私は、日本語の絶妙な音韻の様なものを愛している。日本語と云っても、平仮名が多分に用いられた、日本語の古語の事である。表意文字を表音文字と捉える事は、特には歴史的に、タブーとされているが、例えば英単語を日本語のカタカナ語へと変換するのは、「そういった」役割もある。其処では、未来と過去の変換が起こる。大陸伝来の漢字や文法の類が、自体的に、其処では、テキストとして類型化されてしまう。「いたそう」という場合、其処では既に行為の表象としてテキストが現れている。それは、英語の"I will do."や"I am going to do."では(どちらかと云うと後者に近いニュアンスが無きにしも非ずだが)ない。日本人は、古来よりそういった形で、主体性というものについて理解と云うよりはそれを保持保全していたのかもしれない。洋の東西を問わず大陸より西側ではこれは少し事情が違う。それは、「いとおかし」の世界ではなく、"There is subjectivity."云々の問題となる。日本では、古来より、人々は言語に「近かった」。しかし、西洋の場合、例えば先記の"There is subjectivity."の場合だと、それに近付くとなれば、発狂し精神の分裂と見做される場合もあるだろう。そういうスキゾフレニックな特質が、「鬼の形相」や「紫の上」ひいては「ようようしろくなりゆくやまぎは」という表象で為される場合もあるだろうが、それもまた西洋的なものの見方である。
(1:20 2024/12/20)
Reportedly, a research team from Stanford University and Google DeepMind has succeeded in advancing AI that can reproduce human decision-making with 85% accuracy. They say that a two-hour interview is necessary to make it accurate for each person, but if a person distinguishes artificial intelligence worth recognizing it as a languishing object, where does the accuracy come from?
...Children are not public goods. Some Japanese adults think of not only their children but also one of the others as public goods. This concentration is too assiduous to be pointed out. It is not Japanese common sense, but everyone in the country is tired of Mafian architecture.
(11:24 2024/12/20)below
(15:05 2024/12/20)above
その文章なら文章で、特定のまとまりごとの意味の繋ぎ合わせを嫌う人々が居る様である。一般的には、表意という事においては、フランス語のリエゾンの様に表音におけるその様な繋がりは、認められない様である。
その、自己認識という事において、(文と文の間における)意味論的な繋ぎはそれに拠って表象される様である。自己納得の産物と云えばそれは容易いが、(その)直列的な意味の繋がりは、並列的な音韻の様なものとは違う。「納得論」などと云えば、それは並列な意味論として通用するかもしれないが、それは例えば日本人が得意の「共感」や「共苦」とどう違うのか?「得意」。これは並列である。「意」の枠組みが其処に在るからである。「共感」や「共苦」にはそれが無い。例えば「得意」においては、負の感情のインセンティヴが其処にある。
競争原理と云う場合、真に他者に対する憎悪等の負の感情ありきでそれが為されるのか、そうでないのか、それは、ノミナルかリアルかという問題に帰着するだろう。競争原理というのはノミナリズムの産物である事は云うまでも無い。「リアリズムでは(それは)やっていけない」。
リアルな感情などというのは、云うまでもなく、何時だって主観的である。それは喜びに程無く近い。日本国においてはそれは極められているが、社会主義というものがどういうものであるか、蓋然的にそれは為されている。
(19:22 2024/12/20)
For almost all novelists, there is an inflection of writing style by or to others. There is, exactly, the social role of novels and novelists, but the answer is too theoretical to dig into and scarily depends on the characteristics of a book. By the way, I seldom read a book.
In my case, honestly, I am not good at creating physical things. It is concerning to my destructive inclinations. The composition is not physical, and, at least, my composition is the discretion of something physical, regardless of its meaning. There is a similarity between destruction and composition, but recognition is different from texturization. When destruction takes the shape of recognition, recognition is not ambiguous, but(and) texturization is so. As it was, sometimes recognition is meaning itself. That's so spontaneous. Thus, self-recognition speculatively distinguishes us and the world. This case is mine, not bad.
(17:10 2024/12/21)above
(3:19 2024/12/22)below
As 98.4% of organizations answered that they recognize using generative AI in their works as a risk, the result of research by TrendMicro reportedly proved it. GAIs are not public goods, but people identify them as public goods. Here is the problem defined as a serious social threat. It is the same case of the COVID-19 vaccine. Although vaccines are not common public goods, some economists have described them as if vaccines are common public goods.
(8:18 2024/12/22)
There is passively honest indifference derived from psychiatrists toward patients. Why passively? At first, symptoms of mental diseases are so phenomenal by the way of psychiatrists' aggressive and spontaneous accuracy. Second, there are to be any opportunity costs with psychiatrists by patients. Generally, there is no opportunity cost without the theory on the economist's desk. Third, earlier, there was a murder accident by a German psychiatrist from Saudi Arabia who was feeling sympathy for Germany's AfD. As a result, I agree with the acknowledgment of them as fascists."
(12:26 2024/12/22)
CNN says that Russia executed a "fierce" attack on Ukraine today. Hey, disguising media, why don't you understand what war is? The war was "exploded" by a sort of uncontrolled circumstances. Of course, it is full of being dirty. OK, the media knows it, I see. By the way, what is a war crime? In the killing field, aren't harsh murders by soldiers with weapons crimes? War is just a crime in itself. At least, whoever says so fulfills the projection of the way to (permanent) peace. Mahatma Gandhi said, "Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever." Rest in peace.
(18:11 2024/12/22)
年収103万円の壁の件、自民党の政調会長の宮沢とかいうのがやたらとテンパってる?アレ全然ダメ。皆困ってるのにね。勿論、奴らは他者を虐げる事でしか存在の証明(そもそも必要無い)を取れない訳ではない。奴らはそうでないと生の確認を取れない。奴らは生粋の旧態依然とした社会主義者だという事。
あの日本国に未だに蔓延る生粋の大文字での旧態依然とした社会主義者共はロシア兵。残念ながら、令和の天皇陛下もそう、石破茂首相もロシア兵。しかもプーチン氏が実権を握っている限りにおいて奴らはロシア国家当該に相手にもされない。連中は、今全世界中から袋叩きにされてるから、爆走してるの。
その日本国内のロシア兵に利用されている私の様な者も一部存在するが、中国となると事情は少し違う。中国はその日本兵とでも呼ばれ得る者らに罪を擦り付けられている。少なくとも習近平氏はシロ。私の居住マンションの自宅自室の階下隣室から騒音や衝撃を立てて嫌がらせをしてくるのもそれら日本兵ら。
当然私も日本人だが、奴らロシア兵為らぬ日本兵はそういう私の様な連中にとって都合の悪い者らを最終手段として穢多非人扱いしだす。そういった事をまかり通らせまいとした欧米の人々に拠って八十数年前日本は第二次世界大戦へと突入させられた。今も同じ事をやってる。愚かしい日本兵は何も学ばない。
何故それら「日本兵」がそこまでテンパるのか?「それ」を認めれば奴らは特には欧米の白色人種の人々に対する自らの生物学的な自己同一性に基づく下等生物具合を認めてしまう事になるから。だから例えば必死で茶髪や金髪への染髪でごまかす。「そう」でなければ誰も下等生物などと認めはしないのにね。
(8:14 2024/12/23)第一段
(8:21 2024/12/23)第二段
(8:25 2024/12/23)第三段
(8:30 2024/12/23)第四段
(8:35 2024/12/23)第五段
その、例えば先の「茶髪や金髪への染髪」という事ではそれが奴らの社会学的な自己同一性と化している。だから、当該的に「そういう」生き物だという事。それをワザワザゴキブリの如く表明且つ証明してる。かつて私の実父は「(全共闘革命の時代)長髪は抵抗の象徴だった」と言っていたが、それも同じ。
だから、私は例えば茶髪や金髪への染髪や髪の毛を伸ばして長髪にする事自体を否定はしない。「場」もしくはその空気に合わせるというそういう事が分かる者であれば、それはいくらでも行ってもらえれば良いだろう。それは場やその空気の無視ではないから。私が否定しているのはそういう事ではない。
つまるところ、そういった、肯定と否定、実在論と唯名論、東(側)と西(側)、等々そういう事が分かる様になれば、物事の道理も理解出来るだろう。例えば先に挙げた「日本兵」はこちら側とは全てが逆。ナチスと呼ぶのもおこがましい、「唯名発達障害」な、奴らには何も無い。こちらには全てが在る。
(8:53 2024/12/23)上段
(8:59 2024/12/23)中段
(9:05 2024/12/23)下段
一部日本のマスコミが中国の経済破綻について煽り立てているが、中国は国家のスタンスで経済問題は全て政治問題として変換し、解決すべく試みる。彼らは現代化された社会主義と呼ぶが、ウクライナ戦争も中東戦争もその一環。だからその間経済指標で示される値が「そう」いう値を示す事はあるだろうね。
だから、その意味でアメリカ経済が非常に強くひた走るという事もあるだろう。トランプ氏の再登板は(アメリカ社会において(も))それを表象し象徴している。ヒトひいては人類は、ある程度まともな意思を持って生きてるので、無政府主義の自由競争なんてものは奴隷向けの当該的なテキストに過ぎない。
(9:24 2024/12/23)上段
(9:29 2024/12/23)下段
OpenAIがまた新しく「ヒトに似た高度な推論能力を持つ」とされるAIのモデルを発表。…で、その汎用AIらしきものが出来上がってるわけ?ヒトの延長線上でしかもAIならばスーパーハイスペックなヒトの代用品だわな?だったら、それに人類の仕事どころか存続をも依拠してしまえば良い。出来るの?それ?
私は動物行動学や行動経済学の類はあまり好かないのだが、確かに特定人物における特定の行動が結果概として例えばうつ病等の発症のリスクに繋がるという医学的な根拠は有る、という報道あり。これが事実だとすると、確かに自分の行動のパターンを意図的に変えてみる意義は無きにしも非ずだとは思うが。
キリスト教の宗教的意義が減免されてしまっているにもかかわらず、聖書の売り上げが増えている、という報道あり。だから、昔と違って人々が改めて聖書の教えの普遍性を理解する様になったという事だと思いますよ。あくまで一つのコンテンツで人々は客観的に鑑みる。だから宗教(学)的胡散臭さも無い。
だから、その意味では、コーランや仏教の経文がもっと売れても良いと思われる。…その、推論という場合、例えば一つ前の投稿の内容は(短くて単純だが)概ね推論に基づく。少なくとも三大宗教の聖典はコンテンツ産業の産物ではないが、人々が認識の問題としてそれのテキストでどう鑑みるか、という事。
(17:27 2024/12/23)第一段
(17:36 2024/12/23)第二段
(17:45 2024/12/23)第三段
(18:02 2024/12/23)第四段
刃物を持つ人間が現れたらどうすればいいかって?そういう場合、まずは被殺傷のリスクを回避する事が第一。だから、物理的に距離を取るなり相手を抑え込むなり正当防衛が成立するなら(被殺傷のリスク回避とはその様な広義の意味)相手を殺傷して封殺すれば良い。自らが被るダメージを最小に抑える事。
ドイツのクリスマス市に車で突っ込んで人を殺傷した精神科医の事件について。先に英語でも書いたが、これは犯人がアラブ系だとか極右だとかいう事に拠るのではない。まず第一義として(は)犯人が精神科医であるという事に拠る。ファシストというよりは、精神科医というのはそういう考えを持った人々。
だから、その人を5人も殺した精神科医はキリストを否定したいんでしょ?だったらテメェで勝手にパラダイムシフトしろという事であって少なくとも近現代文明から出ていけ。それは人を家畜にする事であってそういった輩がサタニスト扱いされようがこちらには関係が無い。フロイトの犬には似つかわしい。
(19:08 2024/12/23)上段
(19:17 2024/12/23)中段
(19:26 2024/12/23)下段
経済学者は機会平等性というものを否定している。結局は経済学はお金の学問だという事。全てを例えばお金の額という分かり易い指標に変換して物事を裁く。機会費用の概念も結局はそう。其処で、労働は第一義的に金銭を得る為の行為という考えが出て来る。価値の問題が価格の問題にすり替えられている。
その、経済学(者)における人々の機会平等性の無視というのは、結局それを行う者の当該性を直列的に反映しているに過ぎない。それは徹底した性善説の世界でありキリングフィールドを其処に意図的に作り出す者のそれである。…積み上げ型思考で故意に間違った前提を敷く事で(故意の)それが為される。
人としての成長の為には苦が必要という考えにいたずらに賛成はしない。行を積んでも駄目なものは駄目。只、一般的に、教育の効果ひいてはその内容やヒトにおける学習能力一般を否定する様な見解には賛同しかねる。サイエンティフィックな観点からするところの「身の守り」一辺倒は余りに退廃的である。
その退廃の行き着く先が酒池肉林であるならばまだ救われ様があるだろう。しかし現実はそうではなくヒト類の滅亡だけならまだしも積み上げてきた人類の経験までもが全て水泡に帰す可能性もある。人工知能に拠る人間存在の代替を見よ。ヒトがそれそのものだけで存在を肯定される様になれば何が起こるか?
日産とホンダ(と三菱)の協業の件に関して「ソフトウェアが繋いだ」とかいう報道。確かにそれ(ら)は物事の解釈の問題ではあるが、どう見ても日産自動車に対する救済措置の側面が強い。つまり、上記のは報道としてどうなの、という事。…日本のマスコミは社会的性質上事実報道のみは不可の様。残念。
(9:01 2024/12/24)第一段
(9:28 2024/12/24)第二段
(9:36 2024/12/24)第三段
(9:41 2024/12/24)第四段
(12:28 2024/12/24)第五段
何かfacebookの案内として「創価大学国際教養学部」というののお知らせが届いた。ところで、「創価」をやってるのは創価大学だけじゃないと思うのですよね。只、創価学会は「創価」をテキスト化しているから、勿論彼ら次第ではあるのだけれども、新興宗教として見做されている分ネガキャンになってる。
大学入試にて難関志向強まるとの産経新聞の報道あり。勿論競争原理に晒されているのは受験生ではなく大学教員の側。受験生の社会学的な自己同一性は決まっているので如何にして彼らの生物学的な自己同一性を形作るかが為験者達の課題。需要されているのは試験であって、試験の受験者も為験者も供給側。
(13:26 2024/12/24)上段
(13:40 2024/12/24)下段
精神科医の和田秀樹氏が脳の前頭葉の機能を衰えさせるなと仰っているが、一般的な精神科医に前頭葉否定派な人達は多い。ロボトミーなんてそうでしょ?今でも抗精神病薬使ってヤってる。飲めば自制が効かなくなる事で分かるから。只医薬品使用その他で一度は「解毒」しないと治らないのもまた現実。
只、やはり治療が上手くいったならいったで「その後」の保証は精神科医等その責任の所在にきちんと為してもらうしかない。流石にロボトミーなんて論外。だったら責任持って殺せという事にもなる。医薬品の物理的な薬効だけでなく心理操作も含めて治ったは良いが、生活能力が失われていたらそれは問題。
やはり特定の行動を取る事に拠り病識がリアルタイムで失われていく事と共に「(精神の)病気になっていく」という事はある。それについての客観的な自覚を得る事が出来れば病状は大幅に改善するだろう。だから其処を上手くやるしかない。日本の一般的な精神科医に掛かっていてもその治療は為されない。
(16:14 2024/12/24)上段
(16:23 2024/12/24)中段
(16:27 2024/12/24)下段
白色人種の人々が作ったものを与えられる事を素直に喜べないので、「その様な振り」を行う。これが大方の日本人の行動原理である。つまるところ、日本人の場合自らの生物学的な自己同一性を否定する事が出来ない。「死を思う」事も出来ず、タナトスとエロスの狭間で悶絶するのである。それが第二次大戦後この日本という国に課せられた無条件降伏の正体(招待)である。生物学的な寿命に拠っても、他者に拠っても、容赦無く夥しい死が迫って来る。その様に、この日本国の人々は、社会学的な自己同一性のモメンタムに拠って生物学的な自己同一性から逃れられず、精神を引き裂かれるのである。何が良くて生きているのかも分からず、日々の生活の有難みも分からぬまま、皆自虐的に為ってゆく。性行為などというのは、戦後日本人にとっては、喜びではなく単(ひとえ)に悲しみであろう。多くの人々が、生きている事自体に価値など無いと思い考えてしまう事も、また納得の行く事である。
計らずも、その様な自己洗脳を含めた集団洗脳が行き着いた先は、データ収集源のマテリアル足る事である。人工知能?良いデータ収集ツールだろう。人々はそれに気付かず流行りの生成人工知能を奴隷の玩具(マテリアル自体)とも知らず喜んで使う。彼らは、「何故自分が生きているのか」考えた事があるだろうか?プラトンが、直の対話を重んじ、国家の何たるかについて語ったのも、人々の破滅を避ける為である。後の聖書には、「誰がお前に裸である事を教えたのか」、とある。
民主主義社会に住まうにも才能が要る。それにはそれの構成だけではなくそれの維持保持の問題が関係してくる。我々列島に住まう日本人にそれを適用する事自体は容易である(あった)。
(18:45 2024/12/24)
産経新聞が「勝者無き臨時国会が閉会」との報道。日本の国会は、マンガ全共闘ゴッコではない。それが政治家自身であれマスコミであれ「どの政党が勝つか」などというマンガをやられては、国民は迷惑するのみである。その意味では、毎日新聞の云う石破茂内閣の「党高政低」というのは的を得てはいるが。
マンガという事で云うと、下品で申し訳ないがあのケツマンコアニメは何とかしろと思う。私も昨日コンビニを訪れた際またヤクザ女が一匹絡んできたが(一般的にはという事だが)アレらのオスバージョンが我々日本人の男であるかと思うとやるせなくもなる。我々は生物学的な自己同一性から逃れられない。
自己同一性は我々が外敵から身を守る上でとても重要で大切なもの。それを、抹消というよりは自らから捨象させようとするのが、精神科医。彼らは、他者を(無根拠に)信じろ、他者を疑うな、と云っている。これは言葉ではなく意識の問題であり、彼らは性善意識に生きており我々は性悪意識に生きている。
精神科医は患者と診断を下した者のその性悪意識を性善意識に変換しようと薬物まで使う。少なくともここ日本国では、化学兵器が一般に認可された医薬品として流通していると云っても過言ではない。中国で非公式に行われたり北朝鮮で公式に行われたりする事を日本は社会的常識としてまかり通らせている。
そう、少なくとも日本においてという事だが、精神科医の仕事というのは、人々の社会学的な自己同一性を形作る事である。自身の社会学的な自己同一性を利用して生物学的な自己同一性を満たす事、それがヒトのメス一般のヒトのオス一般に対する復讐だが、社会秩序の維持はマスコミや医師の仕事ではない。
(4:49 2024/12/25)第一段
(5:03 2024/12/25)第二段
(5:23 2024/12/25)第三段
(5:27 2024/12/25)第四段
(5:34 2024/12/25)第五段
川崎市のヘイトスピーチ認定について、それって何か法的強制力在るの?ヤクザのお兄さん達の街宣の件だろうが、確かに在日朝鮮人が朝鮮人であるからという理由で社会から出ていけというのは間違っているが、在日朝鮮人で徒党を組んで悪事に及ぶ連中は幾らでも居る。差別は悪いが区別は存して然るべき。
(8:46 2024/12/25)
日本製鉄のUSS買収案について、アメリカにとって安全保障上の懸念があるというのは、つまるところ彼らが我々日本人を当該的に差別しているのではないという事。つまり日米同盟の重要性やその強固さ具合できちんと鑑みられてはいる。只、我々日本人とアメリカ人で区別はされており、そこの払拭が問題。
日産とホンダと三菱の経営統合協議の件で、ホンダの三部敏宏社長は日産とホンダのそれぞれの企業としての自立が言及された上で「救済ではない」と仰っているが、やはり統合が為される時点で救済の側面が強い。「救済」の語義の問題かもしれないがこれのソースである東洋経済のニュース記事もおかしい。
(10:37 2024/12/25)上段
(11:20 2024/12/25)下段
基本的なところの善良人が(その)当該性を問われる事について違和感を感じるとしたら、その問い自体についてだろう。もし道端でそれを尋ねられたとしても「何か御用ですか?」で終わりだろう。間違っても「私は別に…」とかいう件(くだり)から説法が始まる事は無いだろう。それは自虐の一種である。
反社会的人間が先記善良人に対して自虐という形で抵抗を示す事は、その事自体が自体的に反社会的行為である。それをテキスト化すると、「ダメな奴はダメ」というレッテルの貼り、という事になる。「ダメな奴はダメ」という事にも内容があり、「ダメなものはダメ」との差別化が其処で図られる事と為る。
ホロコーストの場合(で)、ユダヤの人々に「ダメな奴はダメ」のレッテルが貼られたのは、その様に、それには内容があるという事を如実に表している。80年前当時カトリックはホロコーストについて知っていたが、それを「知らない」事で、「ダメな奴はダメ」と「ダメなものはダメ」との差別化を図った。
何故その様な事が被迫害者に対してまかり通ったか?ナチスは社会を法廷化したのでありそこで行われたのは外部性の内部化ではなく内部性の外部化である。外部では戦争内部では廃墟の製造。カトリックは(おそらく身を守る為に)戦争を受け入れたのである。彼らは虚無主義的な社会構造をその様に為した。
(15:23 2024/12/25)第一段
(15:38 2024/12/25)第二段
(15:50 2024/12/25)第三段
(16:00 2024/12/25)弾四段