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「「ムダに頭を働かされている人」が気づかない真実 「目の前のこと」に集中するために何をすべきか」というニュース報道に際して(西暦2023年5月3日記載)






「沈黙は金、雄弁は銀」と云いますが、あまりに馬鹿げているものに対して、「これはフェイク(フェイクニュース)だ」と結論付けざるを得ない様な、そういうものもあります。

何らかの(そういう)対象に、「ムダに頭を働かされている」と、皆ズルズルズルズル奴隷化されていっちゃいますよね。要は、それに至るどの様な経緯があれ、(犯行)現場において事を実行させなければ良いということです。つまり、そういう類の対象は(それがどういった表象のものであれ)どんどん減っていきます。只、そこには、ヒトにおける自由意思(自由意志)がある、が故に、「法は社会の反映である」(ここで云う法とはかなり広義の意味ですが)。「自由からの逃避」を宗(旨)とする人々の(自己破滅的な)行動原理とはそういうものです。仮に、フロイトの性欲理論の様なものが持ち出されたところでそれは慰めに過ぎず、彼らがゴキブリ並の繁殖力で増殖したとしてもそれは同じことです。基本的なところは何も変わらない。

一部の人達に、皆生存競争だといった様な事を言う人も居ますが、「無法」がイコールで奴隷においては「生存」な訳です。どういう事かお分かりになりますでしょ?私はそれを(牛乳商品の如き)「均質化」と呼んでいますが、それは云わばヒトの雑菌化です。ヒトは生きる為に生きるのではありません。そうでなければ、知財の管理においてヒトよりはるかに高いスペックを持つ人工知能に「ヒトは不要」の判定を下させ(下され)「生存」を依託してしまえば良いでしょう。

ここで、精神科医さんが言及しておられることは、英語で云うところの"scatter brain"と同義だと思われますが、「こんなことが起きたらどうしよう」「あの時あんなことをしなければよかった」というのは、明らかに考えても仕方の無いことではありません。ヒトは、未知の出来事に対して警戒し準備を行いますし、過去の経験から色々なことを学んでいきます。「動物を観察する」というのは、「(その)動物と同じになる(なれ)」ということではありません。「社会生活の中では、身体は危機的状況に置かれない」とは、(少なくともヒトの形成する社会を)ナメているとしか言い様が無い。精神科医さんも「むかし」と指摘されている通り、ヒトとして退化したければご勝手にどうぞ。




そうですよ。一昔前は、「思考盗聴?それは、精神分裂病の典型的な症状である被害妄想の一つですね。」と言われてました。つまり、だから、あのブタ共との戦争ですよ?

いや、だから、それをアウトプットすることを当該のヒトが能動していないことまでアウトプットされるというのならば、それは単なる脳に対するハッキングなわけであって、その時点で曲解は起こっている。つまり、それをアウトプットすることを当該のヒトが能動していることだけをアウトプットするというのならば……それは、口頭その他何らかの表明手段によって「自分で」表明するのとは……確かに違うだろう、が、そうなった場合もはやそのヒトは(その)人工知能にレイプされているということに過ぎないかと考えられるが。そのヒトと(その)人工知能は別の存在であるからして、それはこの段落の冒頭で書いた場合と何が違うのか?




「【精神科医が教える】 損得勘定で生きる人ほど、最後に損をする決定的理由」というニュース報道に際して(西暦2023年5月27日記載)


おっしゃっている事の主旨には同意しますが、只、愚行として取り扱われているのは、「足し算」ではなくて「掛け算」ではないでしょうか、その比喩に従うならね。「足し算」は複合的判断、(自分にとっての)状況は相関するのでこれは「掛け算」でしょう、全てを例えば金銭額の様な特定の基準において換算出来るというのならね。つまり、この比喩自体が間違っているということですが、同じ理由で、「メリット・デメリットで判断していると……」という表現も誤解を招くものでしかないでしょう。つまり、「裏付ける条件」を設定して、損得勘定で物事判断しているのはこの精神科医を自称する方御自身だという事ではないでしょうか。

かの有名なイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、極端な自由競争偏重の思想に傾くオーストリアの経済学者F・A・ハイエクのそれを精神病患者のものであるとして揶揄したそうですが……。ちなみに、ケインズが計量経済学を非常に嫌ったというのは有名な話です。




「ゲームや漫画は犯罪者の心理に本当に影響を及ぼしているのか?【社会心理学】」というニュース報道に際して(西暦2023年6月8日記載)


少し前の話ですが、イスラエルで、右派政党「リクード」に所属するベンジャミン・ネタニヤフ首相の政権に対する、イスラエルの一般市民による、デモ行進が行われていました。これは、ネタニヤフ氏のUAE等一部の国を除いたパレスチナを含むアラブ諸国に対する強硬姿勢を(で)鑑みると、イスラエル国家総体を慮っているネタニヤフ氏の政治力についてプラスになる事だろうと考えられます。基本的に、人々は、戦争が勃発したり核ミサイルが飛んで世界が滅びる様なことは望んでいないはずです。つまり、政治力学的に上記の様な事が言えるということであると考えられます。挑発行為とは逆の効能がある行為は、一見しては人々の恐怖を煽るものと捉えられるかもしれません。何故全てがそうなっているのかと。…ヒトが一人で生きているのではないから、どの様な心理学的水路付けが執り行われるのか考えて頂きたいということです。そういった意味では、日本における昨年度の大学入学共通テストにおける警察の警備の仕方は、新聞記事によると「見せる警備」ということで、実に理に適ったものであると考えられます。要は、それに至るどの様な経緯があれ、(犯行)現場において事を実行させなければ良いということです。犯罪者として特定されてしまったヒトが、それに至るどの様な学習経緯を経る(た)ものであれ、要は、具体的な当該の犯罪行為を行わ(せ)なければ良いわけです。

例えば、「市場」という場合、「市場の動向」なるものは存在せず、「それぞれの市場参加者の意志」が存在するわけですよね。これは投票行動についても同じで、「地域間における一票の比重の格差の問題」というとここで取り上げるものとはちょっと別問題となるので言及はしませんが、選挙権を放棄して投票行動に及ばないという(社会的階層の)人達が居てくれるおかげで得られる選挙結果における一票の比重に差が捻出されるわけです。例えば、作家の高村薫さんは人々に投票行動を促しこういった事態を防ごうとしておられる方です、私の様な者とは逆の価値観もしくは価値意識をお持ちの方です。

明らかに言ったり行ったりしない方が良い事というのはある。ナチスによるホロコーストなどいい例でしょう。しかし、「テロリストの主張は仮に正論だとしても認めない」というのであれば、それは実際(その)テロ行為に及んだ当該のヒトに対するシステミックレイシズムでしかないしょう。それでは本末転倒です。もし、そういうことならば、テロリズムにおける被害者の側(までも)がテロリズムに加担しているということになり、テロリズムにおける加害者のシステミックレイシズムである(その)テロ行為を是認することになってしまいます。そこでは、社会から放逐されたテロリストと該当社会の構成員との間での、戦争が起こります。しかし、そこでの勝敗は目に見えています。テロリストもそれが理解出来ない程馬鹿ではない。つまり、何らかの対象に、「ムダに頭を働かされている」と、皆ズルズルズルズル奴隷化されていっちゃいますよね。つまり、そういう類の対象は(それがどういった表象のものであれ)どんどん減っていきます。只、そこには、ヒトにおける自由意思(自由意志)がある、が故に、「法は社会の反映である」(ここで云う法とはかなり広義の意味ですが)。「自由からの逃避」を宗(旨)とする人々の(自己破滅的な)行動原理とはそういうものです。仮に、フロイトの性欲理論の様なものが持ち出されたところでそれは慰めに過ぎず、彼らがゴキブリ並の繁殖力で増殖したとしてもそれは同じことです。基本的なところは何も変わらない。




「米大司教、広島で核廃絶訴え「核兵器を最初に使用した、だからこそ」」というニュース報道に際して(西暦2023年8月6日記載)


日本の林芳正外相が「(ジョン・レノンの)『イマジン』で平和はつくれません!」と語っておられましたが、抑止力としての核が必要無いというのはどういうことなのでしょうか。「私たちは核兵器を最初に使用した。だからこそ、私たちは核兵器を解体し、二度と使用されないようにしなければならない」ではなく、「私たちは核兵器を使用したという事実を為した。よって、私たちは核兵器を抑止力として存せしめ、二度と使用されないようにしなければならない」とあるべきでしょう。ちょっとヒトという生き物をナメているのではないでしょうか。この人たちは、強制収容所にて「ここで六百万人のユダヤ人が殺された!」との明記のあるホロコーストについてどうお考えなのでしょうか。その点、フランシスコ教皇猊下の「核兵器を持つこと自体が非倫理的」というのは実に的を得ています。さすがですね。本日8月6日と8月9日は、日本に原爆が投下された日です。被爆者の方々に哀悼の意を表しましょう。




「国連総長「強く非難」 ハマスのイスラエル攻撃」というニュース報道に際して(西暦2023年10月8日記載)


かつて、アブラハム・アコードに際して、ジャレッド・クシュナー氏が提示した和平案をパレスチナ側は拒みました。そこにはアッバス議長のおっしゃった通り、宗教的な問題も含めて複雑なものが横たわっていたでしょうが、ということは、もはやこういった事態が起こることは目に見えていたはずです。だったらば、事ここに至っては、戦争を終わらせる為の戦争しかない。戦争が人類に降りかかる災禍の内最も悲惨なものであるというのならば。ハマスの構成員の人々が言っている「偉大なる戦いの日」というのはそういうこともあるのではないでしょうか。いつまでもグズグズグズグズと小競り合いを続けて、被害者が恒常的に捻出され続けるよりは、サッサと問題を解決してしまう方が良いでしょう。上記の通り、アッバス氏はそれを拒んだ。つまるところこれに関して、ネタニヤフ氏の怒りは相当なものです。最終的な局面まで進展するとなると、この戦争はイスラエル軍が勝つということになるでしょうが、そうなるところまで来てしまった。

(西暦2023年10月8日11時30分記載)
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