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例のベイルートでの機器爆発事件について、一部の日本人が噛んでいる事は間違いが無い。同機器群に日本製の部品が使われていたという報道は、それが事実であるにしろ事実でないにしろ、「津波」を防ぐ為の日本兵に拠る防御壁工作。イランの人もイスラエルの人も大迷惑。一部のアメリカの要人達は本気でイラン(の少なくとも(現行の)社会体制)を潰そうとしているが、彼らにとっても今回の事件は大迷惑。

今回立ち上がった、UAEと日本とのtieは、上記の「日本人の一部」とは異なる日本人の内一部の有志の人々に拠るもの。


(2024/9/19 20:27)




「正統に(?)業績を出しているのに自社の株価が暴落するのはおかしい」とか、さ。ナメてるだとか何だとかいうよりは、何かこう、勘違いしてるんじゃないの?(特に(は)自分達にまつわって)構造的差別の実績が在る限りにおいて自分達もその標的になり得る、っていうね。「ダメなものはダメ」。

構造的差別ならばそれで、実態や実質を無視し、「ヴィジュアル」で誤魔化す、典型的な「日本」の大本営発表。第二次大戦中のアレと同じ。自分らで自分らを食い物にし合うクソミソな状態。それを全て海外のせいにして、それを根拠に彼らにぶら下がる、事を正当化しつつ、対等であるかの様に見せかける。

(その、日本人が)対等であるかの様に見せ掛けるって、誰に(何を)?「虚勢を張る」とかいう言い回しも的外れで、集団洗脳だとか「強制収容所」とかい(ってしま)うのも少し違う。「マテリアル・ガール」といった表現を取る人も居るが、「分からないフリ」なんだろうねアレは。逃避概念の目的概化。

その日本人における逃避概念の目的概化という事において如何に他者を被搾取者に仕立て上げるかという事がある。逆に言うと日本人というのはその過程に在る生き物。だからデータとして持っていかれ(得)る。それを「分からない」為の苦肉の策が例の大本営発表の連発。罪と罰の具象化が其処で為される。

我々がその具現体という事であれば救われ様が無いが、それの代名詞が「竹やりで空を突ついてB29をうち落とせ」であるところの罪と罰の具象化が我々日本人において為されている限りにおいてそれは天国と地獄という事柄に為って来るだろう。三島由紀夫氏は一説でそういう事を言いたかったのだと考える。

…かつて、ウラジーミル・プーチン露大統領が、御自身のKGBのスパイとしての経験からか、「証拠を残すな」と仰っていたのを記憶している。同氏は、ヒト(という生き物)の悪性についてよく御存知なのだろう。(全ては)身を守る為(という事もあり)。自身の「死」を歴史上の産物としない為(にも)。

…現代日本にも古代ギリシア人的人間は居る。只、概してそれらはソクラテス的である。(過度にアナログに過ぎるという点からしても)私もその一人だろうが、私は彼らの敵プロタゴラス的である。彼らソクラテス的人間は概して精神異常を患っており、彼らは私を徒党を組んで襲い彼らと同じに扱うだろう。


(2024/9/21 20:49)
(2024/9/22 11:49)
(2024/9/22 12:24)
(2024/9/22 12:38)
(2024/9/22 17:23)
(2024/9/22 17:40)
(2024/9/22 17:53)




我々男性において女性が好まれるのは果たして本来的なものなのか?そうではないだろう。人々の(全体主義の)理性が各個人において当該の性のパートナーを好ませるのである。

「わかりのあり」という事にまつわって、それがもたらされるのは、ヒトに物事の学習能力が備わっているからだろう。ここで(は)、「もたらされる」の解釈が問題となるが、其処に「あるのわかり」が認められるのは(いずれにしろ)正しいという事に為るだろう。つまり、(少なくともヒトの)知能というのは客体に対して並列のものであり直列のものではなく、「それ」が知能と呼ばれる(も)のである。つまり、教育というのは効率的に知識を得る能力や知識を効率的に(は)与えてくれるという事はあるかもしれないが、ヒトにおける知能を減免させる事は間違いが無いだろう。逆に言えば、そういうもの(一般)を教育と呼ぶのであり、其処(に)は(良くないものを無理やり(にでも)良いと思わなければならないという)性善説が支配する社会のところのものである。例えば小魚を用いた「めざし」という食糧を考えた場合のその物理性で鑑みれば分かり易いであろう。盲目、愚鈍、性善、(被)洗脳、(反)社会(性)…これらが無ければヒトの社会は成り立っては来なかった。


(2024/9/23 1:42)




人間関係で大切なのは、まず(自己にとって)他者というものがどういうものであるかきちんと知る事である。中には味方も居るだろうが、それ以外は敵である。そういった意味で、他者をきちんと無視しない事である。自己が無視されるのは、その自己を無視する対象からは攻撃は飛んで来ないという事なので、特に気にする必要は無い(というよりはむしろ都合が良い)が、自己が他者を無視するという事は他者集団に対してスキを作るという事なので、他者一般に対する"To be or not to be, that is the problem."という事での節意(せつい)は持っておいた方が良い。つまるところ、人間関係というのは、他者に無視される事に拠って出来上がるのである。対象(客体)に対して直列の関係を担う者は我(欲)の塊であるだろう。彼らは死そのものであり、無視される事をひたすら恐れ、他者もまた(自分達に)無視される事を恐れるものであると思う(様である)。先述の、「知能というのは客体に対して並列のものであり、『それ』が知能と呼ばれる(も)のである。」においては、生存行動というのは判断の連続であるという事が語られている。


(2024/9/23 22:13)




私は、幼少の頃より、日本人における構造的差別の悲惨さを幾度も見てきた。自身がその加害者や被害者になった事もある。まさに共食いであり、その「アペタイト」が物理的な島国の境界線の内外へ同時同一に向いている。そう、日本人における国家とは、物理的な国境線上に有るのみである。それは、まかり間違っても、北朝鮮の様な国家形成概は其処には無い。北朝鮮の場合、国家(自体)は(が)テキストであり、その国境線は物理的であるだけではなく様々な意味合いを持つ。その点については、ロシアや中国やイランといった、一般的に強権国家と呼ばれる国々においても同じである。つまり、だから、彼ら強権国家群は、自国の国境線の外もテキスト(として求められているもの)なのである。金正恩氏の「我々は汎国家(群)戦略体制を確立させた」という発言や、イラン大統領の「我々はイスラエル以外の全ての国々と仲良くしたい」という発言は、それを如実に表している。CCPは、自国内にてそれを(既に)如実に体現しており、国家主席である習近平氏にとって外部的に内憂外患であるというのは、そういう事である。ところで、この日本という国からアメリカに拠る介入を除いてみよ。途端にこの国は全世界最強権国家としての頭角をあらわし、それこそ三島由紀夫氏が夢見た忘却の彼方にある「戦時(中)」へと埋没するだろう。其処では、社会学的な自己同一性に基づき三大欲求のみが満たされそれが社会と呼ばれるそういう生物学的な自己同一性を持つ生き物による社会が生み出されるだろう。それは卑弥呼の世界であり、そんな国は終わっている。


(2024/9/24 5:45)




私は、先日、「イラン国が無くなる事もイスラエル国が無くなる事も人類にとって都合が悪い」と書いた。では、日本という国の如何に(で)ついて考えてみよう。基本的に、どの国にもその国の国家形成概がある。日本は例外である。日本には国家形成概は無い。文字通り「干されている」のである。先述の通り、日本人における国家とは物理的な国境線上にあるのみである。日本という国は国家概念に対するアンチテーゼなのである。つまり、だからこそ、反面教師として逆説的に国家として(の)需要がある。そこに有るのは云わゆるところの自虐史観などではなく、「居てくれるだけでいいから」というセリフを与えられる事に拠って表象される他虐史観である。では、それが何の表象であるのか。日本国の物理的な国境線のである。日本人にとっては、日本が常に世界の中心であり、その世界誤認が国家日本を「その様に」常に形作ってきた。それは、奴隷をよく調教して上手く働かせる為である。ともかく、人は人を簡単に殺して死に至らしめるものであるという事を、奴隷は理解しない。病気(の概念)、殺人その他の事件の類、事故に見せ掛けた汚職の数々、人は人を簡単に殺すのである。ナチスは、それを強制収容所という形で具象化したに過ぎない。


(2024/9/24 21:10)




ウクライナのクレバ外相の後釜の新外相殿、あれは西側の一部が叩くところのそれこそ「ロシア」(の手先)でありプーチン氏の敵。ハンガリーのオルバン首相と会うなどと、少なくとも行動面において露骨だが、無論ゼレンスキー氏も困っているところのものだろう。戦争賛美者の顔をよく見ろ。

フランシス教皇猊下がトランプ氏とハリス氏の内"lesser evil"を選ぶ様にと助言をしておられたが、どういう事かよく考えてみよ。

スターリンに比べればヒムラーの方がマシである。

何故、ロシアがウクライナを攻め落とすという形でも、ウクライナがロシアを破るという形でも、少なくとも現象的に戦争が終わらないのか。


(2024/9/25 16:34)




各個人の行動の選択で(ヒトから)欲望を捨象する事の是非が問われる場合それについてOKが出されてしまう事が人々の(人間集団としての)多極化を招くと考えるのですよね。例の「解雇の(規制の)自由化」っていうのはそういう事でしょ?それの本質は労働市場の流動化という分析結果に在るのではない。

他者を騙そうとする輩の行動について、防御する側において固定観念は逆手に取られている。…「コイツには騙されないぞ」でもなく「これをこうするとこうなりますよ」でもない。加害者側は被害者側の社会性を否定するという攻撃を行うが…それを匙加減の認知だとか社会的常識だとか云うのもまた違うが。

無根拠な他者の同意程危険なものは無い。それはほぼ「毒入り饅頭」であり、銃撃と同義である。何故それに強制力は無いにしろイスラエルの人々が種々具体的法規事項を無視して戦っているか理解出来るだろうか?「気付いたらナチスSSに取り囲まれていた」という過去の教訓から彼らは学んでいるのである。

只、それは、イスラエルの一般市民の社会認識のレベルの事。彼らが「UNの一部はハマスと同義だ」とのプラカードを掲げてデモ行進に及んでも効力は弱い。ここへ来てイランがヒズボラによるイスラエルの攻撃への許諾を拒否したという報道があるが、その場合(でも)彼らがどの様な通底認識を持ち得るか。


(2024/9/25 13:39)
(2024/9/25 14:10)
(2024/9/26 5:04)
(2024/9/26 5:19)




イスラエルの攻撃に拠りヒズボラのナスララ師が死去。レバノンにて。イランのハメネイ師は大事をとって安全な場所へと退去。以上が大手メディアに拠る報道。

一部メディアに拠り、それはガザの停戦を(現象的に)もたらしただけでイスラエルがヒズボラに打ち勝った訳ではないとする報道があるが、それは(物事の)解釈の一つであり、(また)、詭弁に過ぎない。

これ(について)は、イスラエルの怒りというよりは、ネタニヤフ首相の怒りの凄まじさを感じる。あそこまで祖国の民を侮辱凌辱されて黙っている訳があるかという同氏の国家元首としての憤りを感じる。私見だが、イスラエルの民は少々ジェントルに過ぎる印象を受ける。そこをまとめ上げるネタニヤフ氏のその怒り心頭の具合は私の様な者においてはとても筆舌尽くし難いものがある。


(2024/9/28 21:19)
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