「日本人はなぜマスクを習慣化できた?「変化を嫌う人」も納得の効果的方法」というニュース報道に際して(西暦2023年4月30日記載)
マスクの着用への能動ということについては、その一つに、日本人の多数を占める「内向き」の発想があるのではないかと考えられます。「内向き」のヒトが多数を占める日本人に対して、欧米人は「外向き」のヒトが多数を占めます。例えば、植物やなんかでも、欧米のヒトは、ベランダに、その下を通る通行人のことを考えて、「外向き」に、見せるように陳列したりします。しかし、日本人は、「内向き」に、あくまで自分たちが楽しむためもしくは見て気分のいいように陳列します。他には、例えば、迫りくる自動車に対して大人が子供をどう守るかということについての違いもある様です。「外向き」のヒトは、体を反らして腹部を前面に出し背中で子供をかばう様に守るという反面、「内向き」のヒトは背中を丸めて背中を外敵に対して晒し体の前面で子供を守る様にかばう、ということもある様です。もちろん、どちらが対象の防衛能力が高いかと言えば、それについては論を待たないでしょう。
「違うが故に同じ」全体主義を、例えば三島由紀夫氏は「戦時下における」という内容で表現しました。もちろん、そのwell doneが出来上がったのは、実際、投下された二発の原子爆弾その他で出来上がった焦土としてです。既に為されている対象が、(自己)同一性として存在する場合、(世界は)分裂しています。それは、アドルフ・ヒトラーの世界であり、未来は確約されています。その確約された未来というdegenerationが、「同じが故に違う」個人主義が為されるという意味で、regenerarionを招くのであるということです。
しかし、事(単純もしくは純粋に個人的な)マスクの着用ということとなると、「内向き」志向がモノをいうということではないでしょうか。それは、衣服を着るということと同じことで、例えば衣服の場合は、見せる為のお洒落の道具としての側面よりも防寒具としての役割を持つ道具としての側面が第一義として(先に)来るのではないでしょうか。