「人工知能時代の医師の業務のあり方」などと云うと胡散臭い響きも無きにしも非ずだが、実際医師に拠るモラルハザードならぬバイオハザードが後を絶たない。韓国の例は、生物の一個体一個体としての彼ら医師の在り方が問われている事を示している。新設の東京科学大(旧東京医科歯科大と旧東京工業大)の例で鑑みられる様に、医師が技術者として成り立たねばならぬ事態が差し迫っているという事である。つまり、医師個人に拠る社会的に間違った選択行動が、技術へと収斂されねばならず、またそうなるものであるという事である。患者は医師の趣味の為の道具ではなく、医学教育の為の医学教育など存在してはならない。患者が医師の実験動物にされる事と医療技術の進展の間にトレードオフが成立する必要は無く、それは病の概念の無い世界の出来事であり、マフィア御用達のものである。医師が携わる業務の社会資本性を考えるのならば、医師は技術者でしか在り得ない。その技術を自身に適用するかどうかは患者に委ねられており、成り立つべくのインフォームドコンセントを介して、その選択行動は患者自身のものである。
(2024/6/5 14:08)
たまにはエニアグラムネタでも。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)に対して絡んでくるストーカー連中は大抵がタイプ2w1~タイプ2w2。私は多少竜頭万里子さんのエニアグラムを学んで、判定されたタイプ4w3と、現在ではタイプ2w3とタイプ5w6が混ざった様なものに為っている。ものの考え方的にもおそらくその様なものが出ているだろう。やはり危害を加えられ易いのはタイプ4w5だが、4w5の云わば「内部留保性」とでも呼ばれるべきものは、申し訳無いが、想像するだけで笑えてしまう。その意味では精神科医というのはタイプ4w5の天職だろうと考える。看板と名前を出しておられるので言及するが、私が現行で掛かっているハートフル川崎病院の川村和正Dr.はタイプ2w2だが、タイプ2w1の精神科医程タチの悪いものは無い。アカデミズム、大学教授の類は大抵タイプ2。何度か取り上げている行動経済学者などというのはタイプ2w1が多いだろう。タイプ2w3はもうちょっと合理的で形式ばらない。(人種的)押し出し感も強い。タイプ5は涅槃の世界だろう。認識世界的な意味だが。習近平氏(タイプ2w3)が5w5的な社会的存在だとしたら、CCPは2w3的な社会的政党とでも云ったところか。ともかく、タイプ8が万能ハイパワータイプであるというのは納得がいくところのものだろう。また、タイプ7は犯罪者や被排斥者として扱われてしまう事が多い様である。誰に?タイプ2にである。ユダヤ系の人はタイプ7が多いかもしれない。また、スラヴ系の人にもタイプ7が多い様に見受けられる。日本はタイプ4の国だろう。
(2024/6/5 17:53)
「何故時間は過去→未来という様にしか進まないのか」という事について、その「量子もつれ」等々を用いて物理学的に説明する必要はあるのか?その、過去へ遡ったら遡ったでそれが(において)時間の進みでない保証は何処に在るのか?だから私は数学や物理学に殆ど興味を持てない。だから、それは「どう」分かるのか?それが時間が逆行している証であるという特定の対象である何らかの客体を示されても、「それ」が「それ」である保証が何処に在るのか?只単に「それ」と云っているのは只の知恵遅れである。その知恵遅れである事をリスクの概念の無さに求める人も居るが、ともかく、何をどう考えても彼らの認知は異常である。リスクの概念の無い者ばかりで社会が構成されていれば上手くいくか?行く訳が無い。それで上手くいくというのは単なる全共闘的な妄想であり、マフィアの殴り合いや撃ち合いの世界である。あまりにもヒトという生き物を馬鹿にしている。私は男性(ヒトのオス)なのでまだ良いが、女性(ヒトのメス)はどうなるのか。先に私が「次にやられるのはユダヤの民ではなく女性だ」と言ったのは、そういう事である。
(2024/6/5 20:07)
(2024/6/5 20:53)
ちょっとフランクに話しますね。何かハーバード大学やスタンフォード大学も日本の東京大学その他と同じだよね。東京大学の卒業生だけで社会が構成されてるわけでもないし、アメリカ社会がハーバードやスタンフォードの卒業生だけで構成されてるわけでも無いでしょ?だから皆怒ってるのにね。ただ、エリートって何処の社会でもそういう風ですよ?それが嫌で、私は(当時の)エリート社会から早々にドロップアウトしたんですけど。彼らは、馬鹿にしてるとかナメてるとかいうよりは、自分ら以外は奴隷であるべきだみたいに思ってる。そりゃ殺し合いになるよね。
(2024/6/6 7:40)
近日、日本国内で(の)少子化が取り沙汰され問題視されている。家計への補助金の額について、子供を欲している者らの世帯に優先的に補助が為されるべきだ等々の医師に拠る意見がある様である。その経済学的なヒトの一義化が失敗や間違いの基であると私は常々説明している。現在全世界で拡大しているアンチセミティズムは、その様なヒトの一義化を旨とする連中のものである。その点では、私とてヒトの心理的生理についてよく弁えている。現行のヒトである限りにおいては社会を上手く立ち行かせる為には被差別種族が必要だ、しかしアフリカやアジアには自分達が住み込む訳には行かないので、黒色人種や黄色人種を被差別種族にすると拙い。よしユダヤ人が差別するのに便利だ、あいつらを構造的差別の被害者に仕立て上げよう、というwhitesupremacyの一が為されているのである。その点、中国を見よ。環境に配慮しながら安価で高品質な財を作り出し、現在非常に力強く社会を立ち行かせている。日本の一部マスコミに拠る国家破綻の煽りや一部のアメリカの高官に拠る「中国製の財を世界は吸収し切れない」という指摘は、少なくとも当面のところの問題としては、何処吹く風であろう。中国国内や海外への排斥は確かに有るだろうが、それは社会(の形成)に参画しない者に対して行われており、後者インテリ層に至っては海外への尖兵かと考えさせる程である。つまり、西洋の人々は集団で非行に走っており構造的差別は彼らにおいてacquiredだが、東洋の人々において構造的差別はacquiredではない。どちらにおいてそれが高頻度で現象するかと云えばそれは後者においてである、が、ともかくイスラエルの人々にはそれを理解した上での戦闘を要請したい。
結局社会が運営される上での問題は、差別・被差別の問題に直結する。それが社会学的な自己同一性に基づいて行われるか生物学的な自己同一性に基づいて行われるかの違いがそこにあるだけである。前者には(まだ)希望があるが、後者には希望が無い。後者は、結局ジークムント・フロイトの世界に辿り着くだけだからである。性交によって子供を作る事の必要は女性達も理解しているだろうが、いたずらに男性に辱められるのは女性達は嫌であろう。
(2024/6/6 11:31)
(2024/6/6 15:25)
政治がインフルエンサーの遊び場にとか、若手にはそういう人しか居ないんでしょうねとは思います。だから岸田首相はちゃんとやってると思いますよ。皆ある程度はまともに働いてお金もあるという方が安心でしょ?お金だけある人はあって皆働かずに社会が潰れて札束はゴミとかいう事になったら、終わり。
(2024/6/6 21:00)
例えば「インカ帝国とは何だったのか」という場合、哲学的に考察するというのであれば、あまり歴史学で紐解く必要は無いでしょうね。逆に、歴史学的にそれを考察するというのであれば、哲学的思考は邪魔でしょう。文献や考古学的物証に基づいてそれが行われる訳なので。被る部分もあるでしょうけど。
(2024/6/6 22:00)
ヒトの社会的に不都合な行為を法で規制する事について、仮にそれに限界が無いのであれば、私は特におかしいとは考えません。「力に拠る現状変更」とは何でしょうか。ヒトを馬鹿にしているのですか?マナーやモラルといったものについての違反をモラルハザードの一語で経済学的に一義化する必要は無い。
匙加減とか空気を読むとか(私はここでは意図的に空気を無視させてもらってます)出来ない人達が、自分達に対する差別を回避する為に、法に違反しなければ何を行っても良いというあまりに馬鹿げた社会を作る。私は男性なので別に良いが、その結果割を食うのは女性です。だから最近芸能人女が脱いでる。
(2024/6/6 22:00)
Like a butterfly and a mosquito, both sides of representation there are. If we make the treatment of "Mice represent a mouse.", how can we give them the full treatment? ...There is a difference between concrete and abstract. Likewise, presentation and representation.
In explanation, all is representation (in any figures of (each) language) and representation itself is a language. As it (was), is there nothing but language? No. However, we are not God. What is the presence of us? The probability of the existence of God is not a problem now.
(補足:ちょっと自分で書いた英文についてワザワザ自分で日本語で説明するのもどうかとは思いますが、その、「確率」と「確約性」は違うのですよね。パスカルについて、「神有りと賭けるか、神無しと賭けるか」みたいな逸話が残ってますが、ここで私が云うのはcommitmentalityという事であってそうじゃない。で、それの自動翻訳を見てみますね。「確約性」が"commitability"と出て来る。少なくともここでは、これは、"commitmentality"でしょう。accountabilityじゃないんだから。それだったら最初からprobabilityで良い。これってAI使われてるんですよね?どちらにしろ、ちょっと機能的に情け無いですよね。)
(2024/6/7 21:27)
(2024/6/8 6:22)
かつて、ビル・ゲイツ氏が、自分はインターネットが出始めた頃人々は様々なデータにアクセスし事実を求め自らのパフォーマンスを向上させる事に努めるものだと考えていたがクレイジーな人々が仲間を求める為にそれを利用する事に終始するだけだった、と嘆いていた。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の人格はこれにおける説明という事では両側に分裂しているが、ゲイツ氏の様なhigh societyに存する人々もしくは能力の特別に優れた人々はそれぞれの事実とのトレードオフで社会の発展に寄与する事が出来るかもしれないが、たいていの一般市民の人々にはその自覚が無い。私は、社会を法廷化させる必要は無いと云って反ナチズムを掲げて在野した。しかし、自らの身を守る事を教えてくれたのは彼らだった。只、私の様な者が「自らの身を守る」となるとどういう事になるか?習近平氏は(汎社会的には)一般市民の(様な)役割の人だが、彼の様に為るのである。社会はどんどんナチ化していくだろう。ヒトラー総統はあの世でお喜びかもしれないが、仮に私がアメリカ人であったり「神の国」が到来するというのならばともかく、それは私の本意ではない。しかし、私の自己はNichtseinとして本意と伴に引き裂かれてゆく。それを医師は病気だと云うが、それを形作っているのは彼ら「在野組」の生物学的な自己同一性である。…ここへ来て、私は自虐の民に呑まれるのが嫌になってきた。しかし、望む望まぬとに関わらず、それは為されてゆく。私がそれを嫌になってしまっているのが良い証拠である。
(2024/6/8 17:45)