「「テロリストの主張は仮に正論だとしても認めない」との態度を示すべきだ」というニュース報道に際して(西暦2023年5月2日記載)
おっしゃりたいことはよく分かります。確かに、明らかに言ったり行ったりしない方が良い事というのはある。ナチスによるホロコーストなどいい例でしょう。しかし、「テロリストの主張は仮に正論だとしても認めない」というのであれば、それは実際(その)テロ行為に及んだ当該のヒトに対するシステミックレイシズムでしかないしょう。それでは本末転倒です。もし、そういうことならば、テロリズムにおける被害者の側(までも)がテロリズムに加担しているということになり、テロリズムにおける加害者のシステミックレイシズムである(その)テロ行為を是認することになってしまいます。そこでは、社会から放逐されたテロリストと該当社会の構成員との間での、戦争が起こります。しかし、そこでの勝敗は目に見えています。テロリストもそれが理解出来ない程馬鹿ではない。要は、それに至るどの様な経緯があれ、(犯行)現場において事を実行させなければ良いということです。つまり、そういう類の人間は(それがどういった表象のものであれ)どんどん減っていきます。只、そこには、ヒトにおける自由意思(自由意志)がある、が故に、「法は社会の反映である」(ここで云う法とはかなり広義の意味ですが)。「自由からの逃避」を宗(旨)とする人々の(自己破滅的な)行動原理とはそういうものです。仮に、フロイトの性欲理論の様なものが持ち出されたところでそれは慰めに過ぎず、彼らがゴキブリ並の繁殖力で増殖したとしてもそれは同じことです。基本的なところは何も変わらない。