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memo79

「G7新潟で米債務上限「直ちに取り上げず」、市場動向は注視=植田日銀総裁」というニュース報道に際して(西暦2023年5月12日記載)


共和党はまず折れないだろうから、その場合、バイデン米大統領が共和党の提案を呑むしかないでしょうね。「最悪の事態」が招かれるよりは、イエレン氏もパウエル氏も、おっしゃっていることの主旨から(で)鑑みると、それを推奨されるのではないでしょうか。世界全体の経済へと悪い影響が波及して、一体誰が喜ぶというのでしょうか?




「米財務長官、一部「デフォルトやむを得ず」-議会との協議失敗なら」というニュース報道に際して(西暦2023年5月13日記載)


じゃあ、デフォルトしかないですね。仮にアメリカ国の格付けにおいて評価が下げられるということがあったとしても、債務不履行に陥るよりはマシでしょう。バイデン米大統領は「共和党の脅しは危険だ」と強気の姿勢ですが、イエレン財務長官もそれに倣った形でしょうか。今回は共和党は折れないと思いますよ。もちろん、この場合、私の予想が外れれば良いですが。




「イエレン長官、債務交渉での合意求める-デフォルト対応は策定せず」というニュース報道に際して(西暦2023年5月25日記載)


イエレン氏は、現行で(6月1日の期限を迎える以前に)既にアメリカ国は代償を支払っている(市場に影響が出始めている)とかねてからおっしゃってました。この時点で、高官がデフォルトに陥った場合の策定計画について公言してしまうと、ライバル側の譲歩を引き出しづらくなる、かな(?)、と思われるというのはあります。実際のところ米財務省がそれに関与していようがいまいが、どちらにしろイエレン氏の口からそれについて期限以前に述べられるという事は無いかと思われます。

いずれにせよ、共和党陣営が折れる可能性は低いので、バイデン氏が特別な措置を講ずるか譲歩するしか無いのではないかな、と予測します。デフォルトに陥って壊滅的打撃を食らうよりはマシでしょう。




「米政府機関閉鎖回避へ」というニュース報道に際して(西暦2023年10月1日記載)


つなぎ予算案が可決されて良かったですね。ウクライナ支援が盛り込まれなかったのは、あくまで一時的に案を通す為の建前でしょう。バイデン大統領がおやりになってしまうでしょうからね。共和党のマッカーシー氏に対して造反した議員の人達も、そんなことは分かっているでしょうから、アメリカ社会に対して自分達のスタンスを誇示しておきたかっていうね。面子とかじゃなくてね。子供のケンカじゃないんだから。

(西暦2023年10月1日17時30分記載)




「米カリフォルニアでファーストフード店員の最低賃金を時給3000円に引き上げ。日本は一番高い東京で1113円」というニュース報道に際して(西暦2023年10月1日記載)


やっぱりアメリカの人達って、具体的というか実地的に迅速に行ってしまいますよね。このアメリカに比べて日本が遅れていて駄目だという報道の仕方はともかくとして、アメリカは法律学も経済学もすごく「生きて」ますよね。このニューサム氏による「公平な賃金と安全で健全な職場環境」というのは、額面通りに受け取られるよりも、ファストフード店の店員が特には地域社会内でどういった役割を担っているかというところが、やはり彼らが形成する社会の根本においてどうであるかといったところのことなのではないでしょうか。流石に彼らが只単に努力してきたから賃金が引き上げられるということは無い。経済学は、基本的に、自発的失業を前提にしていませんが、ヒトによる労働観や職業観や仕事観を前提に社会的階層を作って差別化してしまうのは上手いやり方だと考えられます。

(西暦2023年10月1日18時15分記載)




「マッカーシー米下院議長に対する解任動議、週内に提出-共和党保守派」というニュース報道に際して(西暦2023年10月1日記載)


私は、別所で、「(米共和党造反議員の人達は)アメリカ社会に対して自分達のスタンスを誇示しておきたかった」と書いたんですが、これに関しても同じでしょう。マッカーシー氏を「本当に」辞めさせるつもりというかそういう義理は無い。仮に同氏が米下院議長職を辞することになっても、それはそれで、自分達の利にはなる。というのは、彼らとてウクライナが戦争に敗れたら自分達の民主主義が存続の危機に晒されることくらい理解している。同じく別所でも書きましたが、これは面子ではなく、自分達のスタンスを(アメリカ)社会に対してきちんと示しておくことがリパブリカンの価値観を持つ人達にとっては必要であるということです。その意味では、(そうやって全体のステートを上げてしまえば)、同じ政治家として、彼らは米民主党の人達を「そう」見做している。これは勿論彼らの行動を(で)鑑みた場合の解釈ですが、彼らが日本語で云うところの本気であるとかそうでないとか覚悟を決めているとかどうとかは関係が無い。だから「解釈」であるということです。

(西暦2023年10月2日12時40分記載)




「日銀の植田総裁、予想に反して量的緩和をいっそう推進する」というニュース報道に際して(西暦2023年9月5日記載)

アメリカ社会における、FRBの独立性は保たれるべきではあるが、景気の(内在的?)加熱を防ぐ為少し利上げの方向へと持っていくべきであるという意見は、投資行動自体の肥大化を指摘しています。生理学的観点から人々のことが考えられた場合、過剰な価値がそういうことになるということもあるものであるということです。そのように、「身代金」を払って問題を解決することは少なくとも長期的には明らかに各経済主体における損益となるでしょう。短期の具体的スパンの問題であるということか、もしくは社会主義構造かそれへのアンチテーゼか(という事にまつわる見せ付けか)。共謀罪とまでは云いませんが。

原因に対して結果があるのは当たり前です。結果の存在をわざわざテキスト化して標榜するヒトは全てのヒトが同じで平等であると思っている愚物であって、このようなヒトは権利すらもその本質的に個々のヒトにまつわる権利というものでなくしてしまう反社会的人間であるということです。例えば、選挙(権)は投票が為されて初めてその社会的意義を存立させます。が、選挙において不正が為される必要は無いということであり、何故ならば「『不正』の存在は被選択を為す」ということだからです。選挙におけるそれぞれの候補が得た票を民「意」という形でその定義に過ぎないものを取り扱うということは社会や民主主義の本質をナチズムや共産主義(政党としての共産党に言及しているのではない)と履き違えているということです。「選べる」などという幻想が在ると思ったら大間違いであり、機会にコストを要するという考えが明らかに間違っており、機会費用などというものは存在しません。具体的に法が実効している社会において人々は法の下の平等は保証されていますが法の下で平等であるわけではありません。そのガバナンスが法に依拠される個としてのヒトが治められるのではなく種としてのヒトが治められるのであるからこれは当然であるということであり、法廷での闘争ありき、執行者の存在と共に法が法として存在することが我々の幸せかもしれません。

(西暦2018年夏頃に記載したものを若干改変しました)




「胸が透けるドレスへの批判、英俳優が「女性の体が存在する理由は性的なものだけではない」」というニュース報道に際して(西暦2023年9月5日記載)


他の女性からの非難を買ったり、男性から性的な目で見られることのリスクを自覚してのことならば、この人の勝手でしょうね。私は、この人のそういう映像を見たら、「見せている」と決め付けることは無くても、「あ、見えるな」と思うでしょうね。気分を害することは無いでしょう、私もヒトのオスでヒトのメスの肉体に魅力を感じますから。只、ヒトのオスにはヒトのオスの性にまつわる本能がありますし、この人一人でヒトの社会を作っているわけではないので、「気にするな」というのには少々無理があるでしょう。男性の中には、自らの性衝動を忌まわしいものと考えるヒトも居ます。そのような男性は、確かに「成長」すべきかもしれませんが、ヒトのメスにヒトのメスの(性的な)本能が在る様に、ヒトのオスにはヒトのオスの本能が在るということをお分かり下さいとしか言い様が無いですね。じゃあ、貴方は、男性がペニスを丸出しにして24時間生活している姿を(で)鑑みて、身の危険を感じないのですか?ということです。このフローレンス・ピューさん以外のヒトはこのフローレンス・ピューさんではないのですよ。

ヒトのオスの裸体や性器が醜くて、(それと比して)、ヒトのメスの裸体や性器が美しい、と、認識しなければいけない義務も義理も無ければ、その必然性も無いですね。それは、私も、勿論女性の肉体を美しいと感じ、男性の肉体をそこまでは美しいとは感じませんが、ヒトビトの中には男性のペニスを美しいと感じ女性のヴァギナを含めた肉体を醜いと感じるヒトが居るかもしれません。そういうこともきちんと考えて頂きたいですよね。

ちなみに、上述の「私も、勿論女性の肉体を美しいと感じ、男性の肉体をそこまでは美しいとは感じません」において、私が嘘を吐いているかもしれませんよ?どっちつかずの結論を持ちながら、ヒトはそうオールオアナッシングに徹することが出来るものではないです。

オールオアナッシングに徹することが出来ないということは、例えば偏微分を考えてもらえば分かり易いと思うんですけど、パラメータを固定すれば良いのですよね。それだけのことです。

(西暦2023年9月5日19時30分記載)


~コメントに返信~

質問者の方:日本ではワイセツ物頒布(等)罪にあたると考えますが、男性が露出した場合のみ厳しく取り締まられているように感じます
見たくもない気持ち悪いもの見せられる男性の気持ちも考慮して欲しいものです

回答者(私):同感です。というのは、私も男性として女性に対する恒常的な性的アディクションを引き起こさせられるのは不快ですし、何よりこちらが性的犯罪の加害者扱いされるリスクが増します。ヒトのメスというのは、ヒトのオスのそういった生理について、あまり理解が芳しくないのではないでしょうか。また、「見てんじゃねえ」と云わんばかりの女に対しては、確かに「見せてんじゃねえ」と言いたくはなります。その点においては、私はイスラム圏の女性を尊敬しています。

例えば、日本の女子高生のあの凄いミニスカートの格好ありますよね。あれは確かにヒトのオスの一個体としては辛いです。というのは、勿論それを視界に入れ(られ)ると性的欲求を掻き立てられるからです。だから、私は、そういう格好をした彼女らをなるべく見ない様に努力をしています。しかし、彼女らのその行為が否定される筋合いは無いでしょう。何故ならば、彼女らは、その様に「見られて」おり、その様に「見せている」わけではないからです。「見られる」のと「見せている」のは違います。前者の場合、彼女らは社会的要請を自覚しています。後者の場合、彼女らはその自覚が無く、つまりそれは攻撃行動であり、先述の通りの「見てんじゃねえ」という意識が彼女らにおいては芽生えるでしょう。そういうことで(は)、フルヌードだろうがポルノ女優の如くコアヌードだろうが、イスラム圏の女性の様に目付近以外の全ての肌を隠すという格好だろうが、良いわけです。彼女らに社会的要請の自覚があるならば。フィギュアスケーターやファッションモデル、アイドルや俳優(女優)なども、同じ理由で肯定されるべきでしょう。彼らは「見せる」商売ではなく「見られる」商売なわけです。

今回の、フランスにおける、自分達の格好を否定された(イスラム教徒の)女性達が公共施設(学校)から立ち去ったという事件では、社会的要請に基づいて、彼女らが「見られる」ことを選び「見せ(てい)る」ことを拒否したというわけです。彼女らは、この件において、自分達の肉体を否定されているにも等しい。彼女らは合法的にレイプされているわけです。だったら、最初から、移住民として受け入れなければ良いわけで、場から逃避した彼女らは賢い。彼女らは、レイプという社会的事象を、社会的要請に基づいて否定したというわけです。


敵方の最後のすがりどころは「暴力」である。我々の最後の手段は「死」である。勿論、死とは安寧をもたらすものであり、生は暴力に彩られている。生を紡ぐには、暴力のコントロールが必須であり、それには死が(念頭に置かれ)存していなければならない。この生に彩られた地獄星を何故人々は賛美するのか私には分からぬ。別に、私は、地球環境を破壊しようが知った事ではないとか、その様なことを言っているのではない。無根拠に当該存在を賛美可能なその女性的な考えを理解出来ぬ、ということである。家畜が(スローターとしての)ヒトをどう思うだろうか?一度ヒトも「飼われて」みれば良いのである。アメリカでwokeなどと云われて久しいが、問題は、「その自覚」が在るか無いかということである。それは、(生物学的な自己同一性に対して)社会学的な自己同一性であり、acquiredではもちろん無い。唯一acquiredなのは神であろう。"recognition of God"という場合と"the man of God"という場合では、勿論違ってくるものであり、我々は後者である。

(西暦2023年9月8日13時16分30秒記載)
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