「ダウン症のバービー人形初登場 誰もが受け入れられる社会に「前進」」というニュース報道に際して(西暦2023年4月27日記載)
人形自体はともかくとして、私は、これを見ていてあまり気持ちの良いものではないと感じる。グロテスクとまで言うと、露骨な差別に該当するし、社会的な制裁を受けても文句は言えないので、そういう表明を行う気は無いが、やはり生物(学)的な本能を無理して押さえることは出来ない。
何故障害者が障害者なのか?該当の障害者の人が持つ該当社会における障害者の認定は、その人の権利であるということが出来る。例えば、それが如何に凄惨な事件であろうとも、犯罪の加害者を裁くのは司法であり、そのシステムに則って該当の人々が判断を下す。法は犯罪の加害者の為にある。もし加害者において法の裁きなど必要無いというのであれば、即時殺す云々というそういう世界である。それは私刑の世界であり、法治国家においては認められない。犯罪の被害者は本当に気の毒である。だからこそ、加害者に対して法の裁きを、というのが法治国家の理念だろう。「法は社会の反映である」。私はここで、障害者を犯罪の加害者や犯罪者だと言っているのでは勿論無い。
上述の「生物(学)的な本能を無理して押さえることは出来ない」というのは、障害者が障害者の権利を放棄しながら、且つ障害者の権利を主張する(かのような)、その矛盾に対してである。