欧米の人々の中にもいたずらな競争原理を敗者のものとして嫌う動きがある。プーチン氏がモンゴルを訪問して逮捕されなかったのも、彼らにおいては"our business"という事なのだろう。武装組織ヒズボラがイスラエルを攻撃するにあたって、ナスララ師がイラン国や北朝鮮に地下回廊の設定についての要望を出しているが、イスラエルはアメリカの援助無しには彼らに対処する事は難しく、アメリカはイスラエルを失ったらばあらゆる側面において大きな痛手となる(トランプ氏とハリス氏どちらが当選してもアメリカへの移民の問題は解決へと向かうだろう)。つまるところ、ネタニヤフ氏の様な強権的手法での統治に拠ってイスラエル国も為されるという事になる(それが中東における一国家としての運命である)。「イスラエルに死を!」とかつて唱えていた人々、少なくともハメネイ師を始めとするイラン指導部がヒズボラを使って本国としては様子を見ているのは、その様な事もあるだろう。
冒頭で述べたいたずらな競争原理は、そもそもの敗者が身を守らんとする術の一つなのである。彼らの心理は、他者への純粋な害意に満ちている。彼らは人々がどうやって生きているか知らないのではない。彼らは知っている、社会が上手く立ち行くと自分達が排斥排除される事を。私はそれを社会学的な自己同一性と呼んでいるが、それは顔面を始めとした肉体の見た目の美醜という事でもなければユダヤ民族という事でもなければヒトのメスという事でもない。私が全く競争原理を否定する訳ではないのは、それが生物学的な自己同一性に基づく限りにおいてである。
(2024/9/9 23:22)
これは我々日本人が織り成す日本の社会だけに限った事ではない様であるという事で言及するが、人々の中には幸せでない(様である)人々を見ると彼らを排斥するという連中が居る様である。実のところ、他者の幸せを妬むという形で幸せである(様である)人々を排斥する連中というのはそこまで多くない。どちらにしろ、その時点では為されていないものであるにしろ、ある一線を越えると一挙に当該的なものとなる(その)システミックレイシズムに対しては、戦うしか無い。ユダヤ民族はそれの被害者に該当するが、(その)システミックレイシズム自体がそれに加担するそれの主義者が最も望まない人類の歴史というものの生成に役立つという現実を突き付けても、連中は、「歴史?在るじゃないか。」、その様である。彼らには理由など(要ら)ないのである。今そこにある平和も彼らにとっては(それとして)当たり前のものの様である。「『それ』を当たり前のものであらしめる為に」連中はシステミックレイシズムに及ぶ。連中の望みを叶える為には、連中(の「民主」)を破壊する事である。しかし、それは原理的に不可能である。
(2024/9/10 16:26)
中国の過剰生産問題が取り上げられて久しいが、つまるところそれは中国の国力の強さを(少なくとも指標上のものとして)あらわしているに過ぎない。あとは、西側がそれを受け入れるかどうかである。西側は受け入れない。西側特にはアメリカで、"No CCP"を掲げgotionにアンチするという形でfreedomを標榜する余りにも身勝手な連中が居るが、中国が彼らと対するにおいて、その最終局面にて待つものは「中国のイスラエル化」であろう。イスラエルを取り巻く中東の情勢は、中国を取り巻く対中国という事での世界情勢の縮図に過ぎない。では、何がイスラエルにおけるアメリカの様な中国のallyに該当するのか?それは、「日本を攻撃する事」である。台湾はこの場合問題にならず、キーとなるのは日本である。勿論この場合の日本というのはイコールで主権国家としての日本国の事ではないが、「日本」というのはそれ程全世界に対する反属たるアンチテーゼなのである。…何が「日本」と闘っているのか?それをディープステートにおける出来事と云い括るのは余りにも容易いが。
(2024/9/10 20:39)
本日9月11日は、23年前に起こった全世界同時多発テロの日である。亡くなった方々のご冥福をお祈りする。
ところで、米バイデン政権はウクライナの米供与武器に拠るロシア深部地域への攻撃の許可を出していない。基本的に、モスクワを攻めクレムリンを崩落させプーチン氏を殺害する事で問題の本質を為すものが解決される訳ではない事は、西側の首脳陣も理解している様である。(おそらく)ゼレンスキー氏もである。左翼メディアは特にロシアのプロパガンダ(と思われるもの)について批判めいた否認否定を繰り広げているが、各国指導部はそれについて理解をしているという事である。「ダメなものはダメ」。
…そうでなければ本末転倒である。人々の社会や歴史の作られ方がどの様なものであるか、それは人類における前人未到の領域への拡大出征でもなければ天からの災厄でもない。仮に、何処かの馬鹿が北朝鮮打倒を標榜し竹やりを前に構えながら日本海へ向けて突進し水深2メートルで沈没溺死しても、誰もそれを英霊として崇め奉ったりはしないだろう。人はそれをテロリズムと呼ぶだけである。
…一部の日本のメディアで「女性研究者の苦境があらわ」という報道がある。只、それは統計(学)上の事として実績を(に)換算した結果そういう事になっているという事が判明したというそれだけの事であって、つまりは、だからこそ、女性に対する教育内容の拡充だとか教育費用の減免だとかいった案件も出て来る。それを、羊頭狗肉さを旨とする古来よりの一般的日本人は、「ヴィジュアル」とでも云えば良いのか、制度自体を改変するという形でそれをして解決と為し、「取り敢えず見た目でいいから示しておけ」という観念発想の下、代表的なところでは「ええじゃないか運動」等に(て)観察される様に、中国で非公式に行われていたり北朝鮮で公式に行われていたりする(おぞましい)事を…社会的常識としてまかり通らせている。ここ日本では、反社会的行為こそが「社会的行為」であるとされていると云っても過言ではない。あのヴィジュアル豚共を一匹残らず屠殺しない限り、日本国は世界の一流国として(は)世界に相手にされないだろう。「日本が世界の一流国になる日」だとか、問題を根本的に履き違えている。「その」社会の作り方をいい加減止めろ、その「滑稽なヴィジョン」をさっさと消せ。
攻撃に秀でている者は防御にも秀で高度な調和は(結果として)もたらされるだろう。それを、愚かにも弱者生存を謳う事で社会ひいては世界に抵抗し、「まるで自分が強者であるかのように」振る舞う(それは一種の自己洗脳であろう)狂人達が被排斥者として社会上取り扱われるのは、当然の事である。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が受けているのは被差別者からの逆差別である。…私のこうした言に因って、連中はそれに抵抗するという形で狂乱に拍車を掛けていく。その内奴らも気付く、「これは何かがおかしい」と。只、それに気付いた後は既に実験体として取り扱われた後である。連中はそのおかしさをおかしくないものとして受け入れてしまう。そう連中は「社会的に」改変されているのである。ナチスに拠るホロコーストはそうやって行われたのであろうが、それの代替物はここ日本において観察されるに枚挙に暇が無い。
(2024/9/11 12:18)
(2024/9/11 15:44)
(2024/9/11 17:29)
我々は敵の価値承認を求めていない。敵は殺すだけだからである。敵のステータスを知る事は効率的に敵を殺す為であり、敵に拠るこちらに対する評価(自体)は意味を為さない。
私が書いてここに載せてある文章においては、基本的に(は)、ヒトにおける「甘え」や「非行」といったものが否定されている。それを最も顕著に表す・現す連中においては、その(力学的)行動としての表象に拠って自らの人格を捨象する(「見せ付ける」)輩が居る事もまた本当のところである(連中においては「何故お前が決めたり取り仕切ったりするの?」と問われる事もまた然りであろう)。また、自らが凡弱であるとの自覚からかその様な者が自らを(その意味で)「当該的に」自身であるとしてくるパターンもある。後者の敵対関係にある者に対する行動原理というのは、「敵に敵だと思わせない」である。その点、連中は自らについての凡弱さの自覚の無い者と違って(少なくともその点においては)単純である(存在の希薄)。前者が自らを前者であるとその本質とは異なるという形で「見せ付け」「仲間だと思わせてくる」という事は無い。これはこちらの解釈にまつわる問題ではない。
(2024/9/13 2:34)
(そもそも)、white supremacyという言い回しがどうか。(言い方として悪いが、少なくとも現代日本に蔓延る)近代(西洋)文明を作り上げたのは白色人種の人々である。それは、それが我々黄色人種でもそれ以外の有色人種の人々でもいいのだが、例えば白色人種の人々が白色人種(の人々)である事を白人至上主義などと呼称し卑下するのであれば、彼らが作り上げたものや彼らの所有物を模倣採用するな。(それを、彼らから)金で買う以前に、(それを、彼らは)金で売らないだろう。
人はそれぞれ別個の個体存在として、存在し、生存している。その(現実的な)事を無視するのであれば、地べたを這いずり回りながら畜生の様に生きるがよい。
(奇しくも、日本人の中には、西洋人、特に白色人種の真似をしたがる者が居る。この言明においては、私個人の彼らに対する解釈が表現されている。というのは、彼らはあくまで白色人種ではなく我々の眷属である黄色人種という事である。…それは自虐に違いがあるまい。それは、例えば「黄色人種なんだから」という理由付けにて何らかの行動が制約されたり見識が阻害されたりする事と同じくして、自虐である。)
(2024/9/15 22:33)
人の痛みの分からない人間というのは、概して奇麗な顔をしている。これは顔面の造形の美醜の話をしているのではない。清潔滲みてプレーンな顔という意味である。その一種の平凡さというのは、自他共に対する豚の餌としておあつらえ向きだろう。場合に拠り、それは内面の貪欲さの裏返しでもある。それをもってして「治療」と云うおぞましい連中も人類の中には居る。ところで、私はそれの対極にある顔をしている。醜いとか不細工であるとかいった事を差し置いて、私はとても自分の顔を人間のそれであるとは思えぬ。被排斥者としての顔は「その様に」おぞましい。恐怖しろ。これが貴様らの何時かの顔である。喜んで肉を食らいながら差別される事や排斥される事だけはひたすら恐れる。そこにあるのは属性問題ではなく単なる純粋な(に)程度問題である。ならば何処かの北朝鮮国家の様に全てを縦一列に並べてしまえば(問題として)良かろう。
…日本人よ、我々は彼らのおかげで滅ぶ事が出来るのである。
(2024/9/16 21:52)
とうとう(一部の)日本人が公に幼児の如く駄々をこね出した。今、この現時点で、アメリカに逆らって何になる?ならば、全日本人は空から焼かれるのを待つが良い。それは死滅でも破滅でも(語義の問題として取り扱われるに過ぎず)同じ事である。「敵視政策を止めよ」程(この期に及んで)陳腐なものも無い。人から生物学的な自己同一性を捨象しあわよくばそれを無視する事は出来ない。「駄目なものは駄目」。
リンゼイ・グラム米上院議員が、かつて、「今は戦時だ。やれる事は何でも行った方が良い。」と仰っていたが、同氏におけるテキスト化は人全体が生きるところのものとして極めて当該的である。全ては言語化され(それが人工知能に拠るものであろうが)人々の知性は高まるだろう。人とはそういう生き物である。無論、インテリジェンスという事にまつわって、同氏が必要の無い事を言っ(たり行ったりし)ているのではない。
(2024/9/18 4:33)