「自己主張すると「バッシング受ける」時代 元プロが子どもたちに“絶対使わぬ言葉”」というニュース報道に際して(西暦2023年5月7日記載)
いや、だから、主張の内容によるでしょうね。確かに、あまり優等でない子供たちも見捨てずにちゃんと教育しようという態度は、教育者としてご立派かと思われます。ただ、「自己主張するかしないか」や「(そもそも)自己主張できるのかできないのか」ということは後から付いてくるものだと考えられます。自己主張といっても、只「俺、俺!」と言っているだけでは、ただのオレオレ詐欺と同等であり、なんだテメェウゼぇよということで彼らは人々から排斥されてしまうでしょう。だから、無根拠な自分を分かって欲しいという甘えはヒトの社会では通用しないということをしっかりと子供に(子供の頃から)教えることが大切であると考えられます。
「共和党に歩み寄るESG擁護派も-ブラックロックCEO発言後の米国」というニュース報道に際して(西暦2023年6月30日記載)
環境は人々のエゴの産物ではない。「そういう」人々が人民を代表するから、人々は翻弄されるばかりである。良くも悪くも、環境は人々の所有物ではない。この場ではそれを普遍的善悪と呼ぶが、それについての分別の付かない者は現代社会においては排斥されるだけである。この点において、だが、「空気を読めない者は排斥される」というのは正しい。
「「教育がないと貧困は再生される」外国人1割超の新宿で学習支援が必要なワケ」というニュース報道に際して(西暦2023年6月9日記載)
只の評定が、その場合の指標として適切であるということは(あまり)ありません。それは、「知能指数」や「学校の勉強の偏差値」と同じ事で、本人の環境にまつわる様々なパラメータが影響します。……私は機会平等性ということを云っていますが、教育は万人に(等しく)与えられるべきものでしょう。
「子供の「発想力を狭める」親の超もったいない言動 無限大の想像力を受け止めてあげよう」というニュース報道に際して(西暦2023年6月8日記載)
同じ子供といっても、10歳未満くらいの子供がこの記事で言われている境域において為らしめられることは適切かもしれませんが、高校生くらいの子供がそれでは困るでしょう。大人の中には、何故円周率3.14...がπと置かれるのか理解できないというヒトが居る様です。これは中学生や高校生程度の学習内容にコミットしている子供においても同じであり、代数の代数たる由縁が分からなかったら数学も物理も何もありません。「子供の「発想力を狭める」親の超もったいない言動 無限大の想像力を受け止めてあげよう」はいいですが、「子供をバカにする」「子供をバカであることにする」教育は是非避けて頂きたいです。確かに、欧米の教育が「上」をつくるところのものならば、日本の教育は「下」をつくるところのものであるでしょう(東洋はその元来的なヒトの生態的に社会主義的です)。しかし、日本人だって馬鹿な人間ばかりではないですから、きちんと教える事は教えた上で、ということです。学校の勉強だって教科書が基本ですよね?
「飛んでいる矢は止まっている!? 古代ギリシャの哲学者が残した摩訶不思議なパラドックス」というニュース報道に際して(西暦2023年6月26日記載)
だから。点にも面積があるって事だよね…?
「もしもタイムマシーンがあったら…過去の自分に言いたい!やり直したい!」というニュース報道に際して(西暦2023年7月13日記載)
物理学には滅法弱い私ですが、一つ疑問があります。仮に、過去なら過去で過去に戻ることが出来た(?)として、それが「同じ」時間軸である保証が何処にあるんですか?過去から出発した現在(?)に戻るという場合でも、同じ疑問が湧きます。何か、こう、パラレルになるのではないのですかね?経過というものがある限りにおいて、「それ」が同じものである保証が何処にあるのでしょうか?それは、今ということについて考えてみても同じことです。過去が何処に存在するのでしょうか?0も∞も確実に数として存在する。
「「この世界は人間が見ている夢なのではないか?」という説」(西暦2023年9月14日記載)
ヒトが過去と未来を区別することが出来るのは、只ヒトの脳において過去への憧憬として記憶が残っていたり未来を回顧したりする脳作が存するというだけのことではないでしょうか。インクの分子同士がランダムに衝突する(様子が見える)から、(そこでの動作は全て)逆方向に変化する可能性が無い、ということではないでしょうか。私は物理学には詳しくありませんが、違ってますでしょうか?例えば、非代替性トークンなどというものは、そのtexturizationが(からして)、単なるそういうものです。何故既存の経済学が「つくりもの」であるかという事にも、少なくともこれについては、物事の問題の本質があらわれています。例えば、著名人某氏の初ツイートには非代替性トークンの定義に当てはまる価値が場合によりあっても、別の何某氏がツイートした「パンケーキ」という初ツイートには同の定義に当てはまる価値は無いでしょう。しかし、この2ツイートにそのような「差」は無いでしょう。仮にも、後者「パンケーキ」を購入しようとするヒトが居るとして、それには0セントも含めて何らかの価格が付くはずです。非代替性トークンなるものの定義者達は、カネが支払われるか支払われないかという事に問題をすり替えています。サルにタイプライターを叩かせて「ハムレット」の第一幕が書かれ得るというのは、ヒトがポーカーを行っていて、(自分の意志次第で)ロイヤルストレートフラッシュを毎回出すことが可能である、というのと同じではないでしょうか。単なる想像ということでもそうですが、情報が足りなくて考えても答えの出ない事について、その様に脳内で遂行しても、全く徒労に終わるということは自明です。その点において、物事の羅列というものは、私において、ある種の重大な意味を持っています。これは考えるということの表象です。結果として、「そう」物事は現象します。「ある」断定において、私はそれを操作しようと能動しているのではありません。だから、仮定というものの意義を考えると、私はそれを嫌います。運(luck)のパラメータというのは存在するのではないかと私は考えます。
(西暦2023年9月14日8時40分記載)
「36×25が一瞬「暗算」数学嫌いも即使えるテク4選 はまったときの効果は絶大、仕事や生活に役立つ」というニュース報道に際して(西暦2023年7月14日記載)
単純計算と数学って、あんまり関係無いと思うんだが…。算数と数学は違う。しかも、こんなの、720+180で一瞬じゃねーか。大して頭良くなくても出来る。
「あなたの魂は過去世生きていたのか?」というニュース報道に際して(西暦2023年9月4日記載)
魂云々ということは、少なくとも一回は死んでいるわけでしょ?つまり、仮にそうであったとしても、同じ時間軸に生きている保障が何処にあるのかということです。物理学のことはよく分かりませんが、パラレルでない(?)同じ時間軸という場合、ここで云われているところの魂とやらは、物理的な肉体と何ら種類の異なるものではないということではないでしょうか。例えば、「バタフライエフェクト」の如く、別のパラレルな世界を生きていようが、他己の干渉は余計なお世話です。予定調和に基づく、それぞれの単元的なものが、パラレルなワールドを生きている限り。
無限大はそこにある?0も∞も確実に数として存在します。「『それ』は既に来ている」ということではないでしょうか。例えば、「白い壁を黒いと言え」とか「『カラスは白い』と言え」とかいった命令にそれは嘘だといって不服従するのはあまりにも非本位的でしょう。私は、上記の様な命令に従う場合、それは「その様に『命令された』後」の自己決定なので特に苦にはなりません。責任を取るのは命令者でしょう。そうでなければ、命令者と被命令者という関係に(で)順ずる、指揮系統が為っていないということでしょう。つまり被命令者が命令者に従う意義はその場合無くなります。被命令者が命令者に従う意義が無い場合でも命令者が被命令者に対して命令しようとする場合、それは殺人の現場です。上記の様な非本位性はあくまでも本位的です。例えば、その様な非本位性は本位的に特定のターゲットに対する集団ストーカーに(て)象徴されています。
(西暦2023年9月4日11時20分記載)
「ECB総裁、「行動は言葉より雄弁」-次回金利決定について示唆せず」というニュース報道に際して(西暦2023年9月5日記載)
A word entered in the form to search for what featured object in the name of it is memorizes my name as Japanese Kanji and notification must be the same, but the form recognizes another nominal object in Latin alphabet. If I do not have such a word, exactly I should be attacked.
I am sorry for keeping up with knowing none of yours.
母国語以外の言語とバイリンガルであるとかないとか、例えば英語を原文で読んでそのまま意味を理解してものを考えることが出来るとかもしくはそれを出来ないとか、そういうことは関係がありません。言語(の基体)が分かれているから、上記英文で説明されている様なことが成り立ちます。対象の存在が前提になっている場合、確かに「行動は言葉より雄弁」かもしれません。
(英語の文章だけだとコメントとしての掲載の認可が下りないのでということもあり、日本語で上記の文章をも載せておきます。もちろん、私は、簡単に日本語に訳してその意味を理解できる様な文章ならば、最初からその日本語の文章の方を載せます。英語の文章を載せているのは、英語でしか理解出来ないものが在るから、ということです。悪しからず。)
(西暦2023年9月4日23時0分記載)