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memo118

私は、ウクライナでの戦争へと本国から派遣された北朝鮮の兵士の人々はよくやってくれていると思う。現地において、敵味方関係無く白色人種の人々には嫌がられるだろうが、そんな事はどうでもいい。よく日本という悪党集団をして潰れさしめんとしてくれた。…自壊、自虐の果てのその被懲罰が我々日本に対する全世界からの答えである。若者達も(何がどうなっているか理解して(の))それを知っている。だから彼らの多くは子供を作らない。少なくともこの国の人々は(順々に)これから減っていく。蛮族の自覚。弁えろ老人共。貴様らは簡単には死ねぬ。それが貴様らの望みだったのだろう。都合良く雲隠れとはゆかぬ。…さあ、天の火を撃ってみろ小虫共。「どうせ滅びるのならば」、貴様らお得意のセリフだろう。それが破滅であろうが死滅であろうが語義の問題に過ぎず同じである。貴様らさえ居なくなれば、それが(は)現象的問題として取り扱われる。特定の対象である何らかの客体において、単にそれを「それ」と云っているのは馬鹿である。それの存在義において「それとは何か」と問われ得るという事。例えば、この文章を記述しているのは私Shinpei Sugiura(杉浦真平)である。私が「それ」を記述している。「はじめに言葉ありき」という概説が私の存在を裏付けるものならば、「それ」は何処から来るのか?


(2024/10/29 16:18)
(2024/10/30 19:49)




私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、常々、「違い」に対する不快というものを抱いている。それは、例えば特定の個人Aと特定の個人Bとの違いを認めない事が「違い」をあらわしているという事に端的にあらわれている。少なくとも日本という事での女性差別は、女性だからという事での女性への当該的な同定に拠って為される。それは、女性だから可という無根拠な女性への是認という側面と、女性だから不可という無根拠な女性への非認という側面に拠って、為される。其処では、(当該女性に拠る)具体的社会参画は全て女性以外の存在(多くの場合は男性)に拠る認非認以後の事である。逆に云うと、女性というのはそういった生き物であるという事である。彼女らは、特には他己承認を求め(「られ」)、特定のモデルの中にて生きんとする。まずテキスト化された存在ありきだという事である。かといって、(その日本国において)、女性が自体的に差別的且つ被差別的かというと、そうではない。逆説的な言い方だが、日本という国は良くも悪くも東側の雄であり、社会主義性が極められた其処では、社会全体が(で)女性的な空気が醸成されている。女性的である事ならではの事として、性が意識され、その後、特には強者である男性性が意識される。よって、「アメリカは女の国、日本は男の国、という主張が為される」。社会的事項の殆どにおいて、其処日本では、罪と罰の具象化が為されず、我々は「その」具現体である。…原子爆弾が二発落とされ、我々の自己同一性は国境線上にしか無い。我々日本人の国家形成概は女性的である事に拠って存在せず、「海辺へのモメンタム」がそれを為す。皮肉にも、それが(現代日本においても)日本の天皇制を形作り統合(regenerate)さしめている。然るに、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、天皇陛下御個人とは別人であり、本日西暦2024年11月1日の産経新聞(の朝刊)の社説にUNに拠る女系天皇容認の日本国に対する強制への反対意見が載せられているが、女系天皇容認は日本国を壊すところの女性差別そのものであり、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は日本の天皇制支持者である。


(2024/11/1 12:25)




OpenAI did a good job. They changed ChatGPT into a major search engine. Google as search engine dominant is getting loose now. As well as a senior scientist at Google mentioned that people hope for artificial general intelligence Google Gemini is none of our business, I guess.


(2024/11/2 2:58)




ジャン・カルヴァンは、キリスト教新教における厳格な生活様式(までも)を一般市民に課した。これは、現代の先進的な社会に生きる人々においては、課す側課される側、一見しては保守的に思われても、(自己の存在の基盤を為すものとして)当然のところのものである。デイヴィッド・ホロビンという欧米の精神医学者が、数百年前に生きていた人々は殆ど皆スキゾフレニアであったという説を展開しているが、これも納得のいく話ではある。つまり、問題は、(ここ)数百年ではヒトの知能は大極端に変逸するものではないというところに存するものである。(その)現代においては、「知的減弱は一切認められないものであるにもかかわらず…」と云った表現に拠りスキゾフレニアの特徴としてそれが医師達に拠り定義とされているが、これは教育その他に拠り(ヒトに拠っては)改善され得るところのものなのだろう。つまり、カルヴァンに拠る人々に対する生活様式の(一見しての)押し付けはテキストではなかったという事である。


(2024/11/4 12:49)




生きるなどというのは臭くて汚い。生きれば生きる程目の前のものが卑しく腐っていく様に思われる。何かを手に入れながら生きていく程にである。誰かが得ると失うを対義のものとして(の)見解を述べていたが、得ると失うというのは単(ひとえ)に生きるという事の両義(多義)ではないか?その生きるという事における両義性(多義性)が具現化されたものが他存在という事だろう。これは具体的な物体だけにおける事ではない。特定の対象である何らかの客体が自己の存在の可効範囲にあるのかどうか、他存在をバラすという事が生きるという事だろう。「ヒトは食われた進化した」などという事を云う人も居るが、つまるところ義の無い人間は無力感に苛まれ、モノを食う事も出来ないだろう。実際、彼らは社会的に排斥され、食い扶持を稼ぐのにも事欠く。そう、彼らにおいては生きるという事が目的概化しており自己の存在がテキスト化されてしまっている。「自己の社会的キャラクター化」などというのは、この種の自虐の最たるところのものである。実際、ヒトの進化が現代へと移り変わるに従って為されるにおいて、この種の人間は増えており、社会制度が進展し技術の革新が為されれば為される程、彼らにとって生き易い環境が到来するものであり、「ヒトは食われて進化した」のであろうが…ところで、事実というものがある。これは他存在に拠ってバラされ得ない。つまり、事実は事実であり、「客観的な事実」などという言い方はナンセンスであるという事だが、ともかく、ヒトは「食っている」時点で「食われ(得)る」事も認めねばならず、自己(もしくは他者)を事実化するというのは病的である。当該事実を無視するという事は出来るだろうが、自己が無視したものイコール存在しないものではない。


(2024/11/5 18:11)




日本のメディアに拠る中国叩きが凄まじい。しかし、それは彼らに拠る彼ら自身へのネガティブキャンペーンでしかない。彼らは、例えば「中国経済凋落」といった様な表現を高頻度で使う。何度でも云うが、彼らは、中国が生粋の社会主義国家である事を理解していない。特に習近平氏が指導する現代のCCPは、関知する限りにおいて、国家に経済(学)的不都合が起こると、介入管理しようとするだろう。BRICSの存在とその如何、プーチン露大統領が国際的に指名手配されながら現在に至るまで逮捕されていないという事実で(日本のメディアはその辺りの空気を)鑑みるべきであるという事である。西側が叩けば叩く程、東側は社会主義(化)の度合いを強めていくものであり、先述の通りそれは叩く側の自虐でしかない。この度のアメリカ大統領選挙におけるドナルド・J・トランプ氏の再降臨はその事を如実にあらわしている結果だと云えるだろう。


(2024/11/6 18:54)
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