忍者ブログ

card

memo115

ヒトの命の価値に差が無いと云っている連中は一体何なのか。それがどの様な形であれ死刑を宣告され(その)刑を執行される者においては、確実に生物学的な自己同一性が否定されている。つまり、「貴様は死刑、よって死刑」と言い渡すまでもなく殺すのでなければ、その場合、その者は社会学的な自己同一性に拠ってのみ存在が認められているという事になる。法廷においてのみ、判決を下す役割を担っている者から生物学的な自己同一性が捨象されるなどという事は有り得ない。つまり、その様な者は、自己の生命の保持の為に他存在の生命を奪うという事があってはならず、現代社会における裁判官の存在はそれが死刑判決を下し得る能力を持っている限りにおいて否定されるはずである。同じ理由で全ての殺人行為は否定される。(にもかからわず)、それを犯した場合、その者は社会学的な自己同一性に拠ってのみ存在が認められ、その者において生物学的な自己同一性は否定される。残念ながら、ヒトの(形成する)社会は戦場である。掛け値の無い自分を認めるという事は、それを認めるという事である。それが嫌ならば、母親との関係を彼女を殺すという形で絶ち切れ。裁判官に裁かれた後の、「祭りのあと」であろうが無かろうが、そこには現実があるのみである。


(2024/9/30 11:23)




で、そうやって、結局人々は社会的人間か反社会的人間かというところへと二極化していく。人々の愚かさがそれを為す。「自覚のモメンタム」をちょっと与えてやるだけで良い。彼らは「拍車を掛けて」それから逃れようとしだす。そうなればそうなる程、「その」二極化は社会的に進展していく。


(2024/9/30 17:33)




社会規範を遵守する事に喜びや優越感を感じるのは当然の事。つまり、それにまつわる具体性は当該行動行為よりも匙加減やアビリティの問題に帰着するので、そういう事を行う者をではなくそういう能力を持たない者を蔑視排除するという事に為る。つまりそれが差別か逆差別かについての分別は普通は付く。

だから、日本国が潮流の荒い海域に囲まれた島国である事は日本人において最大の不幸な訳。それを幸福であると勘違いしていたのが一昔前までの現代日本人。それは「赤信号皆で渡れば恐くない」が社会規範としてまかり通ったり、「左翼全共闘」が勃興したりもする。その根本的な行動原理が間違っている。

…この度の石破首相の就任に際して一部日本の「識者」で常態としてどうしても政治家と国民をバーサスの位置に置きたがる連中が居るが、だったら最初から(既存の)政治家に政治を任せるなという事にもなる。彼らも仕事についてやる気が無くなるだろう。おまえ(自称)「識者」が政治家をやれ、という事。

…ロシアや中国やイランに拠る今回の米大統領選挙に対する干渉が報告されているが、誰が投票機会においてどの候補者に投票するかという事でしか無いので、この件は逆説的に事前の世論調査等のメディアに拠る有悪概性について糾弾してくれている。該当候補者がどの様な政策を掲げているかという事が問題。

例えばネット上でYouTuberや「影響者」等の特定業種を名乗り結果人目を惹く事に相成る人達や、女性一般とその生理においてという事でもそうだが、マスコミの報道(結果)も含めてそういう連中がどうなっているかという事。(現象的に)何がどうなっているかよく見ろという事。「それ」に騙されるな。

そこで(男性における女性を含めた)特定の対象である何らかの客体に騙されない為には情報を集める事を止める事。…一般的に。我々は敵の価値承認を求めていない。敵は殺すだけだからである。敵のステータスを知る事は効率的に敵を殺す為であり、敵に拠るこちらに対する評価(自体)は意味を為さない。


(2024/10/3 11:35)
(2024/10/3 12:25)
(2024/10/3 12:38)
(2024/10/3 12:49)
(2024/10/3 13:04)
(2024/10/3 13:15)




精神科医に聞いた話だと、確かに札束を火で燃やすだとか、そういう事を行う精神病患者というのは居るらしい。これは明確に異常(行動)であり、これを行った時点で異常者の烙印を押される事については文句は言えまい。只、一般的にそれに及んだからといってそうである事になる行為ってあるかな?

ヒトの欲望は果てしなく、私は行動単位で鑑みる場合大抵のそれは看過してしまうが、精神科医という人々は一定の範疇を設けて「患者」を執り裁く。それは「(社会的)常識」ではないだろうが、物事の認知形態の医学上のおかしさというのはそこもしくはそれの取り扱いに現れるのかもしれない。

以上に類する事で、私が言及している異常行動というのは、他には例えばお札に(修復不可能な程に)自分の名前を書くだとか。例えば近日のニュースで著名人の堀江貴文氏が「(投資行動で)それを行ったら否」という事を例示と共に仰っているが、私の言っている事は同氏のそれとは(基本的には)異なる。


(2024/10/3 21:19)
(2024/10/3 22:03)




ロシアには現在、看過の概念自体が無い。勝てると踏んでいるだとか、逆に玉砕覚悟であるとか、そういった問題ではないという事である。米露の対立は双方にとって当該的なのである。その意味で、ウクライナの戦争は「引き起こされている」。

イスラエルは(その意味で)イランを看過する事は無い。陳腐な話だろうが、イランは"not necessary"の烙印を押される事は無い。では、何処が"not necessary"であるのか。イスラエルの背反を為すものは何処か?それはイランを含めたアラブ諸国でもロシアでも中国でもない。(少なくともここでそれを日本であるとは云わぬが)、それは各国の境界線である。アメリカはそれを国家として具象化している。そこは単純に二律背反裏表であり、アメリカは国家として当該的である。人々は、国家群は、アメリカに拠って試されている。


(2024/10/3 23:02)
(2024/10/4 20:38)




SNSを始めとしたネット上の誤情報対策とか、何を今更?例えばPCユーザーならそれで、当該ユーザーが使用しているPCのモニターに何が映るかという事でしかない。極論すれば物理的な物々とてそう。ネットの場合テレビ等の大手前のメディアとはその使用されるデバイスやインフラ的に属性や方向性が異なるというだけの事。それは例えば消費者の購買行動という事においてもそうである。心理学や行動経済学を用いて「分析」するまでもなく、当該消費者が購買行動でどの様な選択を為すかという事が取り上げられるべき。結果論のもの。受けた教育やきちんとした判断力に拠りヒトは身を守る。「分析」はこの場合逆効果。PCならPCで、ネットを介してでも何でも、特定の行動を当該人物が取る事を阻害したいならその特性上技術的にそれを不可能にするしか無い。法規制は意味を為さない。それこそ人海戦術に(で)破れて誰もルールなんか守らないという事になる。ネット黎明期の惨劇で鑑みても近日の人工知能で鑑みてもそれはそう。そして、その、「公式」な見解において単に労働力の一単位一単位で(として)鑑みられるという経済学識に拠って、大抵皆働くのが嫌になる。これについてはちょっと「識者」達は考えてくれという事。仮にも自分らがアドミニストレータであると云うのならば。現行の社会では、彼らのものはアカデミズムの枠内の机上の空論に留まらない。マクロン仏大統領が、ウクライナとイスラエルで分けて鑑みるなと仰っているが、地政学的に俯瞰的にというよりはイベントスタディ的に関連付けてという意味合いだろう。また、同氏は"...all lives are equal..."と仰っているが、これは人道上の機会平等性という事であり、この言については私も賛成である。人命の価値に差が有るという事と人道上の機会平等性という事が両立しない訳ではない。私は人の自己同一性について社会学的なそれと生物学的なそれに分けて考えているが、後者は生物学的なそれに該当するだろう。生物学的な自己同一性とは、例えば遺伝子について考えても理解出来るものであり、それはその一つである。また、例えば、日本人の中には自分達(の生態)を"fuckin' Jap"(のそれ)であると認めている人達も居る。彼らは、男と女でセックスにかまけているだけの限りにおいては、白旗を挙げている訳でもなくきちんと自己表明しているのであり故意の排斥に及ばれる筋合いは無い。そして、そういう男と女・暖かい家庭みたいなものの為だけに生きている人々はその様な「見下し」を嫌がるだろう。私も学生時代に教授等に差別された経験があるのでそれは感覚としてはよく分かるつもりである。一般的に、社会的地位が上がれば上がる程他者に対する「見下し」は強まる。そういう、例えば日本だと天皇陛下や内閣総理大臣や大企業の経営者達が人的資本を労働力の単位として見做すことは妥当だろう。しかし例えば昔の日本の公立小中学校の教師達が行っていた様な奸計に「それで」嵌ると痛い目を見る。逆関数を取れば良く、労働力の単位を人的資本と捉えれば良い。

あくまでも社会を動かすのは人である。もしそうでなければ、そもそもからして人工知能をはじめとした何らかの外部的なデバイスにそれを依託してしまえば良いという事だろう。その場合、人類が人類の方向性についての判断を下す必要も無く、知財の管理を全てそれらに依拠してしまえば良く、人類が存続する必要は無い。

余談。
優秀な地方の学生を獲得する為上智大は総合型選抜の入試を「地方の学生でも対等に競える入試と位置付け…」とか。あの、選抜の枠が総合型と一般入試では違うんだからさ、対等に競えるも何も無いと考えるんだが。もし、「そういう」選抜を行うならば、総合格者の内の枠が融解しているという事だろう。


(2024/10/1 13:06)
(2024/10/5 7:53)
(2024/10/5 8:03)
(2024/10/5 8:16)
(2024/10/5 17:25)
(2024/10/5 17:38)
(2024/10/5 17:50)
(2024/10/6 20:02)
(2024/10/6 20:10)
(2024/10/6 20:25)
(2024/10/7 9:36)




FBIは、イランがハマスやヒズボラやフーシの「パペットマスター」であると言及しているが、問題は、イランがそれらテロリスト群をダイレクトにディクテイトしているのか、云わば理神論的にある種の絶対的利権国家として君臨している(だけな)のか、というところにあるだろう。本日西暦2024年10月8日の産経新聞に歴史学者エドワード・ルトワック氏に拠る概説が載っているが、同氏はイランの原油を押さえて同国をインフレに見舞わせろと主張しており、只、これは(それは)局所的な事態に過ぎず、私は予てから戦争が長引く程東側には有利になると云ってきたが、戦争に拠り西側と東側の分断が苛烈になっていくと、東側は益々社会主義化の度合を強め西側の民主主義やそれに根差した資本主義から離反していくだろう。イランのペゼシュキアン大統領は西側からの離反を望んでおられない様であるが、(どちらにしろ)、果たして東側が西側から離反すればする程、西側は東側に都合良く「動き」(「動かされ」)その様に世界は回る様になるだろう。タカ派のネオコンとして有名なアメリカのジョン・ボルトン氏は、イスラエルに拠るイランへの攻撃もしくはその可能性を否定するバイデン政権を始めとする(全世界中の様々な)勢力・権力威を否定している。しかし、イスラエルとイランがダイレクトに露骨な戦闘状態へと突入すると、中東情勢は不安定に為りその地域全体が壊滅的打撃を受けるだろう(基本的にそれについては中東の人々は(全てにおいて)望んでいない)。これは、先に述べた内前者であるところのイランに拠るテロリスト群に対する直接的指揮の関係を前提としており、その解釈を用いそれを理由付けとして少なくともボルトン氏は国家概としてのイラン国を叩き潰し壊滅させたがっている。この事については、ハメネイ師も引いて・退いており、ネタニヤフ氏もあくまでも中東全域の混沌壊滅は望んでおられないだろう。陳腐な言い回しだが、だから彼らは「散発的に」互いに対して攻撃を加えているのである。希望的観測かもしれないが、私はここで断言したい、イスラエルとイランの関係がダイレクトに露骨な戦争へと進展する事は無い。


(2024/10/7 13:56)
(2024/10/8 6:51)
(2024/10/8 7:18)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
Shinpei Sugiura
性別:
男性

カテゴリー

最新記事

(04/13)
(04/10)
(04/08)
(04/03)
(04/02)

P R