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memo137

Making someone learn texturized emotion is an effective way of brainwashing. Pursuing "the stimulus" causes strange initiation of "a good answer." Ironically, any orbit of generation is the most powerful tool to rectify a firm problem in front of reality. That's regeneration.

Why are mentally poor people discriminated against? By the way, what is discrimination? "The dictatorship" is (not) common sense among ordinary people. A persuader also tries the same attempt as the aptitude to modify oneself to the world. That's a texturized attempt. So funny.


(9:45 AM 3/10/2025)above
(1:12 PM 3/10/2025)below




経団連会長、賃上げについて「力強いモメンタムの定着に向けた息吹」と。

私は、それを、「モメンタム」と物理学的に表現して妥当であるのか判断しかねるが、ともかく、そういったものを汎社会的に定着させる為に現在はある程度(の)経済指標上の評定を犠牲にする場合だという事だろう。例えば、日本銀行の植田和男総裁は、其処の所を明確に狙って事に勤しんでおられる。

誰も、中小企業を見捨てようなどとは考えていない。勿論、例えば急激に最低賃金1500円以上にしろというお上からのお達しがあれば、倒産してしまう中小の企業は枚挙に暇が無いという事に為るだろうが、そのような施策をお上が取る訳では決して無い。お上は、その辺りの企業風土を通り越して日本の社会風土的なものを改善しようとしているだけである。

ともかく、出来る事ならば全ての企業において賃上げが為されて取り敢えずも名目賃金の上昇が為されれば、消費者達は自分達の都合に合わせて、例えば場合に拠り安価な代替財の選択などといった形も含めて、(その様に)消費に勤しんでくれるものであると、私は勝手に思っているが…。


(4:53 PM 3/10/2025)




例えば、
賢くあらねばならないのは、自他特に他者に対して(の)愚かさを意識するから。
強くあらねばならないのは、自他特に他者に対して(の)弱さを意識するから。

自他から愚かさや弱さを排除する事が、場合に拠り悪魔的であると云われ様とも、毒をもって毒を制すという社会的是正行為についてそれを否定される筋合いは(誰にも)無い。

何故、少なくとも社会制度の進展や技術革新という形での、ヒトにおける社会の発展を妨げようとする連中が居るのか?(昔はおそらく)社会的な恒常性という事が云われてもいた。しかし、それが否定されれば否定される(結果に為る)程、それは当該的に否定されていった。其処に掛かっているのは、ヒトの意思ではない。(其処に在る不可逆性という事で鑑みれば理解出来る通り)ヒトの意思はそれを邪魔するのである。現代社会に至るまでの文明を紡ぎ出したヒトが、少なくとも現代社会に適応するという(その当該的)見地からして、本能の赴くまま種としての個体数を増やすという事は無い。ヒトはもはやそこまでの知能を身に付けてしまった。ヒトの意思がヒトの個体数を増やす。だから、ある程度はヒトにおける少なくとも社会的な意思というのは必要なのだろう。問題は、そのおそらくは社会的な意思とでも呼ばれ得るものが生命体としてのヒト個々人における(生物学的な?)意思へと変換される必要が在るのかどうか、という事である。私見では、それは社会的な禍根と為る。少なくとも殆どの精神科医は、それを患者と診断結果を下した者から、消そうと試みる。その「正常性」が、ヒトの社会における禍根と為るという事を、彼らは認めようとしない。それが個々人における自己を社会的テキストと化させしめ、人種差別や個々人における経済的努力偏重というものを生むのである(努力しても概ね大富豪にはなれないのは世の常である)。


(6:18 PM 3/10/2025)




インテリジェンスの敵として、一部のアカデミズムの連中の存在がある。…インテリジェンスの歴史は深い。人々が、生き、社会を発展させる為にどう知恵をしぼってきたかという事において、アカデミズムは必須の役割を果たしていない。中世のルネサンス期に起源を持つアカデミズムの勃興は、一般市民が「一般市民として」健常に生きられる様に彼らを教育する為のものである。紀元前の大昔のまま、現在からすると悲惨かとも思われる、その様な社会を作る事も幾らでも出来るのである。実際、ここへ来て、そのあまりの現代社会における汎一的な教育レベルの高さに、人々は(その)生物学的な自己同一性以外のものを無視出来なくなっている。つまり、逆説的に、人々はアカデミズムを否定する事と為った。「それ」が得た肯定概を、それこそ先に述べた「汎一的な」ものへと昇華させようとする、人々のインテリジェントな意識の胎動を現在においては(人々は)感じる事が出来る。…アカデミズムに対する抜本的な改変は、もはや始まっている。

もし仮に、(このまま?)アメリカが景気後退に陥った場合、それでもトランプ氏はアメリカの国家概を崩そうとはしないだろう。つまり、アメリカはさらなる社会主義化をその場合遂げる、というか、もっと現実的な言い方をすれば、(さらなる)中国化を遂げる事に為るだろう。…結果、中国は喜ぶかもしれないが、敵対意識を中国に対して持っているアメリカは、「勝利」を宣言する事に為るだろう。…国家というのは、そういうものだ。(その意味で)白色人種が優れている限りにおいて、白人社会の概逸性を誰も破る事は出来ない。さもなくば、戦争である。中国がそれを望むか?少なくとも習近平氏が率いている限りにおいて、その様な事は考えられない。

一部の、反社会的行為に勤しむ、若年から中年にかけての連中において見られる、「罪こそ喜び」とでも云いたげな、愚劣心においては、自虐しているだけなら良いが、こちらまで飛ばっちりが来る。…ナチスのヒムラーは、主に(ゲルマンの)アーリア民族優等を謳いたいが為に、あの様に(逃げおおせるところの)行為に及んだらしい。…(その為)、人々が多く犠牲に為った。…彼らは、役に立ったのだろうか?…その後の歴史概で鑑みると、彼らは紛れも無く役に立った。しかし、それは役に立ったと云えるのだろうか?…第二次大戦後、アメリカは上手くいった。第二次大戦後のアメリカは、(その様な)歴史概から逸脱している。それが故に、人々は互いを役立てながら上手くやったのだろう。

馬鹿の相手をするには、心の余裕が要る。…つまるところ、無駄な行動とは、攻撃行動に属する。最低限の身を守る為の行為として、攻撃は最大の防御と呼ばれる事もあろうが、基本的に無駄なものは無駄である。元来的な防御行動(とでも呼ばれ得るもの)とは、もう少し賢くある。…ところで、慨して、物理攻撃とは、攻撃的である。最後に「人が殺し合う」事を考えれば、防御行動とはヒトにおいて一般的に構造概化されていると見做す事が出来るだろう。その意味で、「統合」している限りにおいて、ヒトは、当該加害者から攻撃を受けるものであると考えた方が良い。そして、云うまでも無く、それは加害者に拠る自虐である。…「御前という構造を(バラバラに)分裂させたい」というヒトにおける死への欲動が、人を「相互的に」分裂せしめるのである。その様な、奪い合う社会に生きている者らが、反社会的人間扱いされ、場合に拠り精神病患者のレッテルを張られるのは、当然の事である。…与え合う社会の方が賢い。


(3:19 PM 3/11/2025)第二段
(4:45 PM 3/11/2025)第三段
(6:32 PM 3/11/2025)第四段
(7:05 PM 3/11/2025)第一段




金の価格上昇が止まらない。これは、時勢における経済情勢と云うよりは社会情勢に拠るという事だろう。例えば、この際中国をひたすら叩く日本のマスメディアは、これを捨象して「事に及ぶ」。マスメディアの役割は事実の報道だが、彼らの「報道ありき」という姿勢が窺える。存在概一般における自己を第一義とする人々の(その)社会的姿勢もしくは態度というものは、明らかに問題である。其処は、残念ながら、(個々人間におけるという様な)礼儀という事では立ち行かない。…礼儀というのは、世界を多分化させる。

ナチスが第二次世界大戦開戦の契機としてポーランドへ侵攻したのは、(ヒトラーの)政治的側面に拠るものであって、それを第一義に軍事的野望と云うのは間違っている。戦争に礼儀など有るか。そう、政治の世界というのは、政争という言葉の通り、戦争である。

つまるところ、善悪などというのは程度問題である。「力」というのは、性悪説の産物である。それが無ければ、現実問題の解決は何も立ち行かない。その、美徳への回帰が失われてしまった状態をして人は異常と呼ぶのであり、其処に罪と罰の関係を人は見るのだろう。…否。「見ている」者ばかりではない。パスカルは「神あり」と賭けるか「神なし」と賭けるかという問題提起をしたが、彼らばかりであれば、全ては0か1かの世界へと為るだろう。世界における当事者感が当該化されている状態をして人はそれを社会と呼ぶのである。「見ている」者だけであれば、それは為されない。其処に在るのは、カオティックレイシズムであり、「見ている」者だけの場合、有り得るとすればそれはシステミックレイシズムである。


(11:42 AM 3/12/2025)上段
(12:40 PM 3/12/2025)中段
(2:20 PM 3/12/2025)下段




人生概程陳腐なものは無い。それは、他者のそれを表明するテキストで鑑みてもそうであるし、自己の人生という事についてもそうである。これが、人生義と為ると問題として別である。それは、陳腐であるとか陳腐でないとかそういった事ではなく、只辛辣である。人は「そうやって」眼前の問題に対処しながら生き戦う事を覚えてゆく。それが繰り返されれば繰り返される程、認識世界は前衛的に為り、世界はインテグレートされてゆく。乳幼児の頃の自分から大人になるという事は、「それ」を選択概として一つ一つ経験を積み重ねてゆく事である。それはテキストではない。当事者概を身に付ける事である。三島由紀夫氏がスポーツに熱心に勤しんだのは、ともすれば(年齢を重ねるに従って?)忘念されてゆく「それ」を追い求めての事ではなかったか?その様に搾られ尽くして人は未来と過去の狭間で死を迎えるのである。同氏の、一般的には試みとされているものは、自殺ではない。彼は(死ぬべくして)「死んだ」のである。独語で"es war"と云っても良いし英語で"as it was"と云っても良いが、ともかく、彼の死はタナトスではなくエロスに拠って為され(てい)たのである。その意味で、三島由紀夫氏は、非常に女性的である。彼の唯名は実にマージナル(限界的)であり、平岡公威氏が物理的な肉体の死を迎えた後も、三島由紀夫氏はリプロダクトされ続けている。彼は、同性愛者でもなかっただろうが、自己性愛者でもなかった。彼は女性だったのである。しかし、彼というヒトの肉体は女性ではなく男性であった。「esの無い人」と彼が云われていたのは有名だが、彼は「es」の唯名で云われ得る者だったのではないか?その様に、彼の人生において、彼の人格は乖離していった。それは理想を追い求めての事ではない。自らがリジェネレートされる事を、彼は常々求めていたのである。彼の作品群はその様に作り上げられているであろう。


(5:53 PM 3/12/2025)




Protecting human females means the development of society. The color of my skin is yellow, for example. This explanation includes the problem itself about not women but human females. This issue refers not to biological self-identity (of human beings).

The developing meanings of words in conversation are likely to be superconductive substances. Paradoxically, when we take it to become cynical slings, everything does not go ahead. Because of the texturization of it, it does not work.


(4:14 AM 3/13/2025)above
(7:44 AM 3/13/2025)below
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