本日付けの朝日新聞の朝刊に柄谷行人さんに関する記事が載っていますが、交換について論じている方もいらっしゃる様です。ところで、例えば、「memo7」という記事で書いた香水の件について、本人が害意をもって使用している市販されていないものでもその様な効能のある市販されているものでもなく、贈与されたものである可能性があるじゃないか、という意見の方がいらっしゃるかもしれません。
以下は、多分半年か一年くらい前に、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が書いて別ブログサイトに記載したものですが、
「「お前の価値承認など求めてはいない」という相手が社会には存することをヒトは知るべきだろう。詩人金子みすずの「みんな違ってみんないい」というのは、臭いものをにおわなければいけない義務的心理をあらわしている(に過ぎない)。その他者の価値を認めることも無いし、その他者に自分の価値を認められる必要も無い、という他者が社会には存するということをヒトビトは知っているはずである。他者への社会的価値承認要請を行う者は疎ましがられるだろう。「社会的価値承認欲求(の存在)」という形容で為される人々はまだ社会的に是認される余地もあるかもしれない。しかし、これが前者となるとうっとおしがられ社会的に排斥されるだろう。それは、他者に対して自らの社会的判断を押し付ける者であったり、他者に対して物理的暴力を振るう者であったりするだろう。」
ということであり、「自らの社会的判断の押し付け」や「他者に対する物理的暴力」は全て「交換」に含まれます。その中でもこれらは、「贈与」という分類において為されるでしょう。何故ならば、以下も私が書いて別ブログサイトに記載してあるものですが、
「加害者が特定の事柄Aを行うにおいて、仮に加害者がそれを悪事であると認識して行っていなくとも、加害者はそれが被害者の是認を求める行為となっていることは理解できるものであるということです。……それが被害者にとって少なくとも短期的には損益となる加害行為を加害者が被害者に対して行う場合、その行為によって被害者は是認を求められているものです、何故ならば被害者は損益という呵責で判断されているからです。しかし、この場合、「短期」の解釈が問題となってきます。」
ということだからです。
つまり、私はそれを(牛乳商品の如き)均質化と呼んでいますが、「交換」によって意思決定者による他者の「取り込み」が為されているわけです。笑いと嗤いは違うでしょうが、他者を嗤う者が社会的に排斥されていくのは当たり前です。彼らは全て鉄砲玉です。いわゆる「ウザい」という俗語を考えてもらうと分かり易いかもしれません。
ここで、個人の社会的価値判断や個人の社会参画ということが問題となってきます。私は、ヒトにおける自己同一性というものを、生物学的な自己同一性と社会学的な自己同一性とに分類して物事を説明していますが、個人の社会参画は多層的であり、それが為されるにおいて、個人の経済的自立ひいては個人の精神的自立ということが論じられるかと考えられます。特に、女性の他者(特に男性)に対する精神的依存(「取り込み」)を防ぐ為、女性の経済的自立が推進されるべきですが、つまるところ、流動性(liquidity)というのはその様な(動態的な性質を持つ)ものであるということです。昨今、経済学者の間で、「経済の金融化」ということが云われている様ですが、お金の機能が(その様に)滅却された社会の有り様を想像してみて下さい。
そして、そういった人間達によって、例えば、医療の現場において、informed consentの徹底無視が謀られたりするわけです。患者側にしてみれば、その場合、クランケとしての自己にまつわる医療情報に完全にコミットしないか完全にコミットするかということしかなくなるわけです。医師の判断は絶対ということになり、医師は患者についての責任を(全く)取りません。精神医学の世界では、精神医療の現場において、これが常態化しており、私が以前「精神医学界は医学界の被差別部落であり、サッサと黒船を送りつけないとダメ」と書いたのはこういうことです。私は、過去、これの筆頭とも呼べる精神科医と関わったことがあります。ここには、彼ら(患者と医師)において、均質化の機能が働いており、彼らが存する限り「ジャップはファッキンだ」という価値判断を全世界から断決されることになります。もう、こういった人間達には、人種や民族に関係無く、日本の国土からサッサと出ていって欲しいのですよね。彼らが全く日本の価値を貶めているわけです。
「シタデル創業者、反中色の濃い法案と闘い勝利-フロリダで存在感」というニュース記事に際して(西暦2023年8月17日記載)
NATOのストルテンベルク事務局長のおっしゃる、ウクライナに対してロシアに領土の一部を割譲させそれと引き換えにNATOへの加盟を認めるというのは、良策ではないかと考えられるが、ゼレンスキー氏がこれを拒否しストルテンベルク氏はこれを撤回してしまった様である。ロシアはNATO領圏内は攻撃しないだろう。もし攻撃したらば、その場合は全面戦争であるとはっきりと宣言しておく。そうすれば、そのリスクを(で)鑑みれば、東側はNATO領圏を攻撃せず、ウクライナでの戦争も終わるだろう。勿論、仮に禁が破られた場合は、双方共に核を飛ばす事も考えねばならない。
このシンプルなものの見方に基づく、ここで云う「アメリカ経済圏」というのは、アメリカを暗に社会主義国家として扱おうとするものであり、しかし、アメリカも従来通りの自由競争の(他国への)流布ということでは、アメリカを社会主義国家化しようとすると(逆に)都合の悪いBRICS諸国によってそこの匙加減を調整されているということである。強権的なものの方が力強く強大に見えるという識者の方もいらっしゃるが、実際そう「見える」場合において人民がどう動くかということを考えれば答えはおのずと出るはずである。
(西暦2023年8月17日12時49分15秒記載)
「「夢は人を殺す」教師の助言無視した少女のその後 漫画「夢なし先生の進路指導」(第1集・第1話/前編)」というニュース記事に際して(西暦2023年8月18日記載)
この日本という島国は、地獄の実験場。別に、誰がそうしている訳でもない、そうなっている。被害と加害のそれぞれの意識の暴虐の中で、皆「そう」生かされている。…「他人など関係が無い」、それは運命論者におけるあこぎな結論の一つ(かとも思わせるがそうでもないかもしれない)。エゴを肯定するサタニスト達を、例えば、トルストイは否定しただろう。サタニストというおは、肯定されることによって否定され否定されることによって肯定されるのである。逆は然らず。"Spieglein. Spieglein an der Wand..."まではまだ良かったのである。これが「人間失格」になっては拙いのである。「他人の幸福の上に自分の幸福を築いてはならない、他人の幸福の中にこそ自分の幸福もあるのだ」という文面において、私がトルストイの様には偉くないということかもしれないが、自分の幸福というものは他人の幸福を前提としてそれからフィードバックされて返ってくるものではないかと考えてしまう。これは、間違いなく、積み重ねているということにおいて、後者ではなく前者に該当するものであろう。…私は他人の幸福を真に喜ぶことの出来る生き物ではないのかもしれない。もし、後者の様な人ばかりであれば、人間社会も上手くいくかもしれないが、彼らはBefore Christにおいておおむね犠牲になる事が多かっただろう。
日本人は、自分達についての社会的生態を知っている者らと知らぬ者らに二分されると云ってよい。前者は、後者を、主に「公教育」という名の汚物で穢そうとひたすらに様々な事を試みていた。前者は、私達の祖先の実態についても知っているのだろう。まるで、海の向こうの人々へ、「これがお前らが(私達に対して)行っていることだ」と言わんばかりである。しかし、海の向こうの人々はサタニストではない。誰も相手にしてくれないどころか、社会生成上目障りだと云われて、空の上から焼かれた。無様である。あの義務の伴わぬ権利のみをひたすら主張する者共。私はここで、具体的な法制度の云々について言及しているのではない。汎社会的に、義務の伴わぬ権利や責任の伴わぬ自由などといったものは存在しない。障害者が障害者であることは、障害者の権利であると同時に(社会的)義務なのである。その者がその者であることは、その者の(社会的)権利であると同時に義務である。自己同一性ということにおいて、生物学的なそれと社会学的なそれは区別されねばならない。「名は体をあらわす」というのは、生物学的な自己同一性に基づくものではなく、社会学的な自己同一性に基づくものなのである。「存在の機」という場合、それは生物学的な自己同一性である。「存在の価」という場合、それは社会学的な自己同一性である。生物学的な自己同一性とは、該当対象である生物が無生物でなく存在するにおいて在るものである。生物における繁殖能力に当該的に任された該当対象である生物における遺伝子の攪拌?それは違うだろう。ところで、生物と無生物の境界はどのような形で有るのだろう、という疑問がここで出て来る。得られたデータと対象のobject(自体)は違うので、知の能の「存在の機」は存在する(ということが言える)だろう。
(西暦2020年6月12日16時30分記載、西暦2023年8月18日18時57分15秒加筆改変、西暦2023年8月27日13時00分30秒加筆改変)
「息子は日本に50人しかいない希少難病「アレキサンダー病」。医師からの「確実に死ぬ」という残酷な言葉に涙が止まらなかった【体験談・医師監修】」というニュース記事に際して(西暦2023年9月12日記載)
残酷な様ですが、確実に死ぬんだから気にする必要は無いと思いますよ、だって確実に死ぬんだから。私も統合失調症という精神の病気に罹っていますが、我々は死を恐れるように教育されているんだと思いますよ。皆、いずれは、確実に死にます。それの具体的時刻の問題であるということです。障害者のヒトが障害者であることは、その人の義務であると同時に権利です。責任の伴わない自由が存在しないのと同じく、義務の伴わない権利も存在しません。障害者が障害者であることは、障害者の権利であると同時に(社会的)義務です。その人がその人であることが、その人の(社会的)権利であると同時に義務であるのと同じ様に。
(西暦2020年9月12日14時00分記載)
「京都市から若者と子育て世代が離れていく理由 インバウンド誘致に奔走も市民の流出止まらず」というニュース記事に際して(西暦2023年6月13日記載)
「見られる側」「訪れられる側」になるというのが嫌というのもあるんじゃないかと考える。確かに京都自体は美しい街、でも、そういうこともあるだろう。一部にこういうことを言う人が居るが、京都の町の仕組みは大陸的、日本的じゃない。自分達を中心にしてそこから左京右京始まる。simcityシリーズのゲームとかやってると分かるけど、そういう文化人類学的な街解釈は、そこに住まう人々の風土観に多大に影響を及ぼす。子供が育つ上で、そういう(京都特有の)事が、現代日本の社会においては問題とされるのかもしれない。若者らはそれに敏感で、自分達が育つそして自分達の子供を育てる環境として京都を選ばないという側面もあるかもしれない。例えば、名古屋人というのは一般的に名古屋圏から出たがらないと云われているが、これが京都人ということになると、私は京都に住んだことが無いので何とも断言は出来ないが。
「【旧統一教会】韓鶴子総裁「日本は滅ぶ」「戦犯国は賠償すべき」発言に...鈴木エイト氏「教団は粉飾や金銭トラブルで財政難」」というニュース記事に際して(西暦2023年7月5日記載)
新興宗教について、「教団は粉飾や金銭トラブルで財政難」かどうかはどうでもいいんだけど、例えば、金正恩氏が「日本を利用したい」って言ってるよ?どうすんの?この婆さんだって、「日本は滅ぶ」、「戦犯国は賠償すべき」、でしょ?核ミサイルブチ込まれて爆散っていう方がマシかもっていうアレだよ?只、国土に対する責任、みたいなものがあるでしょ?誰も死なせてくれない。地獄だ。現行の日本人として言うならば、「ウチら」は都合良く死ねるかもしれない、しかし、この国土がある限りにおいて、この国土が破滅することは目に見えている。鬼畜やそれを食らう羅刹が跋扈する国だ。それを避ける為に、日本人の中でも、有志の人々が頑張っているのに、まあ、どうしようも無い連中は本当にどうしようも無い。家畜だ。せめて、獣肉忌避に戻れ、とは言っておく。
「池上彰氏「ネット上のウソ情報に騙されないコツ」 オススメしたいのは新聞の読み比べ」というニュース記事に際して(西暦2023年7月6日記載)
は?何言ってんの?新聞なんて社説その他レベルの低いことがいくらでも載ってる。ハードコピーの媒体だからといって安心しないこと。こんな芸能爺さんの駄言なんか相手にするな。自宅には、産経新聞らしきものと読売新聞らしきものが配達されるが、酷い場合は明らかにフェイクであるものが届く。広告欄もそうだし、例の、アレ、あるじゃない、あの英文で形容詞の前に不定冠詞や定冠詞が付いてるヤツ。ああいうのが平気で載せられた新聞紙が届いたりする。あんなもん誰も相手にしねーよバーカというところのアレ。
「歴史上最も恐ろしい人道的犯罪の数々」というニュース報道に際して(西暦2023年8月29日記載)
折角欧米人が無理をして相手をしてくれていたのに、日本人の一部が自らの立場や身分を弁えず調子に乗るが故に、我々日本人はまたも見捨てられることとなった。我々日本人は、三度そしてそれ以上焼かれる。後は、中国あたりに食われて「終わり」であろう。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)個人は大丈夫である。日本の愚民がどうなろうが、もはや知らぬ。子孫を残す事も無い。畜群が墜ちるところまで堕ちようと、私の知ったことではない。連中は、無間地獄で焼かれ続ける。…そうである、最初から、畜群の体裁を、牛乳商品の如き均質化などと呼ばずに、無間地獄と呼んでおけば良かったのである。
昭和天皇は悪質であった。現在の上皇様、平成の天皇陛下は良かった。現在の天皇陛下、令和の天皇陛下や秋篠宮様がどうであるかは存ぜぬ。私は、早く悠仁様が天皇になられれば良いと考えている。彼は、今、おそらく、真面目な少年である。自分の息子程も年の離れた将来の天皇陛下を賛美する事は、些か気が引けるものではあるが。私は、一国民として、悠仁様は信頼のおける方であると思っている。
「社会主義国家」というものがどういうものであるか、西側は理解しようとしない、のではなくて、西側はそれをあらゆる手段を用いて潰そうとする。経済制裁の影響がどうとか経済成長率がどうとか、はっきり言って関係が無い。下手をすれば、中央銀行がカネをスれば良い、とか、そういう世界。その意味では、やはり、西側は「社会主義国家」というものがどういうものであるか理解していない。「理解しようとしない」「理解していない」というのは、西側は必死に東側をドライヴしようとするが、しかし、東側ははっきり言って相手にしない。西側は、物流も社会制度も何もかもをも(東側へ)供給しているつもりで、実は(東側を)需要している。西側は、人々が生きているということを(がどういうことであるか)、実は少し、哲学的に考える必要がある。自分達は先進的であり需要される側のはずだというのは西側の奢りである。東側は巧妙に西側を利用しており、東側は西側を出し抜き続けている。中国は「こうだよ、こうだよ、」と西側に教え続けているが、ロシアはもっと狡猾であり本当のことを西側に教えたりしない。そして、アメリカも、実際のところそれを理解している。その意味では、これはイスラエルとイギリスとの戦いかもしれない。両国では、西と東が逆転している。というよりは、日本の政治家の前原誠司氏が「外交は様々なチャンネルで行われている。その全てをここで明かすことは出来ない。」とおっしゃっていたが、そういうことである。戦争は一般市民をより多く殺す為に行われているという見解もそれはそれで間違っている。戦争を最も儲かる産業であると言う経済学者は確かに居るが、「戦争は最も儲かる産業である」とする解釈と戦争を「戦争ビジネス」であるとする解釈では全く違う。「それ」について、例えば、中国は、習近平氏の下、非公式にやっている。北朝鮮は、金正恩氏の名の下、公式にやっている。日本は、「それ」が社会的常識としてスタンダードに通って(しまって)いる(やるまでもない)。日本の様では、破滅が導かれるだけであり、結果、我々の民族は見捨てられた。
(西暦2023年8月29日5時2分40秒記載)