「“中高年のひきこもり”の過半数が女性…「見ないふりをされてきた女性の声が顕在化」」というニュース報道に際して(西暦2023年5月16日記載)
社会参画の仕方は人それぞれです。もちろん、現代社会において、生存にはお金が必要ですが、別にお金を稼ぐことだけが社会参画ではない。物理的ひきこもりと社会的ひきこもりはきちんと分類され認識されるべきでしょう。後者は、全世代的に、社会的に問題でしょうが、別に前者に該当するからといってそこに問題があるということにはなりません。現代社会にはインターネットという実に重要なインフラも存在するわけですし、テレワーク等、在宅で仕事を行っている人たちもいらっしゃいます。つまり、こういった事というのは一部の人間によってそう言われているだけです。そういう世論を捏造しようとしてる連中が居るというのは明確に分かりますが。只、世論で社会が構成されるわけではないから、分かっている人は分かっているでしょう。専業主婦も立派な社会参画の仕方の一つであり、まともに仕事をしてる人のそれです。こういったものに無理をして付き合う必要は無いでしょう。
「「定額働かせ放題」給特法の見直しを…現役教諭らが会見「公教育が生きるか死ぬかの瀬戸際」」というニュース報道に際して(西暦2023年5月27日記載)
人権活動家と民主活動家は違う。前者は然るべきものだが、(私は)あまり後者には賛同出来ない。悪質な人間も多々居るという言い方も出来るが、更生というのは医学的に行われるべきものであり、ヒトが生物である限りにおいて、社会的更生などというのは言語矛盾である。ヒトビトが踏み躙られ踏み躙り、その様に自分や他者の人権を踏み躙るとなると、それは只の非行である。社会秩序の維持は医師の仕事ではないが、それはマスコミにおいても同じである。医師やマスコミ関係者がその様なものにコミットする場合、医師もマスコミ関係者も一人一人は生きているヒトであり、生物としての彼らを無視するわけにはいかない。医療がその様な体制を執る場合、医療技術が社会資本ではなくなる。それこそ医療社団法人ではなく医療法人社団を作らなければならなくなるというあたりで、医学や医療技術が特権階級の奢侈品へと堕ちる。社会にはそういう人々も居るということであり、自分達がそういう人々であるという自覚が存在する限りにおいて彼らはその存在を許容されている。人々は、彼らの存在を無根拠に是認することも出来なければ、彼らの(その)存在を無視することも出来ない。