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「社会的地位や学歴はまったく関係ない…精神科医が「本当にバカだ」と思う人の特徴」というニュース報道に際して(西暦2023年5月3日記載)


さすが和田秀樹先生です。おっしゃっていることの内容はそのほとんどが正しいものと思われます。私は、「自分が失敗する可能性なんてイメージしたくない」の真逆をいっている者ですが、日本人の欠格というのは、人間関係ばかりに気を取られ、(それが捨象された)物事を具体性をもって考えないというところにあるのではないでしょうか。具体的な内容が無ければ、例えば政治家の誤りを追及することも出来ません。そこで、日本人に特有なものとしてあらわれるのが、「理由後付け」です。もう、相手を叩き潰すことが第一義として来てしまっている。だから、まともな人達は誰もそんなもの相手にしない。漫画家浦沢直樹氏の漫画作品「MONSTER」で描かれている様に、優秀な漫画家ですらもが、そういった視点で物事を捉えてしまいそう描いてしまう。私はあの漫画を酷評してますが、こういった日本人の悪しき特質から、和田秀樹先生がおっしゃっている様な事が起こるのではないでしょうか。

その日本人の悪しき特質の最たるものが、太平洋戦争中の「竹やりで空をつついてB29をうち落とせ」ではないでしょうか。「理由後付け」もはなはだしい。程度問題ということで個々人の防衛力には限界があるということでしょうが、それは世界の自浄作用でもあります。「後天的に」それを為そうとしているのが日本であり、竹やりで空を突く真似を人民にさせながらB29を落とそうとしたのは象徴的です。

我々日本人においては、罪と罰の具象化が為されています。もし、我々が、その具現体であれば、救われ様がありませんが、我々日本人には先逸的に血統維持が為されており、例えば、我々が外界と隔てられた島国の住人であるということもその一つです。それが牢獄であったかどうかは私は知りません。しかし、少なくとも、歴史上はそうではないでしょう。その点、ユダヤ人が統合(regenerate)の世界に生きているのならば、日本人は分裂(degenerate)の世界に生きています。種の保存という場合、それはregenerateです。ヒトの集団の二義性ということにおいて、それは日本人の行動原理や皇統維持概念と関係しているでしょう。その、regenerationとdegenerationの二面性が、(特には天皇制ということにまつわって)日本人において無尽蔵のエネルギーを生み出すということかと考えられます。太平洋戦争は、良くも悪くも、それの具象化が為された一例です。

にもかかわらず、日本はいつも「(我が国だけ)被害に遭った!被害に遭った!」の一点張りです。……そうです、「被害に遭った」のは紛れもない一般市民なのです。少なくともこの点に関して、主張するのは一般市民ではありません。

何故日本(に)だけ被爆国なのか、その理由について考えた事がある者がどれだけ居るのでしょうか。




「 組織が「ハイコンテクストな状態」であることの危うさ その組織風土が、不祥事の温床に」というニュース報道に際して(西暦2023年6月3日記載)


日本人ユダヤ人同起源説などということが云われているが、日本人の行動原理は基本的に嫉妬である。その意味でユダヤ人は伝統(主義)的である。種の起源という場合、ユダヤ人における血統維持において、それは日本人における人民総奴隷化と、コインの裏表、表裏一体の関係である。ヒトの集団の二義性ということにおいて、それはユダヤ人の行動原理や神概念と関係しているだろう。日本人の嫉妬(という行動原理)は、ヒトがヒトに帰順するにおける媒介変数に過ぎない。我々日本人においては、罪と罰の具象化が為されている。もし、我々が、その具現体であれば、救われ様が無いが、我々日本人(に)は先逸的に血統維持が為されており、例えば、我々が外界と隔てられた島国の住人であるということもその一つである。それが牢獄であったかどうかは私は知らぬ。しかし、少なくとも、歴史上はそうではない。その点、ユダヤ人が統合(regenerate)の世界に生きているのならば、日本人は分裂(degenerate)の世界に生きている。種の保存という場合、それはregenerateである。ヒトの集団の二義性ということにおいて、それは日本人の行動原理や皇統維持概念と関係しているだろう。その、regenerationとdegenerationの二面性が、(特には天皇制ということにまつわって)日本人において無尽蔵のエネルギーを生み出すのである。太平洋戦争は、良くも悪くも、それの具象化が為された一例である。

「日本」は古来よりそうやってつくられてきた。「神風」などというものは、外国の軍隊によって侵略され、蹂躙され、犠牲になった民衆の表象に過ぎない。それによって(地政学的に)日本の国土は守られた、日本の国は出来上がった万歳というわけである。日本の右翼の人達の、例えば、「南京大虐殺は無かった」という言説は、同じものに基づく。それが中国という国家の為であるとして、彼らはそう言う。しかし、それに反して、中国はそれについて怒りをあらわにする。やはり、大陸の人と日本の人では感覚がズレている。それがmiseryな現状維持のもと後天的に培われたものなのか、日本人に元来的なものという意味での真に「後天的」なものなのか、論を待たないだろう。…太平洋戦争中、神風特攻隊の隊員達は、「天皇万歳!」といって敵陣に頭から突っ込んで死んでいった。東条英機氏は開戦前夜日本国民に済まないといって涙を流したという話もあるが、彼はすべてを知っていたのだろう。Grand Old Partyが成し得たものはかくもそうである。私はこれを無視しない。南京大虐殺は無視しない。私は日本の天皇制支持者である。

自分達の話をしているに過ぎない人々は、自らを牛乳商品の製造過程における様に均質化している。これは(特定の)対象の同質化とは違う。対象が対象として存在する時点で、それは均質化ではなく同質化である。例えば、不等号の問題を考えた場合、A<Bという(不等)式において、均質化においては式が項と化している。ここでは、比較の原則において、不等号の存在が、Aという項とBという項の絶対を示しているはずである。ところが、式が項と化している場合、そこでは、相対が絶対と化している。そこでは、(均質であるが故に)Aという項の絶対性とBという項の絶対性が捨象されている。(自己)同一性の不認識という問題がここで立ち上がる。「違うが故に同じ」全体主義を、三島由紀夫氏は「戦時下における」という内容で表現した。もちろん、そのwell doneが出来上がったのは、実際、投下された二発の原子爆弾その他で出来上がった焦土としてである。既に為されている対象が、(自己)同一性として存在する場合、(世界は)分裂している。それは、アドルフ・ヒトラーの世界であり、未来は確約されている。その確約された未来というdegenerationが、人民総奴隷化が(は)避けられ「同じが故に違う」個人主義が為されるという意味で、regenerationを招くのである。


~コメントに返信~


質問者:

大きな組織が問題を生むというより、個人、つまり、生物としての当たり前に引き起こされる事象ということですね。

例えば、日本人ユダヤ説は日本人<人間 であり、
人間<生物

よって、生物を観ることは人間を観ること。

その点から考えると、神風や天皇制は
日本人<神なる国

という意識づけによってなされたということ。

全ての元凶ですね。

とりあえず、問題が起こった会社は風土的に、縦割りであり、日本的と言われる所以また、
宗教的な部分も包括するため、日本人ユダヤ説と言われる。
ナチスはこの構造を破壊しようとして、自らが同じ構造に入り込み自滅していった。

こんな解釈をしています。どうでしょうか?


回答者(私):

レトリックの問題と言ってしまうのは簡単ですが、以下、そうではなくて、つまり、(例えば)「日本人」の定義が曖昧であるとかいった所に問題があるということではないでしょうか。

「日本人」(の定義)は曖昧ですが、強制収容所に記録(記載)が為されている「ここで六百万人のユダヤ人が殺された!」(の定義)は曖昧ではないでしょう。これはレトリックの問題ではないと見做され得るでしょう。




「悠仁さま“無表情報道”に違和感 初めての地方公務では笑顔も!「成長を感じる」と皇室解説者」というニュース報道に際して(西暦2023年8月1日記載)


今の令和の天皇陛下は、特に悠仁様のことを慮ってかどうか存じませんが、早く天皇になれるならなった方が良いといった様なことをおっしゃっておられました。私も、個人的な期待もあってか、悠仁様には早く即位してもらいたいと思っています。皇位継承順三番目で、私が生きている間にそのお姿にお目にかかれるかどうか分かりませんが、楽しみにさせていただいております。


~コメントに返信~

質問者の方:こんにちは。
〉今の令和の天皇陛下は、特に悠仁様のことを慮ってかどうか存じませんが、早く天皇になれるならなった方が良いといった様なことをおっしゃっておられました。
私もそう願いますが、初めてその様なことを聞きました。差し支えなければソースを教えていただけないでしょうか。

回答者(私):こんにちは。すみません、私もここのMicrosoft Startのコミュニティー(?)のニュースの何処かで見ただけなので、何のニュースがソースとなっているかよく覚えていないのです。まあ、フェイクニュースもいっぱいあることですし、そもそもそのニュースによって提示された情報が事実ではない可能性もあります。申し訳ありません。

質問者の方:承知いたしました。
返信、ありがとうございました!

回答者(私):こちらこそ。ありがとうございました。




「ヒトだけが「他人との比較」に執着するのはなぜか 人類に刷り込まれている不公平への拒否感」というニュース報道に際して(西暦2023年7月6日記載)


日本人ユダヤ人同起源説などということが云われているが、日本人の行動原理は基本的に嫉妬である。その意味でユダヤ人は伝統(主義)的である。種の起源という場合、ユダヤ人における血統維持において、それは日本人における人民総奴隷化と、コインの裏表、表裏一体の関係である。ヒトの集団の二義性ということにおいて、それはユダヤ人の行動原理や神概念と関係しているだろう。日本人の嫉妬(という行動原理)は、ヒトがヒトに帰順するにおける媒介変数に過ぎない。我々日本人においては、罪と罰の具象化が為されている。もし、我々が、その具現体であれば、救われ様が無いが、我々日本人(に)は先逸的に血統維持が為されており、例えば、我々が外界と隔てられた島国の住人であるということもその一つである。それが牢獄であったかどうかは私は知らぬ。しかし、少なくとも、歴史上はそうではない。その点、ユダヤ人が統合(regenerate)の世界に生きているのならば、日本人は分裂(degenerate)の世界に生きている。種の保存という場合、それはregenerateである。ヒトの集団の二義性ということにおいて、それは日本人の行動原理や皇統維持概念と関係しているだろう。その、regenerationとdegenerationの二面性が、(特には天皇制ということにまつわって)日本人において無尽蔵のエネルギーを生み出すのである。太平洋戦争は、良くも悪くも、それの具象化が為された一例である。

精神科医もそうだが、自分達の話をしているに過ぎない人々は、自らを牛乳商品の製造過程における様に均質化している。これは(特定の)対象の同質化とは違う。対象が対象として存在する時点で、それは均質化ではなく同質化である。例えば、不等号の問題を考えた場合、A<Bという(不等)式において、均質化においては式が項と化している。ここでは、比較の原則において、不等号の存在が、Aという項とBという項の絶対を示しているはずである。ところが、式が項と化している場合、そこでは、相対が絶対と化している。そこでは、(均質であるが故に)Aという項の絶対性とBという項の絶対性が捨象されている。(自己)同一性の不認識という問題がここで立ち上がる。「違うが故に同じ」全体主義を、三島由紀夫氏は「戦時下における」という内容で表現した。もちろん、そのwell doneが出来上がったのは、実際、投下された二発の原子爆弾その他で出来上がった焦土としてである。既に為されている対象が、(自己)同一性として存在する場合、(世界は)分裂している。それは、アドルフ・ヒトラーの世界であり、未来は確約されている。その確約された未来というdegenerationが、人民総奴隷化が(は)避けられ「同じが故に違う」個人主義が為されるという意味で、regenerationを招くのである。
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