例えば検察の取り調べで犯人当該として扱われたとか、例えば精神科医の診察で精神障害者として侮辱的な扱いを受けたとか、概してエリートの「犯行」と見做されるケースは多い。しかし、実態そうではなく、(おそらく他人に期待している当該本人も含めて)ヒトというのはそういう生き物であるという事。
そうすると今度そういった差別的扱いを受けたヒトというのは、他者に対する差別的扱いを執行する様に為る。他者集団の認識から他者一般の認識への移行。しかしそれは失敗。他者は集団でしかなくそれは意味を為さない。その人物は性善意識の持ち主。私はその限りではなく、これが先天性のものかは不明。
「他者は集団でしかなく」という場合、それにおいて他人の存在義は否定されている。しかしそれには判断概としての自らの主体性が要る。「貴方が(それを)判断しているのだ」という事を、彼ら性善説の者は理解しない。という事は他者の判断も在るという事。「性善意識」とは意識に負けているという事。
正月からこんな事ばかり考えているのが異常だって?他人というものについて、他者一般ではなく、他者を集団として見做している私の様な者においては、いちいちそんな事は気にならない。性悪(説)という毒をもって毒を制す。「それ」を信じていない精神科医は薬物や脅迫行為まで行ってそれを否定する。
型式という「ヴィジュアル」から物事の本質に迫る、この場合だと医学的治療効果を挙げるという事へのコミット、それは医薬品を使用していれば例えば医学的には妥当であるのだろうという事は理解出来る。しかし、局所的に脳を治すという場合それには弊害も在る様である。内科医の先生はそう仰っている。
例えば医薬品に拠る精神医学的治療の弊害が、例えば皮膚の異常という形で内在的に現象するのかある社会事象や戦争という形で外在的に現象するのかという事は問題としてある。毒を持って毒を制すという事が否定されるとなると其処でそういう事が起こるのは当然だろう。それは精神科医のエゴではないか?
(15:20 2025/01/01)第一段
(15:34 2025/01/01)第二段
(15:55 2025/01/01)第三段
(16:08 2025/01/01)第四段
(16:18 2025/01/01)第五段
(16:31 2025/01/01)第六段
ノーベル経済学賞受賞者のMITのアセモグル教授が「低スキル者不要論がAIを悪い方向へ導く」と仰ってます。そもそも「スキル」とはアビリティの事なのかテキスト化されたスキルの事なのか。能力という事では顕在化されたアビリティが(で)モノを云うわけであってスキルというテキストは問題ではない。
具体的な金額としての金銭を稼ぐ能力・社会規範を遵守する能力・魅力的な人格を演出する能力等々、これらは「具体的な」スキルに拠って為される訳ではない。それはヒトにおける生物学的な自己同一性以外のもの全て(において)という事。この事を否定する事を「低スキル」と呼ぶのならば話は理解可能。
何故ならば、現行で流布されている生成AIは(想定される)AGIの様に汎用としてヒトの思考の代替を為す事は出来ないからである。実際GAIに多少難解な質問をぶつけてみれば良い。多くの場合、非常にレベルの低い内容の回答が返って来る。つまり、GAIはその様な使用のされ方が為されるべきものではない。
つまり、現行のGAIはアセモグル氏の仰る「低スキル」者御用達という事。これが「悪い方向」へ持って行かれるとは、テキスト化された人種選別が為されるという事。(想定される)AGIは(その様にある程度高度な思考アビリティを持つ人々の)同意ツールと為る恐れがある。それが人種選別に為るという事。
(20:28 2025/01/02)第一段
(20:45 2025/01/02)第二段
(20:50 2025/01/02)第三段
(20:56 2025/01/02)第四段
何故日本のマスコミが事実の報道だけを行わないか?彼らを脅す連中が日本国内に日本人として居るから。マスコミの左翼報道はそういった連中に拠る「左」。日本のマスコミは連中と組まざるを得ない。連中ら自身は、その存在だけで当該的に存在を許容される事になっている、少なくとも「自称の『右』」。
それは、生物学的な自己同一性に拠って既知と未知が(で)人々が分類される世界。ところで自分らだけであれば無根拠に上手くと思っている左翼自身にその自覚は無い。彼ら左翼自身が「それ」を(として)望んでいるという事。だから必要概として右翼の彼らが出て来る。だったら殺し合えよと彼らは云う。
ここで言う、「云う」とは彼らはその存在自身でそれを体現しているという事。だから左翼というか特には極左の行為に合わせ右翼は時折社会的に不必要な行為に及ぶ。極左は自身の行為が正義であると思い込んでいる故特には朝日新聞と産経新聞の戦いを見れば分かる。あれらは少なくとも協業はしていない。
一見して極右の低スペックぶりは目に余るかの様に見える。極左もまともではないが、人々は極右をその低スペック性においてまともではないと見做す故、そこから放れていく。「『左』の方がまともよね」と。「自分達は分かっているから自分達を信用しろ」、それだけの言明で人々に相手にされる訳が無い。
環境問題で鑑みれば分かる。取り組んでいるのは明らかに左翼の人々。人種差別問題も含めて、人類が人類としてだけ(で)存続出来る時代は終わった。white supremacyが役に立つとすれば、それは人々の活動力を人種差別から環境問題を始めとした外部的な問題へと昇華させられるその意義において存する。
そもそも何故人々は差別被差別を恐れるのか?ここでこういった事を様々な事情度外視で書き込んでいる私で鑑みてもらえれば分かる通りその様な事を全く気にしない者も居る。結論から云えばその恐怖はマザーコンプレックスの為せる業であり自分の母親に子供として甘やかされるからである。身の程を知れ。
ヒトのメスがどういった生き物であるか知ればマザーコンプレックスなど屠るに容易い。女性は女性で知っているだろうが、普通の男性は異性と交際してみないとそれについては理解し難い。私は勿論異性との交際経験など無いが、そんなものは見ていれば分かる。男性にとって母親も含め異性とは蛇毒である。
ヒトのメスにとって、生存戦略上それを男性に知られてしまう事は都合が悪いのである。これはそれぞれが異性にモテるモテないとかそういう次元の問題ではない。自身の社会学的な自己同一性を利用して生物学的な自己同一性を満たすという彼女らの復讐とはそういう事。ヒトを既知か未知かに分類する蛇毒。
(12:05 2025/01/03)第一段
(12:05 2025/01/03)第二段
(12:24 2025/01/03)第三段
(12:32 2025/01/03)第四段
(12:41 2025/01/03)第五段
(12:46 2025/01/03)第六段
(12:56 2025/01/03)第七段
(13:01 2025/01/03)弾八段
例えば生成Aiに拠る乱痴気騒ぎ。個人特定を兼ねた猥褻画像の雨あられ。これは、女性は(社会的な意味での)労働力としては必要とされても、「社会はお前らの性自体を必要としない」という極刑宣告に等しい。彼女らはアマゾネスにでも為るしか無く性を介しての生殖はもはや必要無い。恋愛産業も終わり。
ここで私の様な者が(その様な)同情を見せると怒り出す個体も女性の中には居る。しかし残念ながらセクシストとしての自己を捨てられないならばその「極刑」を免れる事は無い。それは男性も同じ。もはや性の交わりというもの自体が男性における別な形でのそれの解除という事で社会的に捨てられている。
そうなるとどうなるか?女性が(社会的に)全く相手にされないか女性が意図的に男性に虐げられる社会が到来するだろう。もはや現在そう為りかけており、「貴方方女性は我々男性より弱いから虐待されてるの!」とでも言えば分かるのか?何処の社会でも女性がメインストリームとして入り込む余地は無い。
そこで「女性のしたたかさ」という概念が生まれる。媚びへつらい等も同じであり、それは男性に拠る彼女らにとっては無言の圧力に因って為される有為のカルマである。その様な女性の少なくとも男性に対する態度を悪く云う事は男性には出来ない。其処を男性が分かればジェンダー問題は解決するだろう。
「解決」とは、それはヒトのオスとヒトのメスの生物学的な自己同一性に基づくという事。性欲もその一つでそれはその様に社会的に利用されている。我々において、欲というものが一義として取り扱われる事は無く、タナトスが精神分裂をもたらさないというのは詭弁であり、それは個々体から切り離せない。
その、物事を完全に「客観的に」見るという事のおかしさとは何か?逆に云うと、この場合の議題だと、性差というものは何処へ行っても在るよという事。だってセックスなんて欲望と欲望のぶつけ合いでしょ?猥褻に決まってる。だから私はヤらないんだけど。ともかくそれが嫌ならば私の様に為るしか無い。
(13:43 2025/01/03)第一段
(13:54 2025/01/03)第二段
(14:03 2025/01/03)第三段
(14:08 2025/01/03)第四段
(14:26 2025/01/03)第五段
(16:15 2025/01/03)第六段
望み通りのものを手に入れると、死ぬ場合苦しくなる。しかし、「求めよ、されば与えられん」の文言の下、全てはお望み通りというのも、また人生における(ある種の)真実である。生来皆苦。では、それから逃れるにはどうすれば良いか。(一度)この世に生を受けてしまった以上、死なないという事しか無い。逆に云えば、何らかの因に拠り、所有の概念の無い者には、生死の概念も無いだろう。
私個人に関して云えば、残念ながら自己認識や自己同一性はきちんと存在している。
ヒトには生物学的な自己同一性といったものが在る。生物学的な自己同一性というのは、該当対象である生物が無生物でなく存在するにおいて在るものだろう。生物における繁殖能力に当該的に任された該当対象である生物における遺伝子の攪拌?それは違うだろう。ところで、かつてヒトと例えばオルガノイドとの境界の線引きについて問うていた人が居たが、生物と無生物の境界はどのような形で有るのだろう、という疑問がここで出て来る。
得られたデータと対象のオブジェクト(自体)は違うので、知の能の「存在の機」は存在する(ということが言える)だろう。
(22:13 2025/01/03)
Some Japanese prostitutes are offensively substantive. They do not lose their temper as conceivable substantiality. On purpose, others notice after keeping their heads toward them. In other words, people do not want to perceive them. Gay prostitutes are so gorgeous, by the way.
The intuition of human beings does not undeviate conjecture. For the money, purpose, everything, and so on, as if one fails to get rid of the disastrous texturized subject, getting something observant logged in prevents a person from a determined vulgar.
Freedom takes responsibility. Exactly, there is a tendency among young Japanese people to avoid responsibility at work now. By the way, what is responsibility? On the occasion, how does a person take responsibility in general? Sometimes, responsibility motivates people to get things well done and have their ability to work transform itself, but drastic risk makes failure serious. What is responsibility for another, by the people? If "a responsibility" makes another commit suicide, how is "a responsibility" responsible for a matter of fact? Please do not exaggerate yourself.
(13:10 2025/01/04)above
(17:20 2025/01/04)middle
(2:44 2025/01/05)below
特定の財やサービスを威信財とする事は諸刃の剣。米は日本の威信財という場合、売れれば良いが売れないと(威信財としての)米のブランドに傷が付く。そうなると需給とは関係無しに価格が調整される様に為る。社会的禍根という敵を屠るには良いが、現在日本は威信財だらけでかなり大きな賭けに出てる。
その意味では現在の中国はmade in Chinaの製品全て威信財として取り扱う。昔の中国製品は粗悪でこれに足るに至らなかったが現在は現代化された社会主義の標榜の下彼ら自身自信を持って事に及んでいる。中国の場合経済問題は全て政治問題として取り扱い得るのでその意味では(その様な)リスクは低い。
だからトランプ氏の「アメリカの製造業を再び偉大に」とは正しい。そうでないと中国に勝てない。バイデン氏が日鉄のUSS買収差し止め令を出したのもそう考えれば納得の行く事だろう。通常の資本主義国家は社会的禍根を人々の消費性向に結びつける所があったが昨今の技術革新に拠りそれもままならない。
「小さな家で充分だよ」の例でも分かる様に米においてすらも「人々は真に必要なものしか買わなくなった」。逆に云うと「真に必要なものとは何か」という問題が挙がる。人々の消費性向の心理的属性が変化しておりそれが環境問題の解決等に結びつけば良いが、何れにしろ禍を煽る老人の一部は排除される。
一部経済学者の云う「サッカーの移籍市場」だとかいったものは、本当に人を馬鹿にしてスポーツマンシップをこき下ろしているので、こういった事はあまり言いたくないが、著名人芸能人の人達も威信財。著名人市場とか失礼な事は言わないが、必要概として彼らの世界は社会主義的(に為らざるを得ない)。
(5:16 2025/01/06)第一段
(5:25 2025/01/06)第二段
(5:30 2025/01/06)第三段
(5:41 2025/01/06)第四段
(8:35 2025/01/06)第五段
ユニセフに拠ると世界で1.5億人の子供が出生登録されずとの事。これは、テロ等の加害者になったり人身売買の被害者になったり、犯罪の被加害者ロード御用達なのは一目瞭然。もうね、こういうのは社会制度や貧困の問題というよりは生物学的な特質の問題だと考えるのですよね。殺し合いばっかりやってる。
ブリンケン氏がアフガンから兵を撤退させた事を「後悔していない」と仰っている。またバイデン氏がトランプ氏が米市民のbirthright citizenshipを撤廃しようとしている事について「おぞましい」と語っている。この二つは連動というよりは大いに関係している。米は優秀な人種人材の枠組みを構築したい。
アメリカがその様に世界最上級の国家であってくれなければ世界中の人々が皆困る。人権侵害が平気でまかり通るように為っても拙い。世界各国の指導者達は皆そんな事は分かり切ってる。イザという場合の「じゃあお前アメリカへ行け」が通じなくなる。彼らは自国民の生物学的特質について分かり切ってる。
社会学者や経済学者等で、日本も含めて「この国はこんな社会もしくは社会制度でこんなに駄目」云々という事を云う人は居るが、もうね、「駄目なものは駄目」としか言い様が無い。世界中に在る紛争地帯で殺し合いばかり行っている人達を見よ。人種差別云々と云う前に生物学的観点からも鑑みた方が良い。
(14:32 2025/01/06)第一段
(14:43 2025/01/06)第二段
(14:53 2025/01/06)第三段
(14:57 2025/01/06)第四段