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memo127

米の価格の高騰が止まらない。生産者はベネフィットが出なければ必然的に廃業となるので、この現象が否定される筋合いは無い。つまり、米はもはや奢侈品だという事。炭水化物は米以外にも、パン、うどん類、そば、バスタ、小麦粉直の料理とか、色々在るでしょ?米は日本のお国の威信財と云っても良い。

忘年会は飲酒無しで愉しむ傾向にとの報道あり。商店側は儲けが出ず困惑。客に酒が入ってた方が少なくともその場においては経済の潤滑油と為るからお店側は喜ぶ。確かに消費性向自体の上昇が威信財と(して)結びつく場合あり。「お店を消費して下さい」みたいな。売り方の単位を工夫すれば良いのでは?

楽天が総務省に拠るふるさと納税へのポイント付与禁止令について反対しています。楽天は当該ポイント制度に拠る実績を強調しており、総務省側は例えば楽天の様な仲介業者に拠る搾取を懸念している様です。つまり、これは、例えば楽天の例においてはお上は彼らを信用しないという問題に帰着する訳です。

総務省側はその件について自由競争原理を導入しているというよりは(仲介業者の視点立った解釈では)財やサービスの生産者におけるインセンティヴを重視している様ですが、仲介業者側は自分らのインセンティヴは無視されていると考えている。この間Amazonに公取委が立ち入りましたけどこの件も同じく。


(18:16 2024/12/25)第一段
(18:37 2024/12/25)第二段
(18:52 2024/12/25)第三段
(18:57 2024/12/25)第四段




反社会的人間は概してプライドの置き所を認識すべく探すものらしい。「努力が報われるという形で所得に反映されないと努力へのインセンティヴは為されない」というのもその一つ。これは「プライドの置き」自体がプライドの置き所に為っているケース。低所得者は高所得者に屈服しろ、と言っている様だ。

その様な「プライドの置き」自体がプライドの置き所に為っているケースというのは、概して主張であるに過ぎない。「お前は私より下だから私の言う事を聞いてくれよ!」とひたすら言っているだけの、「勝つ方が優れている」ではなく「優れている方が勝つ」のアカデミズムのもの。それは恥の文化の産物。


(11:12 2024/12/26)上段
(11:17 2024/12/25)下段




芸能事務所が当該芸能人に対して移籍や独立を妨害する行為が「優越的地位の乱用」「取引妨害」等の独占禁止法で定める違反行為案件に該当するとして、公正取引委員会が報告書をまとめて公表する事が分かりました。芸能人の人達は体が資本であり、彼らは居てくれないと巷が暴力風俗化するので妥当です。

彼ら芸能人もテキストとして優越的地位当該としての濫用を行っているかもしれないが、彼らは「そういう」テキストだから。彼らがよく云う「メジャー」と「マイナー」という概念で考えると分かり易い。当然メジャーにも制約はあるだろう。妨害行為に拠るテキスト化は彼らをマイナーへと突き落とすもの。

自己責任論というのはそういう「メジャー」な実力主義の世界の産物。だから彼ら芸能人って食い合いでしょ?良い意味でも悪い意味でも。実際彼ら浮き沈みも激しくて、売れる人は売れるけど、居なくなる人も後を絶たない。しかもそれは「マイナー」への転落ではなくて既知たる事後だからリスクは0か1か。


(11:52 2024/12/26)上段
(12:21 2024/12/26)中段
(12:30 2024/12/26)下段




The defamatory by (the way of) prostitutes is a perfect crime. Sometimes, their sociological self-identity can be sexualized, but it's the ideal (for them) when their biological self-identity is accepted. There's a contribution to defaming women's prostitution by men's egotism.

Mr.Elon Musk pointed out "wrong-headed economic thinking" and said there is "infinite potential" for job creation. If people are not premised, each is specialized, and economic thinking is not ambiguous. If people are all monetized, they must obey the sentence, "Money is dirty."


(15:40 2024/12/26)above
(16:20 2024/12/26)below




ヒトの顔について、例えば、女性の話、明らかにその顔面の造形が不美人であっても、そんなに見る者に不快感を与えないヒトの顔というのがある。逆に、造形がプレーンであっても、見る者に露骨な不快感を与える顔というのがある。私は、その対人における負の要因となる顔面相を為すものというのは、嫉妬心ではないかと考える。あの感情が、見る者を遠ざける顔面相を形作るのではないかと考える。男性の場合、女性の場合のそれは、ともすれば男らしいなどという形容でもってして為される場合もあるが、女性の場合は言っては悪いが「干からびた極左のゴキブリ」の様である。

つまるところ、男性において絶対に性欲の対象とならない女性というのは居る。私は男性だが、自らを女性における性欲の対象とならない男性であると自認しているので、それの立証の為、自ら絶対に女性には近寄らない。それは初めから目的概化されている。だから、テキストとしての「アンタッチャブルとして扱われる事」が、私には、当初から与えられている。それを為しているのは私?人々の中には、(社会学等で云うところの)裏局域を示されるとそれを全て本当の事であると考える輩も居るらしい。ここで表局域に該当するのは、上記立証である。私(個人)の女性に対する思惟、自らの対人における社会的立ち位置、上記取り決めや個々の事実や動機といったものは全て裏局域に該当する。givenがgivenとして成立する限りにおいて、それは彼らにおいて「持っていかないで」の世界である。では、「奪われた者達」には何が残るのか?白黒背反の世界が其処では為される。デカルトが云った、"Je pense, donc je suis."というのは、我が思考せねば我など無い、と云っているに過ぎない。「"Je pense, donc je suis."というテキストが全てを物語っている」。そのテキストが、彼女らは気に入らない様だ…。


(22:50 2024/12/26)




What is a reminder of self-consciousness? The more a person eliminates a part of one's self-consciousness, the more one intensifies abortion of the world. If one's possession of anything is independence from the world, a person is over one's self-consciousness.

As the population begins to decrease, administrators in Japan have been worried about being depressed as they are in contemporary reluctance. They concentrate on the border with foreign countries as if the phenomenon occurs inside the country. In Ukraine, the war has happened. The recognition of other countries must be ambiguous. For administrators, it is too unambiguous to govern a country like Japan as acquiescence itself.


(2:02 2024/12/27)above
(9:18 2024/12/27)below




In the Global South, as the population of citizens has been increasing with urbanization, a current median age of almost 25 is against the global average of 30. The population of developed countries, particularly in Japan, is inclined to decrease from now on at least. Generally, with higher education, people tend to think of avoiding unexpected pregnancies. However, when it comes to sensuality, people can not escape from their biological self-identity. As a matter of exposing their bodies, for example, women like to put on thick clothes regardless of season in Japan recently. This occurrence is a tendency of qualified reasoning why Japanese women, which is well done, are highly accomplished by given intellectuality because they are so sensible with sensitivities, I guess.

There is a clear difference between selfishness and self-respecting. Please meditate on it, and you will be able to recognize contemplation by yourself deeply into substantial acquiescence. Once self-respecting is accomplished, you will feel your body becoming right-winged.

By the way, meditation lets you regenerate yourself. You can abandon your selfishness if your body becomes right-winged by meditating on yourself. Although you must identify degeneration contiguous in sequence with regeneration, you can recognize self-respecting.


(11:54 2024/12/27)above
(12:50 2024/12/27)middle
(1:30 2024/12/28)below




Mr.Zelensky said that Russia prevented DPRK soldiers from being captured by the way of doing everything. This information is fake. DPRK soldiers represent the declaration of "attending the world order" by their dictators. However, Russia sends its troops to the killing field to make Ukrainians seize them (including DPRK soldiers). One DPRK soldier had died with the word "intimate Korea." The West must stand for their voices.


(9:03 2024/12/28)




Agricultural products should be prestige goods now and then. It's decisive to supply them to the people. The theory of microeconomics seldom works in this case. Reportedly, the decline of agricultural density will exterminate agricultural sustainability in Japan until 2030. "The big government" must intervene in the agricultural products market at least, or Japanese prestige goods must collapse. There is no problem in sustaining the price of commodities. Please provide subsidies to farmers to encourage supply.


(10:07 2024/12/28)




In that killing field, DPRK soldiers commit suicide as a rejection to distressing their family in the homeland, US officials say. Because dictators threaten their soldiers as if they will harm families, this act is a fragile counterattack as combatants obey the generalities.

Reportedly, some soldiers were to be victims of the murder to make the corps say nothing on earth for the dictators' purpose. They often became desperate attackers to die on the field like a dog in vain. They are deadly to let them opportunistic in many cases, Mr.Zelensky said.


(13:06 2024/12/28)above
(15:24 2024/12/28)below




哲学は「死の練習」であるという言説があるが、それをコンテンツとして当て付けてくる連中も中には居る。物理的暴力というのはテキストの一つだが、それが哲学の名の下行われるのである。ここで云うテキストとは、勿論、唯名論的見地からするところのものである。物理的暴力とは実在論の産物だが、それは(自身の)生物学的な自己同一性においてのみ生きる者御用達のスキルである。仮にヒトが構成する社会においてそういう個体が存するとして、その個体はそれがそれである事すら認める事が出来まい。歩く凶器などと云えば聞こえは良いが、その者に言語使用は(当該社会において)認められていない。それがスキゾフレニアの正体(招待)である。ここで招待というのは、言わずもがな、それがその定義者達に拠る愚人的抵抗だからである。無論、物理的なヒトの肉体の内部に自由意思が可視化された物体として宿っている訳ではない。では、彼らは何に対して抵抗しているのか?ファザーコンプレックスと云うのも妥当かもしれないが、それも彼らに拠る定義である(私見ではファザーコンプレックスは存在しない)。つまり、「神は(その様にして)人々の言語を分けた」。

父親という存在が、ヒトの個々体においてどういう存在であるか。火は技術のシンボルとされているが、それは何時の時においても抽象的である。文明は果たして人々を幸せにしたのかという問いは愚問だろう。

言語能力は上下関係を作る。それは慨してマザーコンプレックスに対するものである。だから、世の父親達は、子供に対しては「そう教える」のである。ゲーテが最後に「もっと光を!」と言い残したのは、天国へ辿り着くべくのものであった。

集団の総意に逆らうとどうなるか?無論、ここで云う集団の総意とは、特定集団のそれの事ではなく、全人類の範疇で為される美徳の事である。つまるところ、只一人の人物が(ここで云う)集団の総意を為す場合も、状況としては想定される。ヒトがヒト以外の動物と同じく生物学的な自己同一性しか持たないものであれば、それは構成される社会主義社会云々と云う以前に、全ての事象が(事象として)固定された世界である。人は、それを、地獄の主サタンと呼ぶ。法というのは、法自体に法的拘束力は無いという事を、概念的には、示すものに過ぎない。人が辛辣な目に合わされて、それでも何かを認めるのであれば、残酷な様だが其処で人はサタニストのレッテルを得る事に為るだろう。八十数年前のドイツで、ナチスはその行動原理と共にその様にして出来上がった。只、それは、ナチスだけに限らず、太古の昔から人類に普遍的に見られるところのものである。ヒトとは所詮その程度のサルのなれの果ての生き物であると諦める前に、だから、人々はキリスト教を作った。イエス・キリストの教えを聖書に託して、その様に社会を作った。その結果概としての現代社会においても、それは普遍的に何ら変わるものではない。だから、我々日本人が構成する社会においてはキリスト教は受け入れられにくいのである。「それを認めるのならば」ソフィストとしての弁明も通じる様である。

ウクライナのゼレンスキー大統領が、「北朝鮮兵の死に全く関心が無い」と仰っているが、彼ら北朝鮮兵は自らが弱体である事を知っている。一部のという事だが、日本人に至っては自らが弱体である事すら知らぬ。悪徳を美徳と勘違いさせられ、弱と強を入れ替えさせられた挙句、ひたすら大本営発表に勤しむ。ところで、人を既知と未知で分けるやり方というのがある。上記の日本式洗脳教育というのは、未知な個体をそれがそうである事と性欲を結び付けて思い込ませその絶対数を増やす為の典型的な方法である。しかし、それだけでは結び付けのつがいが発生せぬ。恐ろしい事に、それを為すのは日本人にとって自国民以外の人々の死である。それが日本人の増殖のダシと為るのが、それ当該においてであるか、その「システミックレイシズム」においてであるか、其処に問題は在る。要するに、他人の不幸を当該的に喜ぶ輩が贅沢に浸っているのか、該当の不幸な他人に為るのか、という問題がある。例の「外国で堕ちた飛行機に日本人の乗客が居なかった事を喜ぶニュースキャスター」というのは、既知の個体をテキスト化したものである。未知の個体との間に、其処に同意が発生しようと、それは、それ自体が(その)テキストであるという事でしかない。それに拠ってヒト個々人の社会的役割が決定され成立するという事には為らない。


(16:50 2024/12/28)第一段
(16:50 2024/12/28)第二段
(16:50 2024/12/28)第三段
(20:01 2024/12/28)第四段
(1:38 2024/12/29)第五段




OpenAI revealed a new model of artificial intelligence. What is the difference between AGI and generative AI? It is not the degree of spec with AI but the characterization of spec for AI. Answers by AI are easy to understand and not abstruse in many cases, but they are to be "ordinated" not in an explanation but in the anglicization. Of course, there is an exact dysfunctionality between AGI and GAI, by the way.


(11:10 2024/12/29)




ICCの赤根智子所長が「法は人間生活の中で最後のセーフティーネットみたいなもの」と仰ってます。ヒトが皆死刑囚でない限りにおいて、法は人々が生きる為のもの。やはりナチス支配下の社会の様なものはおかしい。「ご苦労、死んでよい」が前提だとヒトは皆哲学者にならなければならない。それは無理。

宮崎駿氏が作中で「(貴様が私を完全否定しないのは)結局最後には奴隷の手が必要だからか?」とキャラクターに吐かせていますが、それはそうではないでしょう。子供や老人や病人も社会には居る。奴隷というのは必要義ではあっても必要概ではない。奴隷なんて居ないんだったら居ない方が良いでしょう。

(例えば)、奴隷というのが何故奴隷であるのか。該当の奴隷が当該的にその奴隷であるという事です。奴隷根性なんて言葉も日本語にはありますが、「(貴方が)そうなっている」という事です。ルネ・デカルトが何について言及したか?"Je pense, donc je suis."というテキストが全てを物語っています。


(18:28 2024/12/29)上段
(18:38 2024/12/29)中段
(18:49 2024/12/29)下段




自らの死後の他人の行く末を心配する事が出来る人というのは、随分と優しい性格の持ち主ではないだろうか。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)を優しい性格であると言う人も居るが、私自身にその様な自覚意識は無く、少なくとも自分の死後他人がどうなるかという事について具体的に考えた事は無い。自らの死後というのは抽象的だろう。私見では具体と抽象は対義語の関係には無いが、自らが生きている間と自らの死後というのも必ずしも対置の関係に置かれるものではない。経済学者の今村仁司氏に拠ると、(抽象的であるところの自らの)死、具体的には墓は集団への帰属の表象だが、集団、少なくともそれへ帰属する事は決して具体的ではなく抽象的である。ところで、他人の死というのは自らの死と違って具体的である。他人というのは物理的であり、「カテゴリーとして」具体的である。概して自由意思というのは、他者から自由になる事で「当該として」存在する。


(19:00 2024/12/29)




What is class? It depends not on economic status but on social status. Money is concrete, and society is abstract. The people of the ruling class are such dictators whose occupation of monetizable content is so gorgeous. Whether owning or not owning, it is scarcely a problem.


(14:48 2024/12/30)




この間、渡辺恒雄氏が亡くなりました。新聞記者の息子としては尊敬申し上げておりましたが、「卵と新聞くらい安い商品は無い」という事は無いと故人に申し上げたい。事実の報道を行ってくれるマスコミは確かに有難い。只、戦後日本がマスコミの活字文化に拠って牽引されたみたいな事は少々ナンセンス。

加藤勝信財務大臣が「減税できる状況に(は)ない」と仰ってますが、税収が増えたからといって即減税という事にはなりませんよね?減税を訴える野党は何を考えているのか…というと、国民の声をテキスト化という形で代弁している。野党の政治家自身がテキストであるという事であり、与党政治家は違う。

日本人は高学力だが低ビジネス能力という見解の報道あり。これは人的資本にまつわる問題ではなく人に与えられる指標の問題。つまりここでは乖離の概念は通用しない。"Everybody's someone else's niger."と云うのは正しくない。それが指標だろうが何だろうが奪い合う社会より与え合う社会の方が賢い。


(15:35 2024/12/30)上段
(17:15 2024/12/30)中段
(18:15 2024/12/30)下段




米の国境をすり抜ける違法移民について、警備が強化されると斡旋マフィアの調達料が上がる、よって当該マフィアは当該ビジネスを活性化させる、よって国境警備の強化はさらなる違法移民を招く、という大馬鹿丸出しな解釈有り。警備が為されなければ幾らでも移民は違法に入国するが?ダメなものはダメ。

違法移民について、審査ついては該当アメリカ国の人々が具体的審査基準を定めている。それが違法入国だろうが合法入国だろうがテスト(警備)の精度が上がっていけば移民の質の上昇具合は逓減していく。鉄壁を作れば良いという事。例えばボルトン氏が危惧している反米勢力の台頭はその様に浄化される。

米への移民ならそれで、物理的国境なり入国審査基準なりが入国へのインセンティヴとなるという事は確かにある。しかし前者は「物理的」であり後者は「非物理的」である。インセンティヴの概念を適用するのであれば、鉄壁のテストに拠り、違法入国のそれは減免され、合法入国へのそれは増進するだろう。

つまり、当該人物に当該"Non,"のレッテルを貼る事で(も)例えばジョン・ボルトン氏が危惧しておられる様な反米勢力の台頭を許す事を助長する事になる。機会平等性は重要。解決には物理的な死のレッテルを敵に貼る事。アメリカというのは汎世界的にそういう国家であり、その存在が世界を浄化していく。

ここで云う「物理的な死のレッテル」というのは、突飛な話だが、リビングデッドをも含む。どうせならアメリカを絶対基準にしてしまえ…既に歴史概として白色人種を中心に人類はそれを行ってきた。日本が与えられた無条件降伏の世界というのはそういう世界。「日本はアメリカの協力者であるしかない」。


(8:25 2024/12/31)第一段
(8:41 2024/12/31)第二段
(8:52 2024/12/31)第三段
(9:07 2024/12/31)第四段
(9:13 2024/12/31)第五段




「不信はリスクを生む」は不正解、「リスクは不信を生む」が正解。不信は不信として当該的。当該のヒトが将来どの様な行動を取るか?前者が真実ならばそれはヒトが脳で何を考えているか全て読めば済む。しかし現実には後者が真実である。リスク回避の為には不信の概念が社会的に捨象される必要は無い。

「リスクは不信を生む」という場合(で)不信の概念はリスクの概念の十分条件である。つまるところ「不信はリスクを生む」ならばヒトは(発狂して)何も行動を取らないか死を迎えるだけだろう。ところでリスクの概念は当該リスクの十分条件であり、何が起こるか決まっているのであれば誰も苦労しない。

何が起こるか決まっているのであればヒトが(人類として)生きている必要も無いだろう。「スペックの高い」人工知能やコンピュータの類もしくはオルガノイドでも作って「生存」を依託してしまえば良い。生存自体が目的概化された世界、それは無条件降伏の世界であり、もはや生存分子ならぬ存在と化す。


(11:58 2024/12/31)上段
(12:29 2024/12/31)中段
(13:01 2024/12/31)下段




対人関係における敵という場合、「敵か敵でないか」の区別で正解。敵でない対象は敵である対象へと容易に変逸し得るので、「敵か味方か」の区分という事では太刀打ち出来ない。敵と一度見做した相手からは頻度に関わらず必ず攻撃が飛んで来るので(その経験実績在り為り)、それを徹底して回避する事。

皆が敵の攻撃を回避すれば、適者生存の世界が訪れる。社会的にというか現象的に生産的でない個体らはそれを理解しているからこそそれに反する(具体的には反社会)行為に及びそして自滅していく。それはテキスト化された「敵概化」であり性善説の産物である。「敵視政策を止めよ」というのはこれと逆。

テキスト化すると、全て性善の産物と為る。テキスト化している時点で、という事。「敵視政策を止めよ」とは、自己の世界の再世界化であり、性善を極めており、非常に社会主義的である。そこは単純な背反に拠って性悪説と為るという事ではなくすなわち(その様に)自己の存在を否定するには死しか無い。


(15:33 2024/12/31)上段
(15:55 2024/12/31)中段
(15:58 2024/12/31)下段




皆、憎悪を何らかのアビリティへと昇華させて生きている。子供から大人になるというのは、その術を(改めて)身に付ける事ではなく、その業(カルマ)についての自覚意識を得る事である。只、それは(個人の)戦術のレベルの問題であって、戦略概となるとそれと背反する愛というものが取り沙汰される事になるかもしれない。では、ところで、戦術と戦略の違いとは何か?戦術とは、あくまで個人の生活に資するものである。戦略とは、それを為す上での個人の個人性の尊重という事である。つまるところ、前者は類型としての人にまつわるものであって、それは経済的ステータスに拠る。後者は、人における個概という事であって、それは社会的ステータスに拠る。経済的ステータスは具体的であり、社会的ステータスは抽象的である。では、愛憎が表裏一体と見做されるのはどういった理由に拠るものか?其処では、生活者としての人が存在者へと化ける瞬間が描かれているからである。存在者が生活者としての人と見做されるのは単なる裸の王様である。真の高貴さとは一体何か?それは紫色のお冠ではなく、死の表象であり集団への帰属である。"Better watch yourself."良いお年を。


(18:05 2024/12/31)
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HN:
Shinpei Sugiura
性別:
男性

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