「教員による「指導死」なぜ繰り返される「現場から離す仕組みを」というニュース報道に際して(西暦2023年4月23日記載)
人工知能を用いた学習は効果的でしょうが、もちろんそれを(現場で)取り扱う人材が必要になる。学校の教師が全く必要無いということにはならない。もし仮に技術的に人工知能のみでの子供たちに対する教育が可能であっても、その場合、ヒトを全く介さないとなると、子供たちには明らかに歪みが出るでしょう。
ちなみに、被差別民族になるのが嫌なのであれば、悪事を働くのを止めることですね。善悪の区別が付かないというのであれば、どうしようもない。
問題は、特に公立小中学校の教職員の社会的地位が低すぎることです。これを是正するには、学校の先生たちの給料を大幅に上げるか、彼らを大学教授並みの名誉職であるということにするしか無い。後者は前者を連動させるでしょうけど。
ネットを見ていれば分かる通り、社会には悪質な人間は大勢居ます。そのまま大人になってしまった彼らは、当の不良教師を(で)鑑みていれば分かる通り、もはや更生不可能であり、少なくとも社会人としては「ハイ、クビ」と戦力外通告というわけで戦力としてそう扱われます。
霞が関のコンビニでは、レジの順番を待つにあたっての官僚の人たちの実に秩序だった礼儀正しいなり振る舞いが観察されるそうですが、優秀な人材を集めるには、教職員の免許を取得するのにも、例えば司法試験並みの難易度の試験を課して、そういう要領で選抜するしか無い。人格検査の様なものもきちんと行ってね。
「学校の先生は偉い」という社会的コンテクストが出来上がれば、子供たちも先生たちの言動や行動を真に受ける様になるでしょう。教育の質はもちろん上が(ってい)るわけで、非行も大幅に減るでしょう。