忍者ブログ

card

memo103

私は、現在では精神科医にスキゾフレニアであると診断を受けているからというのもあるが、そもそも、それとは関係無く自分の血もしくは遺伝子を残すべきではないと考えていた。だから、私は女性とは一切の私的関係を持たなかった。これにおいて、私は自己のみを問題としているのではない。他者も含めて、彼らに携わった経験も全て踏まえての事である。只、(それについて)、言える事は、異性とは関係を持たず自らの子孫を残さないというその事のみにおいて、私は人間関係なるものを意識しているという事である。だから、私はいわゆる「ゴールイン」などという発想には最初から付き合い切れないし、「自分の不合理を知れ」という行動経済学者のレトリックを真に受けて相手にする気も無い(当該人物の表象としての行動のテキストは目的概化されていない)。パラノイアックな女性の御用達になる気は私には無い。

自殺という事について、例えば「奴隷と一緒である事を認めるか、自らに嘘を吐くのを諦めて自らが信を置いていない事柄を(奴隷である)他者に教える事を止めるか」という選択を迫られた教師が、どの様な行動を取るかという事については興味深い。自殺というのは最大の社会的な嘘であり、彼は、自殺するか、自らが何にも信を置いていない事を認めるしか無い。

「無知の知」すら、彼、教師は、信じる事が出来なかった。…「無知の知」というのは、自殺(という行動)の表象であり、彼、教師、ソクラテスが、死んだ後にテキスト化されたものではないか?彼には死すら生温い。

死後の世界という事については、天国だとか地獄だとか方々云われている。しかし、いずれにしろ、その「内容」について言及する事は、生ある者に対して無意味且つ無礼であろう。人工知能も在り、コンピュータの類も在り、もはや人が生きながら死に携わる必要は無いのである。先述の通り、自ら(の意思で)それを望む者は、自身の肉体を物理的に人(のもの)でなくするか、自死すれば良い。死者達は、彼らは彼らで国を作っている。手始めに、彼らは、所有の概念を否定してくる。生者は、死者に対して、「やり返せる」。そうやって、我々は、いくつもの国家を形作った。私に云わせれば、ソクラテスは精神の病気だが、(その様な)十字架に掛けられた双頭竜の如き人々の犠牲の上に国家群は成り立つ(成り立ち得る)のかもしれない。そこでは、死そのものが(として)止揚されている。何が。それは、「誤差」であろう。ソクラテスの様に、"to be"も"not to be"も手に入れられなかった人物が、最後に手に入れたのである。

結局、人々が「挙句の果て」に何を行い出すか。…人々は熱狂を好む様である。それを得るのに最も手っ取り早く且つコストパフォーマンスの高い方法は、人々を差別者と被差別者に区分けする事である。家庭、国家、汎世界…特定のカテゴライゼーションにて、「挙句の果て」、人々は構造的差別構造を欲する。甘やかし、虐待、アメとムチに拠って調教する側とされる側…人々はその血が濃ければ濃い程、共食いに走り易い様である。セックスなど背中合わせの血族相食に過ぎない。

加藤鮎子こども政策担当相は、上川陽子外相の「産まずして~」という発言について「産みたくても産めない人も居る」と批判しているが、これは論点が違うだろう。子供を作る能力が無くて子供を欲する(強制不妊等に対して否定的見解を示す)子供を欲さないという事ではなく、子供を作る能力が有って子供を欲さないという人も居るという事である。子供を作るか作らないかの問題なので、加藤氏は上川氏を肯定している。…「できる」は「やる」の十分条件である。

「δ」の記号に拠って為される昇華物には、子供は該当しない。それは、子供が子供心に自身を何かの象徴へとそれこそ「昇華」させる事はあるかもしれないが、それは遊びの一環であり、彼らにおける社会学的な自己同一性は、(きちんと)、止揚されるに至る。…存在と存在との(互いによる)干渉によって生まれるエネルギーが、「δ」の記号に拠って為される紋章へと昇華されれば良いが、そうでもあるまい。先述の(様に)、プーチン露大統領や習近平中国国家主席や日本の天皇陛下はそういう存在で(は)ある。しかし、区画整備された社会構造の中で、彼らの生物学的な自己同一性を無視する事は出来ない。彼らは子供社会の住人ではないからである。私のこの様な文章の書き方に疑問を呈する人も居るかもしれないが、私は記憶の崩壊と闘っているのである。

社会主義構造の基本理念というのは、それはそうだろう。安心して働ける環境の方が、健常なヒトであれば、好ましいだろう。例えば、医師が所属する社会環境の社会資本性(医学や医療技術は特権階級の奢侈品ではない)で鑑みればそれについての理解は容易い。

破壊衝動の「溜まり」が、それが他者を露骨に不快がらせる騒音の様な(破壊衝動の)表象的行動として現れるものであろうが、他者を場合に拠り物理的に傷付けるサイコパスのそれの如き(破壊衝動の)表象的行動として現れるものであろうが、どう現象するかの問題であるという事がある。それは、出来事としては程度問題の側面もあるだろう。…ソシオパス?罪がテキスト化されているところのその治療行為が目的概化されているというのであれば、人類は病と闘うまでもない。


(2024/5/19 21:49)
(2024/5/22 5:43)
(2024/5/22 15:55)
(2024/5/23 12:18)
(2024/5/23 17:52)
(2024/5/24 21:19)




日本の一般市民の消費活動が低迷している。…つまるところ、金を差し出すか、管理され易くなるか、という事でしかない。何が?ヒトが、である。「人は食われて進化した」。後者は物事の表象として分かり易い。故に、人々は後者を嫌って現代の民主主義を形作った。しかし、それは、まさに形、イデアの影でしかなかった。idea(l)としての民主主義は其処には無い。それは、単純なベクトルの足し算引き算で看過されてしまう(性質の)ものではない。それは、クロノス的発想をするかカイロス的発想をするか、という事には帰着しないという事である。…民主主義は失われた。少なくとも、ロシアや中国ではそう為っている。プーチン露大統領と習近平中国国家主席の(今回の)会談は、まるで二人(ひいては二国)の仲違い(が故の親睦)の証の様である。失われた民主主義を求めて、人々は生(活)を楽しむ様になるだろう。「限界的(marginal)」という経済学の用語は、ここではじめて息を吹き返す事になる。悪しからず。

彼らにおいては、社会学的な自己同一性が止揚される事は無い。「ここからは出られないのだ」という(ところの)テキストを彼らはひたすら形作る。逆説的に、彼ら自身がその(様な)テキストに絡め取られ、彼ら自身がそこから脱け出す事が出来ない。それは、例えば、例のエニアグラムの9つの「ねばならない」という形であらわれる事もあるかもしれない(残念ながら、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)にとって、それはその程度のものなのである)。強いて言えば、それは、コミュニケーション上の事、例えば、雑談だったり、セックスの仕方だったりするだろう。

彼らはモノですらない。彼らを「事」と表現するのも文義上可能かもしれないが、物理的に存在している限りにおいてそれもまたナンセンスである。

他者の意思の表明を否定するのは自殺行為である。無限大の行方を追い求めても、「物理」の表象にそれは無い。物理学の探求においてもそれは同じであり、それが「∞」の記号でない事は言わずもがなである。それは「セックスの仕方」では(場合により)あり得るかもしれないが、「セックス」ではないだろう。「セックスの仕方」など虚無に等しく、「セックス」というのがレトリカルに行為なのである。

結局、何処へ行っても、ヒトが生きているところの社会であるという事である。「君、歳幾つ?」というセリフも、最新の技術に拠って大学入学試験においてカンニングを行う馬鹿な青年も、全て(人間)社会の産物である。"There is no God. Human only."と云うのも、(それはそれで)また間違っている。「それも」(また)ヒトの産物だからである。それらを捕らえる警察、それらを報道したり広告宣伝したりするマスコミ、どれも全て(人間)社会の産物である。「共同幻想論」の様なものに意図的にかかずり合う必要は無く、それも(また)ヒトの産物である。例えば、それが人工知能でもコンピュータの類でも何でも良い、「全てを知るもの」が存在したとして、その存在が故に、(少なくともヒトにおける)時間の問題は解決されてしまう。ナチスは強制収容所という形でそれを具象化したが、それは(少なくとも歴史上(の))出来事として(は)失敗であった。彼らは自由から逃避した。ヒトの自由意思を否定した。ならば、ヒトを完全にデバイス化してしまえば良いであろう。そこでは、「共同幻想論」の様なものへの「意図的なかかずり合い」も是認される。それが彼らの理想とするところであり、そこではヒトの社会は成り立たない。ともすれば、人工知能なりコンピュータなりに知財の管理を明け渡してしまえば良い。人類の存続は必要無い。少なくともそういう事を主張する者は、物理的に自らを改変してヒトでなくなるか、サッサと自死するが良かろう。死を思え。


(2024/5/17 12:20)
(2024/5/17 21:20)
(2024/5/19 0:00)




慶應義塾長の「高度人材育成の為、国立大学の学費を年150万円に」という提言について。日本の学校の場合大学も含めて学校の勉強というのは能力(が)弾力的ではなく努力(が)弾力的なので、なるべく多くの者に(レベルの高い)国立大学の門戸が開かれていた方が良い。低所得者層の進学機会を奪うのはナンセンス。


(2024/5/15 13:30)




人工知能の場合、言語化というのは単に表現の問題であるだろうが、ヒトの場合はそうではない。ヒトにおいて、自己の存ぜぬ自己などというものは無い。つまり、ヒトにおける、言語化の能動の元となっている(その)ものを言語と捉え考えるかどうかという問題がある。勿論、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、これは言語ではないと考える。これ(それ)がおそらく精神科医が云うところのスキゾフレニアの正体であろうが、そこ(ここ)に必要十分条件は成り立たない。例えば、空集合というものを理解しない人々が居る。彼らは空集合を単なる例えば集合Aに結論付けてしまう。私はここで空集合の性質について論じているのではない。文義的に説明すると、「生卵に熱を加えるとタンパク質の組成が変わってゆで卵が出来るという事」について語っているのであって、「ゆで卵」について語っているのではないという事である。勿論、「生卵」や「熱」が空集合に該当する訳でもない。ところで、火は技術のシンボルとされているが、その象を抽した先にあるものが何なのか私には理解出来ない。それが物理的エネルギーなどではない事は確実である。(そのモチーフなりモーションなりが役に立たぬというのであれば)在るのはイデアの影ばかりか。


(2024/5/13 20:05)




テルアビブでネタニヤフ氏の退陣を求め大規模デモ。軍事作戦が人質の奪還を妨げていると。相手はテロリストである。軍事作戦無しに人質を奪い返してみろ。取り敢えずネタニヤフのせいにしておけと云わんばかりである。…世界中の何処も彼処もこんな連中ばかりである。彼らは統治されるに値するのか?

…ブリンケン米国務長官は、「イスラエルは自分達自身で自分達を統治する意志と手段を持っている」と言明。


(2024/5/12 21:48)
(2024/5/12 22:45)




以前、マイク・ポンペオ氏が日本を来訪した際、日本の元国家公安委員会トップと対談していたその旨を新聞で見た。(自ら)私はさし置いて、元CIA長官の御立場での同氏と日本の警察との繋がりだろうが、読売新聞社主催のもので、非常に興味深かった。つまるところ、インテリジェンス無き日本との一部嘆きをさし置いて、日本の警察権力は強大である。

私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、現在、眼をやられている。水晶体が濁っているらしい。しかし、それも、見るべきでないものを見ない、という点においては、それに貢献している。「見せる」事によってダメージを入れてくる連中(のその行為)など、枚挙に暇が無い。「それ」についての主体的判断を下しているのは私故、これは、私のテキストの認識の問題である。(私が)主体的判断を下す限りにおいて、「その」事象におけるjudgementの繰り返しが(「それ」の)偶有性を形作る。この点において、私は(the texturizedとして)抽象的である。「存在」は具体的である。ちなみに、私は、具体の対義語が抽象であるとは考えていない。

少なくともそれを演じる事を社会的に要請されていると当人が考えている特定の社会性を当人が自己に妥当させる事について、一部特定の者に拠る、それが当人にとって負のファクターであると決め付けるという攻撃がある。しかし、それはあくまで当該本人が自覚意識的にどう考えているか(もしくはどう感じどう思っているか)という事でしかない。例えば、ネット上で、「陰謀論を設定する事で」現実の断裂化を設定しようとする連中が居るが、それと同じ事である。確かに、外部性の内部化がストレスになる(であろう)という事はあるが、しかしそこで行われているのは内部性の外部化である。

要するに、主義としての民主の如何が問われているのである。それは、ヒトのメスや、女の股に隷属する男達にとっては、不利な社会が到来するという事かもしれない。(一体)、どういった人々が社会を支配する様になるのか、そこのところのカテゴライゼーションに関する知見が失われていると損をするだろう。それは、(決して)、ヒトのオスでもなければ、女の股に隷属する事に価値を見出さない男でもない。デモンストレーションなど形に過ぎない。「その意味で」デモンストレーションなのである。「それ」が暴徒化されれば軍や警察が動く。ヒトが死を恐れる様になるのは、脳の錯覚によるという奇説もあるが、そうではなく、具体的数値等で指標化出来る概念を当該の対象である客体に適用する場合勿論それはその客体の十分条件であり、それを十分条件ではなく必要条件であると考える事による。


(2024/5/7 20:30)
(2024/5/8 2:55)
(2024/5/10 20:30)




これで、ともかくも、イスラエルが直面しているのが構造的差別であるという事が明るみになったであろう。(人道的観点からして)尊厳を無視されている人々について、権利がどうとかそういうレベルの話は通用しない。これは戦争である。イスラエルにおける、その、アメリカとのtieと強権国家(に属するもの)であることの二面性が、彼の国の(強権的)尊厳を保たせている。ネタニヤフ首相は存分にお分かりだろうが、全世界における構造的差別の被害者を求める連中の自分らに対する具体的対応が、彼らにおける具体的対応を呼ぶ。イスラエルの国際社会的役割はそうである。イスラエルの国家性は「そこ」には無い。


(2024/5/7 18:22)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
Shinpei Sugiura
性別:
男性

カテゴリー

最新記事

(04/13)
(04/10)
(04/08)
(04/03)
(04/02)

P R