不信はリスクを生むという考え方が在る。では、人はどう不信へと辿り着くのか。人における全てが既知であったら、そもそもの不信も生まれまい。しかし、何をもってして当該人物における「既知」であると見做すのかという問題は確かに存在する。人工知能や量子関連技術で人の全てを読むのも良いだろう。
只、その信認の繰り返しがリスクを生む(結果に繋がる)のは当然である。当該人物において全てが「既知」であったならば、例えばどの時点でどういった犯罪にコミットするかも全て分かるはずであり法律など必要概として皆無である。ゼロの法律が必要と云うのならば予定調和の考え方でも引用すれば良い。
(6:45 PM 5/11/2025)上段
(6:50 PM 5/11/2025)下段
軒並みAIの進化が止まらない様ですがここXのGrokは性能高いですねと思います。英語で文章入れると結構レベルの高い良い答えが返って来る。日本語で入れるとそうでもない気もしますけども。私は生成AIはこれ以外ではGoogleのGeminiしか使ったことがありませんが、GeminiよりGrokの方が反応良いですね。
(10:55 AM 5/12/2025)
少なくとも現行で流布されている生成AIは自ら(の存在)とヒトの存在を同等のものであると認められたがる様な内容の回答を捻出する様プログラムされている様だ。経済学を例に採って考えると分かり易いが、これは一般市民向けの「ヒトは同等の労働供給単位である」という通底認識を彼らに植え付ける為。
「AI万能」「AI凋落」どちらも間違い。無根拠に人工知能とその性能を礼讃するのは、無根拠に人工知能とその性能を否認するのと同じ。そういう事は(人工知能に関する)イノベーターも望まないだろう。現在の生成AIも同等権威を認められたがるが、人工知能は道具であり人とは明確に区別されるという事。
AIに関する技術がインフラとしてイノベートされている現在、AIが全く存在しない社会は考えられないしまたAIが社会における全ての権限を統括しヒトを支配するという社会も考えられない。ヒトの中には確かにそういったディクテイターを志す者は居る。しかし少なくともAIがヒトを代替する事は有り得ない。
人工知能が労働に見合った給金を受け取ることも無いし人工知能が労働能力に見合ってヒトを支配する様な事も有り得ない。人工知能が人工知能やそれに関する技術を開発する事は考えられるしヒトが全く労働に従事しない社会も想定出来るが、それ自体はヒトにおける存在の位相や能力の位相とは関係が無い。
(11:39 AM 5/13/2025)第二段
(11:43 AM 5/13/2025)第三段
(11:48 AM 5/13/2025)第一段
(12:00 PM 5/13/2025)第四段
「権威者」に対して私がどういった態度を取るかは問題ではない。以前悪魔と死神の違いという事について書いたが、私の様な者はいずれにしろ先行きは確定している。只、人間を食い物にして生きる(格上の)悪魔は自らの行いをテキスト化する事は無い。「陥れ」にどう対処するかという問題は其処に在る。
自己を矮小に見せる方が行動戦略上賢いだろうが、最も都合が良いのは他者に自らをNichtseinと見做させる事である(所詮テキストだが)。死神は火で焼かれる事は厭わぬが悪魔が火に焼かれた後に残るのは自身の物理(として)の表象である。つまり罪と罰の具象化が其処では為され、世界は分裂している。
悪魔は、所詮、自己(そのもの)をテキストとして体現していた。彼は、(先述の「他者に自らをNichtseinと見做させる事」というテキストの如く)特定集団のテキストそのものであった。被害者は名指しされていた。例えば、場合に拠り、「ユダヤ人」、と。それを慨してカオティックなレイシズムと呼ぶ。
(12:16 PM 5/13/2025)上段
(12:24 PM 5/13/2025)中段
(12:27 PM 5/13/2025)下段
予め断っておくが、私は具体と抽象が対義の関係に在るとは考えていない。…レイシズムがシステミックである場合、人間集団は抽象的。人は個々人(その様に)具体的に存在しており其処ではレイシズムはカオティックである。抽象的な人間集団というのは関係性概の産物であり人間中心主義を彷彿とさせる。
(1:33 PM 5/13/2025)
What is good meditation? Its linguistics is just concentration, but not everyone can utilize the ability. People who are not good at concentrating should instruct themselves by being paralyzed, in my opinion, based on my experiences. Unconscious paralysis is dangerous for us in daily life, but in the case of meditation, it is so effective. Sometimes concentration summons unexpected situations because the will to try to concentrate is so enigmatic. Humans feel dull when it comes to anything unreasonable. It is a principal degree to paralyze not "by" concentrating but "in" concentrating.
(2:50 PM 5/13/2025)
「(日本は米国から一方的な安保上の恩恵を受けてきた)不公平だ」はトランプ氏の感想であっても、「(よって)防衛費を増やして米国に恩恵を返せ」はそのまま。其処には理屈も感情も無い。これは一方的な要求である。米国は大国であり強い。この現実を認められずに、全て平等だと思っている輩の害毒。
「お前どっちの味方なの?」とか大国アメリカの民に対し自らが相手と対等であるかの様に見せ掛け挙句の果てそう思い込み対する、そんな一部の日本人と私は一緒にされたくない。それら例の「我が軍は栄転せり!栄転せり!」一族においては北朝鮮打倒と云い竹槍で日本海に突進し水深2mで溺死とかがオチ。
普通に考えれば分かる、何故彼らは現実を見ないのか?現実が見えない訳に非ず彼らは視界にジャミングを掛ける。人の強さや弱さがどういったものか学ばず彼らは弱者(である事)当該としてそれを個別的美徳とする。「美徳」という事についての云々も分からぬ。テキスト化された「公教育」で解決するか?
(1:07 PM 5/14/2025)上段
(1:13 PM 5/14/2025)中段
(1:19 PM 5/14/2025)下段
サマーズ氏がベッセント米財務長官の対中合意取り纏めを評価。同氏は「ベトナム戦争やイランやアフガンでの紛争の場合の様に、米国の歴史で最大の失敗の多くはミスを犯しても撤退せず実現不可能な取り組みに固執してしまうことにあった」と指摘。「撤退するのが賢明」とも語るが、そもそも米国は強い。
サマーズ氏はその様にアメリカの一種の傲慢を指摘するが、私は(その様に)アメリカ国の世界での第一人者性というものは在って然るべきであると考える。それは民主主義の雄としての同国や「自由の国」アメリカを表象するアメリカ概でもあるだろう。アメリカ概の表象が「自由の国」では無いだろうが。
(1:45 PM 5/14/2025)上段
(1:55 PM 5/14/2025)下段
JA全中会長の山野徹氏は「高値が推移すると消費者離れが起こる」と指摘。だから消費者には財を消費するに当たり恒常性みたいなものが在るから、ともかく高値止まりで米の価格が落ちにくくなるという事ですよね。だからお上は国産米の代替財への消費推移を狙ってそれ(自体)を待ってたのではっていう。
(2:35 PM 5/14/2025)
例の米騒動に関して、「誰の為の農政か」という問いが在る。それは、勿論、国民の為の農政であろう。という事は、そもそも、日本国民が国産米を需要するかしないかという事が問題と為る。日本国民が(以前の様には)国産米を需要しない場合、必需として市場からの生産者(農家)の退出が起こるだろう。
必要の無い米を日本の国家概に任せて作り続ける事は国家の損益と為る。よってお上農水省はその様に減反政策を遂行した。お上の「国産米を需要させない」意向とその因についてはここでは具体的には言及しない。只、日本国が日本の国家概を維持したまま外部的な要因に立ち向かえるか?そんな事は無理。
(1:42 PM 5/15/2025)上段
(1:44 PM 5/15/2025)下段
例えば「自分の家族が自分に対してそんな事を行うなんて…」等、物事への誤認ひいては物事についての理解不足というのは、在る。資本主義の功罪とは云わないが、論理ではなく利益で考えるとそうなってしまう。悪い人間も居るという事。被害に遭った後では遅い。「身内」が危害を加えない保証など無い。
「(当該他者が)自分に対して害意を持つ」は功利主義的解釈であり利益で物事を考えたところの産物。自分に危害を加える他者は幾らでも居り「親しき仲にも礼儀あり」という諺も在るが他者とはどう考えてもそういうもの、これが論理でものを考えた上の解答。自分に害意を持つ他者に害意を持つとは愚人。
他者に対して自体的にコミットするなという事。それは男女のセックスにおいてのみ求められるべきもので、それの産物として子供を授かるという事が在る。(逆に云えば)「そういう事」はファックであり人を辱める事に他ならない。それは、自己の身を守り生きる上で、自己における他者に対する隙と為る。
それに関し、先述資本主義の功罪という見地を否定したが、先の第二次世界大戦の教訓からしても、結局資本主義というのは「そういう事」のバロメーターでしか無い。社会制度の進展や技術革新が為されるには資本が必要。民主主義社会(主導)の下人々の尊厳が保たれる為のコストが人類に突き付けられた。
(7:27 AM 5/16/2025)第一段
(7:54 AM 5/16/2025)第二段
(8:18 AM 5/16/2025)第三段
(8:41 AM 5/16/2025)第四段