「社会は主婦という存在を見下している。原因は資本主義?」というニュース報道に際して(西暦2023年5月9日記載)
別に見下してない。お前らを含む一部の人間がそう言ってるだけ。そういう世論を捏造しようとしてる連中が居るというのは分かる。只、世論で社会が構成されるわけではないから、分かってる人は分かってる。専業主婦も立派な社会参画の仕方の一つであり、まともに仕事をしてる人のそれ。
「日本のインフレは「一過性ではない」理由、経済学者の常識は10年前から激変」というニュース報道に際して(西暦2023年6月6日記載)
仕事を使って人を育てるという発想があります。賃金ではなくて事に仕える仕事本位だということであって金より先に仕事があり仕事のおまけとして金をもらえるという事が付随するということです。人を使って仕事が行われるというものとは物事の捉え方として逆です。マックス・ヴェーバーが面白いことを言ってますけど、カトリック的な伝統主義的な一定の形式によって延々となされる労働において、特に未婚婦人がその労働力として使われる場合、仮にちょっと頭をひねればすぐそれより生産性の高い労働の形態を考案する能力を持つ者であってもその意欲に全く欠けており、出来高賃金率を引き上げても慣習に従うという形で同じタームで得られる(彼女らにおいては)固定された賃金を得てしまうとそのターム内においてはそれ以上の賃金を得ようとしない、ということが起こるそうです。いくら生産性向上の手法を説明してもそれを拒否されるということからして、未婚婦人たちは意欲云々という以前に心理的に制約を掛けているんですね。で、ヴェーバーはドイツにおいては「慣習の壁にはね返されて」こういった事態になる、と言ってますけど、日本ではこれはおそらく逆の事態になるのですね。というのは、日本においては「『慣習の壁に押し潰されて』出来高賃金率に従って働いた分もらえるお金が増えたよ」という事態が起こります。ドイツにおける前者のような労働態度は、むしろ資本主義イコールで拝金主義に走ってしまい易い日本では肯定的に扱われ望ましいものとされます。そして、この場合においてドイツの企業家が出来高賃金率を上げた意図としては後者である日本における場合が狙われています、これが資本主義だということではないでしょうか。土壌が違うと違うものは違ってくるでしょう。