideal is itself outlined."

The desire to leave something behind the scenes must be proof of inferiority. I am not to be misogynistic now. Whether or not "it" can be correlated with having a child is another problem, but in any case, this is a discourse that sees the difficulties of childbirth for women. ... An agony is representational. Otherwise, one would not be able to bear "it." On the contrary, if "it" could be endured, "it" would possess people as an agony.

I used to say and do things which were contrary to totalitarianism at first. Recently, I came to think that the reason why I examine a kind of "all together" depends on what the hope to escape from the curse of my sexuality is. If we were to cancel out gender differences, it would be to aspire to femininity. Inevitably the alternative figure of masculinity is an obstruction to totalitarianism. ...By the way, I purchased a German Walther P.38 model airsoft. The handgun culture, which makes people look at themselves dying easily from handguns, is a representation of the cultural strength of the American people at least.

(黄色人種は勤勉で、白色人種は能力が高く、黒色人種は怠惰であるとか、そういった迷信について、普通は疑う。表象的に仮にそれが為されているものであっても、何か原因が在って、それを除去すれば、問題は解決されるだろうと、普通は考えるだろう。この際、当現代においては、それが遺伝的要因であるかどうかは問題ではない。…それは、当現代においては、もはや生物学的な自己同一性ではなく社会学的な自己同一性に属するものである。

…記憶の無い者は、世界が統合している限りにおいて、記録を取ることしか、為す事が無いだろう。彼においては全ては目的概化されており、彼は何らマシーンと比べて変哲が無い。ダイバーシティなどといった発想もそこから出て来る。この余暇の奴隷を黙らせるには、彼に対して究極的な「理想」が与えられねばならぬ。「esの無い人」の認知領域は死である。その意味で、彼の行いは自殺ではない。彼は死ぬべくして死んだのである。しかし、そのこともまた彼(という死)の表象でしかない。「理想が自体的に目的概化されているその死の世界」を彼は耽美的に愛するだろう。

時代に何かを残したいというのは、劣等の証明であろう。私は、ここで、女性蔑視をぶっているのではない。「それ」を子供を産むことになぞらえ得るかどうかについては別問題として、ともかくも、女性の出産の苦労を見据えた上でのこの様な言説である。…苦というのは表象的である。そうでなければ、人は「それ」に耐えられぬであろう。逆に云うと、「それ」に耐えられるのならば、「それ」は苦として人に取り憑く。

私はそもそも、全体主義については、それに反する様なことをばかり言ったり行ったりしていたものである。それが、ある種の「皆で一緒に」へと走ったのは、(自らの)性の呪縛から逃れたいが為ではなかったかと、最近考える様になった。性差を打ち消すとなると、それは女性性を志すという事になるだろう。男性的なオルタナティヴな概念は、どうしても全体主義には邪魔である。…私は、このあいだ、ドイツのワルサーP.38のモデルのエアガンを購入した。ヒトが拳銃によってあっさり死んでゆく姿を見さしめるその拳銃文化は、アメリカの人々の少なくとも文化的強さの表象である。)


(2023/11/12 5:22)
(2023/11/12 13:50)
(2023/11/12 20:53)




「人間の感情の中で嫉妬は最も怖い…医大名誉教授が実践する「嫉妬の猛攻撃」をかわすシンプルな方法」というニュース報道に際して(西暦2023年11月11日記載)


…もういい、コミュニケーションを取るのを止めたまえ、としか言い様が無い。個々の嘘について、それを意図して吐く必要は無い。敵対認知を常備しておくことである。結果論だが、セックスなどまかり間違っても行う気にならないであろう。イスラエルでは、今回の騒動が起こってから、銃で武装する人が増えたそうである。概して、日本。本日付けの読売新聞の朝刊の1面最下部に並んでいる広告の内中央のもの。「教養としての射精」。大爆笑を通り越して、馬鹿も休み休み言えとしか云い様が無い。これが「ファッキンジャップ」の由縁である。無論、アドルフ・ヒトラーは、これらイスラエル人と日本人のところのものの内、後者を愚衆として嫌った。両者が同起源であるなどとは、前者に対して失礼であろう。


(2023/11/11 13:35)




「泉房穂氏 大阪万博からの撤退国続出であらためて中止、縮小訴え「関係者よ、政治決断のときだ」」というニュース報道に際して(西暦2023年11月10日記載)


日本国民も大阪万博の開催を必要としていないし、少なくとも海外諸国にこの側面においては見限られている。その現実をきちんと認識すべき。きとんとした形(?)で事が遂行されるのか、中止するのか。選んだほうが良い。中途半端な形で多額のお金を掛けてハイ大失敗というのが一番まずい。常識的な見解かとは思われますが、如何でしょうか?


(2023/11/10 18:30)




「立憲・安住氏「首相は自分あって国民なし。自ら選挙目当てを証明」」というニュース報道に際して(西暦2023年11月10日記載)


この例えば「選挙目当て内閣・総理」というのはこの安住とやらが勝手に言ってるだけだからね。自分らへの当て付けを行っているのかな?この連中は。この立憲共産党だかの臭い政党には私は絶対に投票しません。


(2023/11/10 17:30)




「【精神科医が教える】 無意識に他人を支配したがる人…ゆがんだ正義感を持つ「普通なのにヤバい人」」というニュース報道に際して(西暦2023年11月10日記載)


他人をコントロールすべくの他人への期待というのがそもそもナンセンスですね。自己の思考やそれに基づく行動は「自分の勝手」なのではなく「自分の自由なのでありそれには責任が伴う」という事でしょう。他者に口出しする相手は、当人がそれを望む望まずにかかわらず、当然その他者に口出しすることに因るリスクを抱えています。他者にとっては、その人物が(その他者にとって)どの様な行動を取っているかが問題なのであって、それが「逆(の行動)」であろうがなかろうが知ったことではないでしょう。つまり、他者に期待を差し向けるか差し向けないかの対象として他者を認知していることがそもそも異常者のそれであり、その様な人間はうっとおしい(ここで云う「うざい」)以外の何物でもないので、ヒトが形成する社会においては、その人間がその人間であるというだけで排斥排除されるでしょう。彼らにとっての唯一の掴み所である藁は、そのようなうっとおしい人間らが彼らの様な人間だけでのコミュニティーをネット上もしくはネットを介した情報伝達によって作り得るということです。よかったですね。ちなみに、「殺す」の上位段階として「食う」、つまり「食うか食われるか」の世界というものがあります。殺し合いには(大きく)リスクが伴いますが、食うと食われるという関係においては、食う側にとって食われる対象が毒性を持っているのでもない限り、最初から関係の是正は決定されています。つまりこの自称精神科医自称Tomyは最初から「食われて」いるわけです。解毒はこの文章の記載によって為されています。彼(?)自身がそれを選択しているのですから、私も文句の付けようがありません。ハイ、サヨウナラ。ダメなものはダメなんだって。


(2023/11/10 14:00)




「「障害者は子どもを産むな」「障害者は社会にいらない存在」映画『月』があぶりだす、誰の心の中にも存在する優生思想」というニュース報道に際して(西暦2023年11月10日記載)


そもそも、生きるという事は(が)特定の意志を纏った行動ではない。我々は、この地球という惑星に寄生している(させられている)だけのそういう生き物。それをおこがましくも根底から自分の力で生きていると思い込んでいる人間を私は地底人と呼んで揶揄しているが、彼らが主体性の生き物である訳では勿論無い。


(2023/11/10 7:37)




「「障害者は子どもを産むな」「障害者は社会にいらない存在」映画『月』があぶりだす、誰の心の中にも存在する優生思想」というニュース報道に際して(西暦2023年11月10日記載)


私も、統合失調症を患っていて、精神障害者の範疇ですが、子供を欲しいと思ったことはありませんし、そもそも障害者は遺伝の問題やまともな養育が不可能であるということもあり子供を持つべきではないという考えを持っています。少なくとも子供の養育という事に関しては、身体障害者や精神障害者はまだ妥当かもしれませんが、知的障害者の人達に関してはそれは様々な点で全く不可能なはずです。そもそも、障害者が「要る」とか「要らない」とかいう論点が間違っており、障害者というのは「居ない方が良い」。これは、障害というハンデを負っているヒトを抹殺しろとかなんとか言っているのではなくて、障害者当該としてはっきり申し上げますが、障害を負いながら生きていることに何の良いことも無いということです。優生思想の何がおかしいのですか?人類は遺伝的にもそれ以外の要因においても進化進歩を続けて現在の境地に至りました。これからも進化を続けていくでしょう。そういったことを無視して、障害者だけでなく、ヒトが「要る」とか「要らない」とかいった論点観点から議論が為され進められるということこそがまさに異常な事でしょう。


(2023/11/10 3:40)




「クリントン氏、イスラエルとパレスチナには新たな指導者が必要」というニュース報道に際して(西暦2023年11月9日記載)


プーチン露大統領は、「ロシアに民主主義は必要無い。」とおっしゃっているが、彼は特に「アメリカに民主主義は必要無い。」とか「国家一般において民主主義は必要無い。」とかいったことは言っていない。例えばアメリカ国は民主主義国家で良いのである。少なくともこれに関して、習近平氏も、自国中国にまつわって、同じ考えだろう。朝鮮や日本は、そもそも文化人類学的に、そういった特質を持つ国である。今更、是正するまでも無く、「それ」はもはや時代の潮流である。…「その意味で」、ウラジーミル・プーチン氏は、答えを言っている。何故彼が国際指名手配を受けながら捕まらないか、何故UNがユダヤ民族差別の真似の様な声明を発表するのか、等々。ヒラリー・クリントン氏は、次回のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利すればアメリカという国は終焉するとおっしゃっているが、そんな事は無いだろう。仮にトランプ氏が勝てば、また世界の至る所で様々な人々が様々に動く。「いつも犠牲になるのは(罪の無い(?))一般市民だ」という見解もしくは言説は、それを表明する者の社会的な力の弱さをあらわしている。しばしば権力と呼ばれるそれは、社会の構成員個々人が「要る」とか「要らない」とかいった尺度では裁かれ得ないという事を、少なくとも教える。


(2023/11/09 17:30)
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男性

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