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「古谷経衡氏「理由があれば侵略戦争をしてもいいのか?」、鈴木宗男議員「一にも二にも停戦だと言っている政治家は私だけ」 ロシアのウクライナ侵攻めぐり激論」というニュース報道に際して(西暦2023年5月9日記載)






「理由があれば侵略戦争をしてもいいのか?」って、だから戦争だって言ってるでしょ。戦争っていうのがどういうもんだか分かってんの?ただの殺し合いですよ。そこにコミュニケーションなんか無い。敵を殺すのに理由なんかあるわけないでしょ。だから「殺し合い」だっつってんの。分かるか?




質問者:
「ただの殺し合いだなんて、あまりに単純すぎて説得力がありませんね。戦争には理由はあるものです。猫や犬じゃないんだから。」




回答者(私);
貴方が御自分を「説得」される対象であると見なしている時点で、貴方は戦争には参加していないでしょう。つまり、貴方は、「殺される」か「殺されない」かというところでお生きになっておられます。貴方は、ナチス支配下の社会におけるユダヤ人の様なものです。






「ロシア軍が「飢餓」を戦争手段として使用、証拠が次々に」というニュース報道に際して(西暦2023年6月4日記載)


だから戦争だって言ってるでしょ。何でもありですよ。まだ戦争のおぞましさが分からないか?

「拉致して、シャブ漬け」にするより「シャブ漬けにして、拉致」する方が戦略としては有益なものでしょう。前者は農耕民族型の攻撃であり後者は狩猟民族型の攻撃であるということが言えるでしょう。




「習近平体制 最大の特徴は「忖度政治と恐怖政治」専門家が分析 中国・天安門事件から34年…ますます強まる国家統制」というニュース報道に際して(西暦2023年6月4日記載)


「政治される」側にも、特質があるということではないでしょうか。私は、自己同一性というものについて、社会学的な自己同一性と生物学的な自己同一性に分類して考えていますが、文化人類学的、民俗学的、その他、そしてヒトの(リアルな)生態的に、そういうことではないでしょうか。もし、仮に、セックスが大好きで繁殖力の実に強い生き物だったらば、その問題の解決策の一つとしては「ハイ、一人っ子政策施行~!」ということが有り得るということになるでしょう。

地中海沿岸にそういった遺跡がバーッとある中の一つであるところのものということなんですが、私は、学生の時にあの辺りへ旅して、トルコのイズミルという第三都市にほど近いエフェソスという遺跡を訪れたことがあるんですが、まあ色々な意味で圧巻でしたね。トイレとか、公衆というよりは、今では遺跡となっている座り台に横一列に用を足す為の穴がボコボコッっと空いているというものです。「ああ、ここで男も女も皆出すんだな」と思いましたけど。そういう隠し所の概念があまり無い、「そんな場合じゃない」という環境の社会に当時の人々は生きていたということでしょう。だから、セックスも当たりまえに、そこら辺の原っぱ状態で行われていたものであるかと考えられます。そうじゃないと病気や殺し合いでヒトが簡単に死んでいくものですから、人口を維持できないという観点で当時の支配者階級のヒトビトは社会を捉えていたでしょうとも思われます。まともに教育を受けていたのは支配者階級だけでしょうから。子供を産むのは女性ですから、「私の子は…」ということでそれこそ一種のコミュニティケアめいたものの内にヒトビトは生きていたということではないかと予想します。経済史的な話になってきますけど、あの時代文明は地中海沿岸を中心に発展していきました。戦時中の日常茶飯事ということを考えれば容易に想像は付くものと思われますが、そういうことです。

思考盗聴という側面の観点からも語っておきますと、仮に脳の能作からして読み取られていたとしても、見られる側が見せることを能動しているかしていないかまで見る側は知らざるを得ないので、結局本末転倒というか、見られる側はそのままでよいということです。見る側は、見られる側に対して、見ているとは言えない。少なくとも、見られる側は、認めなければよい。そうすると、もし見る側が見られる側に対して(純粋な)害意を持っている場合、見る側は見られる側を殺してくるでしょう。しかし、死を受け入れている者の場合、それは攻撃として通用しない。死んだほうがマシなくらいな経験が為されることは、それが成され得る限りにおいて、見る側の本イではないでしょうから笑えはしますけど。




「「人間がハッキングされる」という、恐ろしすぎる未来」というニュース報道に際して(西暦2023年8月1日記載)


思考盗聴という側面の観点からも語っておきますと、仮に脳の能作からして読み取られているとしても、見られる側が見せることを能動しているかしていないかまで見る側は知らざるを得ないので、結局本末転倒というか、見られる側はそのままでよいということです。ヒトは脳機能そのもので他者とコミュニケーションを取るのではありません。仮にそれがコミュニケーションとして成立するならば、その時もはやヒトはコミュニケーションの概念を失っているでしょう。その場合もはやヒトはヒトではなく、単なるバイオなマシーンであるでしょう。オルガノイドについての話も散見されますが、そういったバイオテクノロジーの行き付く先はそういうこと(ところ)でしょう。現状で云われている、人工知能に支配されるされないどうこうということも、結局、人工知能が支配するかしないかではなくて、ヒトが支配されるかされないかということ(でしかないということ)です。テクノロジーがテクノロジーである限りにおいてそういうことであり、ヒト自体が目的概化したらそこで(ヒトは、我々は)終わりでしょう。見る側は、見られる側に対して、見ているとは言えない。少なくとも、見られる側は、認めなければよい。そうすると、もし見る側が見られる側に対して(純粋な)害意を持っている場合、見る側は見られる側を殺してくるでしょう。しかし、死を受け入れている者の場合、それは攻撃として通用しない。死んだほうがマシなくらいな経験が為されることは、それが成され得る限りにおいて、見る側の本イではないでしょうから笑えはしますけど。それは人類におけるオレオレ詐欺師化と云ってもよいものであり、集団自殺でしょう。

人間関係へのインセンティヴに裏打ちされた、それは概してマザーコンプレックス(そのもの)的であるということは、こういったところからも説明されるでしょう。彼らは、自身当該と当該を産んだ母親という関係において「同じ」であり、生(性)への欲動に基づくコンプレックスで鑑みられています。男子において、それが転化されると母親以外の女子とのセックスということになり、そしてそれは概してマスターベーション的であるしょう。


~コメントに返信~

コメント:思考登頂まで読んだ

回答者(私):まいあ~が~れ~みちび~き~のままに~♪

コメント:聖闘士星矢ァァア

回答者(私):sein to sei ya
「……子供はまだ何ら否認すべき過去を持たず、過去と未来の垣の中に、幸福きわまる盲目の中で遊びたわむれている……子供はその忘却状態から、呼びさまされる……そこで子供は"es war"という言葉を理解するようになる。"es war"というあの合言葉……人間存在が根本において何であるかを否が応でも想い出させようというのだ……」(ニーチェ)




「「人間がハッキングされる」という、恐ろしすぎる未来」というニュース報道に際して(西暦2023年8月1日記載)


日本の昔話の「のっぺらぼう」とかもそうじゃないですか。あんなもんレイプ以外の何物でもないでしょうけど。
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