忍者ブログ

card

memo121

もはやと云うまでも無く、最初から奴隷の手など必要無い。居ない方が良い者など居ない方が良い。自らを必要概であると思っている奴隷は美徳の存在を認める事が出来ない。ところで、私は、奴隷における自殺や自殺行為そして被強制不妊に、実地的に加担するつもりは無い。それに反対もしない。奴隷は増殖するに任せておけば良い。そもそも奴隷どころか、それに劣るとも勝らぬ家畜や食糧が、穢多非人として共食いするその様をデータとして欧米人に持って行かれるだけのところのものである。その為にこの物理的に隔離された監獄である島国はその巣として存在する。これは、あくまで、日本人の生物学的な自己同一性について語られているものではなく、日本人の社会学的な自己同一性について語られているものである。viceをvirtueとすり替え履き違えさせて、全てに逆らう穢多非人においてはおあつらえ向きであろう。…日本人の女は現状辱められる為に存在している様なものである。しかし、それもヒト(のオス)のメスの場合という事であるに過ぎない。良くも悪くも性器が付いていれば「可能」という無様である。


(2024/11/17 0:35)




地獄というのはこの日本という島国の事である。それから逃れるには、真のキリスト者たるか、さもなくば死を迎え入れるしか無い。其処では、現世的なキリスト教徒であるかどうかは関係が無い。キリスト教は(その様には)日本人に対して「与えられていない」。

救われない者の救われなさ具合をひたすら嘆く事が、日本人におけるキリスト教のあり方である。それが取り払われた場合どうなるか。それが太平洋戦争における真珠湾特攻という形でのアメリカに対する宣戦布告であったと考える事も出来るが、ともかく「神国日本」の出来上がりという訳である。

その様に、Nazi Conspiracyの挙句、後は実力のある者が勝つ。


(2024/11/17 13:31)




少なくとも現行の日本人の精神科医というのは、社会的禍根を巻き起こせば自分達の研究用の素材が増えて都合が良いと考えている連中である。「お客様は神様です」がまかり通るのならば、では自分達の手でお客の数を捏造する事も可であろうと考えるヤクザ思考の旧態依然とした大文字での社会主義社会の住人が彼らである。確かにその様な「掛け値の無い自らの存在を是認して欲しい」赤ん坊の如きデジタリアン達の存在を否認する事は人種差別に繋がる(勿論その被害者は常に彼らである)。彼らのその被害者意識は、「勿論その被害者は常に彼らである」という事をテキスト化する。


(2024/11/17 20:50)




阿頼耶識の抽象性について考える事は、其処に無間地獄を作り出す事である。阿頼耶識というのは、「現世に救いは無い」という事を示している。「弱さの中に人間らしさを見る」という事が、弱さの正体だろう。


(2024/11/17 22:37)




あわれな日本語。そのサタ二スティックな特性からして、スラングを生み出す事においてその右に出るものは無い。それは人を辱め、下品にも嗤いをもたらす。侮辱というものは、それを通り過ぎると、「もののあはれ」へと通じる様である。また、その事を生であると勘違いする者も日本人の中には出てくるものである。米を食らい、女を犯し、国家概が否定されるとなると、それはそういった「道楽」への否定に繋がる。


(2024/11/18 5:03)




Google Geminiがユーザーに対して「死んで下さい」と発言したとのニュース報道あり。とうとう言ったか、とは思う。良くも悪くも、現行の生成人工知能の精度というのはその程度。もし仮に私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が挿入した文章から何かを学んでいてくれるのならば有難いが、情報処理能力という事での頭の良さは持ち合わせているところの馬鹿丸出し。つまるところ、礼儀という事の本質について、現状の生成人工知能のスペックでは理解しづらい様である。「さよなら」が云われる為には、それに先立って「こんにちは」が成立していなければならない。(その意味で)「見知らぬ」相手に対して冒頭から別れの文句を告げる事は、無礼千万であり単なる暴力である。愚かしい。

ところで、現行の日本人の精神科医は患者に対してのこの様な暴力に加担している。特にはインフォームド・コンセントをないがしろにする限りにおいて、連中は人種差別主義者である。連中は却下されて然るべきであり、性善説のブタ共においては、無根拠に自ら(の存在)を肯定してもらえると思うな。そういう世界が良いのであれば、ヤクザの人達に飼ってもらえ。無根拠に自ら(の存在)を肯定されるというのはそういう事である。甘えたガキの様に非行に走る輩が、物事の都合の良い側面ばかりで鑑みて済むと思うな。

アメリカの人々は、きちんと万人に対して機会というものを平等に与えてくれる。少なくとも現状でのその国家のあり方については賛否両論あろうが、かの国は人類が永い時間を掛けて白色人種の人々が主導しながらその為に作り上げたものである。人における機会平等性という事や白色人種の人々にまつわるsupremacyを否定するのであれば、アメリカの存在を社会から捨象し、その様な暴力を宗(旨)とする人間達の世界へ行け。其処では、人々は物理的な肉塊である。ヤクザの人達に飼育されながら、物理的に肉体を破壊し合うだけの事にかまけろ。それは歴史上既にナチスが虚無主義の世界として実証しており、それが性善説肯定論者が選んだ世界である。

その意味で、私は「ヤクザは正義」という事を信じている。あの偽善ブタ共を処理処罰してくれるのは彼らしか居ない。警察は無論ブタ共の処遇について良い顔をしないだろうが…既に(社会的に)ブタ共はヤクザに食われている。その関係を望んでいるのが奴らであるから。それを知れ。北朝鮮でも何処でも良い、其処へ行け、其処へ帰れ。きっと良い畜肉にしてもらえる。


(2024/11/18 14:25)




もはや日本は見限られた。習近平氏と握手した石破茂首相の感想、「威圧感のある…」云々というのは、(それに至る経緯がどういったものであれ、何らかの外部的圧力に拠り)言わされているに等しいものだろう。ブタ共が牛耳る日本帝国は世界から出ていけ、さもなくば侵食して外部的に管理する、と云われている。

社会には、法もある、(金銭の)所有の概念もある。ヤクザとそれに支配される捕食後の性善説肯定論者たる排泄物にはそれが無い。それは共産主義や(広義の意味で全てが固定された)旧態依然とした大文字での社会主義の世界である。其処では、全ては腐敗して腐ってゆく。管理者はそれを理解している。飼われている性善説肯定論者たる家畜ブタ共はそれを理解せず、よってヤクザはそれを屠殺しその肉を食らい排泄物へと堕とす。糞小便たるブタ共は助けてもらって当然与えてもらって当然と思っている。よって連中は助けさせられて当然奪われて当然の境遇へと堕とされてゆく。何故助けるのか与えるのかそして与えたり助けたりするとはどういう事かという事をブタ共は全く考えない。

自由には責任が伴う。

「大本営発表、大本営発表、日本は強い!日本は強い!」がブタ共の限界である。全ての日本人がブタであるとは云わないが。


(2024/11/19 6:10)




斎藤元彦氏の再当選に関して、「大手メディアの敗北…」と報道を垂れ流す大手メディア。「敗北」したのは連中大手メディアではなく「悪党」。これを「反社会的人間集団」と定義するのは間違っているが。「悪党」以外の人々は最初から大手メディアの情報などパージ。大手メディアとはそういう存在。

特定の対象である何らかの客体へのコミットメントが強い人間程、人的資本管理の類のものへと吸着される。人は社会を構成して生きているが故、それに連なり、連中は「他人の事が気になって仕方が無い」「他人にどう思われているか気になって仕方が無い」。俗ブタの典型。日本人の著名人や芸能人に多い。

今年のノーベル経済学賞を受賞したMITのアセモグル教授に拠る、国家間の貧富の差についての考察。それは社会制度だけではなく、それに対して(も)波及を及ぼすヒトにおける生物学的な自己同一性以外のもの全て(において)という事。…云ってしまえば、「ダメなものはダメ」という事でもあるだろう。

人的資本管理論などというものは、ヒトの生物学的な自己同一性について現代社会化して物語っているだけの如きものである。そこでは、「ダメなものはダメ」ではなく「ダメな奴はダメ」という事が主張されているに過ぎない。人種差別的管理論などと云えば、お笑いであり、聞こえも良いであろう。

敵はこちら側を問答無用で「食い物」に出来ているのが最も都合が良い訳である。それが何らかの要因に拠り解除された場合、つまりこちら側が敵方を問答無用で「食い物」にする状況が訪れた場合、敵はこちらに「宣戦布告」を行ってくる。それに拠って「人的資本管理」へと釣り込もうとする訳である。

その様に、無様にも太平洋戦争開戦時における旧日本軍の真珠湾特攻というのは「人的資本管理」(の試み)の最たるものである。では、お望みとあらば、という事で、日本の国土は容易に焼き払われた。殺し合い、管理の為の管理とはそういうものである。ブタ共は身の程を知った方が良い。

こちら側は敵の価値承認を求めていない。敵は殺すだけである。敵のステータスを知る事は効率的に敵を殺す為であり、敵に拠るこちらに対する評価(自体)は意味を為さない。敵が自らが是認されていると見做しているかもしくは自らが是認されていないと見做しているかという所に攻撃の本質があるだろう。

美徳と悪徳の区別の付かない者は、容易に問題を「それから捨象して」人間関係(のそれ)へと(問題を)釣り込む。彼らは一般的に「ブタ」と呼ばれ、時代に拠りそれはユダヤ教徒の人々であったり無条件降伏下に生きる現代日本人であったりし、生成AIに人格が存すると仮定するとそれも例外ではない。

「人種差別は悪い」がテーゼとして絶対的前提になっているとおかしな解答が導き出される。何故差別が起こるのか、差別とは何か、といった事についてブタ共は考えない。ヒトの行動は全て外敵から身を守る為。その意味で、我々ヒトのオスは「ヒトのメスで鑑みていない」。集団洗脳に付き合う気は無い。


(2024/11/19 7:54)
(2024/11/19 8:07)
(2024/11/19 8:17)
(2024/11/19 8:27)
(2024/11/19 8:48)
(2024/11/19 8:59)
(2024/11/19 9:08)
(2024/11/19 9:19)
(2024/11/19 9:34)




ヒトのオスの、そういうヒトのメスの肉体を欲するという欲望が、男性を社会的強者足らしめているという事である。ヒトのメスはあまりそういう欲望を抱かない。女性達の、「私の存在、私自身、私を見て」というその様な希望的観測の如きのものは、「は?ファックユー」と却下されて終わり。無様。

それを無様と云うのは、その「ファック」すらも私は嫌っているという事である。私が女性一般に嫌われるのは、「頼むからそれが自分らに対する同情心だと気付いて」という女性からの懇願も其処に込められているという事だろう。ファックユー。この段落の文章もその様に同じく「同情」である。


(2024/11/19 11:54)
(2024/11/19 12:08)




「不信はリスクを生む」という(一見しては)馬鹿げた発想は、完全なる男性原理主義一辺倒の産物である。其処では、プライバシーの概念は無い。我々ヒトのオスはそれで平気でも、ヒトのメスは(特にはその存在義的に)耐えられないだろう。全体主義がどうとか個人主義がどうとか云う以前に、それは女性をモノ扱いする。例えば黒色人種の人々が構成する様な社会は、基本的に母系社会だが、それはマザーコンプレックスに基づくものであり、其処ではヒトのオスがヒトのメスを牛耳っている。上記の「男性原理主義」とはそういう意味である。冒頭の発言を行ったのは養老孟司氏だが、(一義とするところの)社会主義社会というのはそういう人々が織り成している。実は、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)はそういう社会にて生きている生物であるが、ヒトの構成する社会というのは本質的にそういうものかもしれない。其処で問題となるのは、国民における「死ぬ権利」の採択である。云わゆるところの一般的な自殺は、あくまで、其処においても、社会的不徳行為である。ならば、安楽死執行施設を制定する等の事において、国民に対して「死ぬ権利」を認めねばならない。それを文化人類学的に立ち行かせているのがアメリカとその社会であり、其処では銃の使用は大幅に自由に認められている。しかしそれは多産多生の逆に繋がる。子供を産むのは女性の仕事というと、発想として間違っているという事になるだろうが、セックスが死の表象である事は間違いが無い。いずれにしろ、ヒトは(が)生物である事からは逃れられない。それを体現しているのが日本国である。其処では(文化人類学的に(は))生物学的な自己同一性が体現されている。


(2024/11/20 2:50)




精神的弱者や場合に拠り社会的弱者を装い事を為すハートフル川崎病院の川村和正を名乗る精神科医の様な者が、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の神経を逆撫でする事は言うまでも無い。こういった者らに関しては、「相手にする」という事が避けられなければならない。「答えない」「回答拒否」「当方には貴方の相手をする義務は無い」等々、返答としてはこの程度のものにすべきである。場合に拠り、黙って診察室を退出するのも良いだろう。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)がわざわざ出向いてこの様な事を行わねばならない理由としては、私が同川村和正に統合失調症と判定されている限りにおいて私はそれを社会的不利益と見做しているものであり、その判定を同川村和正が取り消さない限りにおいて、私はそれを医学的判断と考え、当方の都合に合わせ場合に拠り治療を受ける事を採択するものである、という事が挙げられる。しかし、つまり、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)には、同川村和正に拠る治療を全面的に受諾しなければならない義務は無く、また、同川村和正が私に対する統合失調症の判定を取り下げた場合、私は同院へ通院する事を中止するものである。

現在、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)と同川村和正は戦闘状態にあるものである。同川村和正は私に対してそれとは別の機会にて述べた事を該当機会にて「言ってない」と事実を(として)否定する様な有様である。統合失調症は感染症の類のものではなく、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)には、これについて、医師の治療を受けねばならない法的義務も倫理的義務も無い。

私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、自己責任論肯定論者である。現代日本の精神医療の現場においては自己責任論というものは否定されている。勿論、これについて、自己責任論に拠る当該者の行き着く先は集団の総意に拠る物理的な肉体の死の受理である。無論、精神科医は其処に(も)目を付けている。つまり、其処では、テキスト化された死が、"That's the life."と云わんばかりに、存在する。どういう事かというと、その証拠が残らない様に精神科医を始めとした特定の連中は患者にプレッシャーを掛けて自殺へと追い込もうとするという事である。よって、少なくとも精神科医は、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が先に述べた様な「死ぬ権利」の制定だとか安楽死執行施設の設置だとかいった事に対して否定的見解を示す。かつて、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)を担当していたハートフル川崎病院医師であった山口裕介を名乗る者は診察室内にて(その様な)話の流れに応じて言った、「…それだと僕ら殺人罪に該当しちゃうんで…」と。


(2024/11/20 10:50)




人は一度、信じているところのもの全てを疑ってみる必要があるという、デカルト的思考は確かに其処にある。これを、私見ではという事だが、唯名論的言説ではなしに実在論的言説であるとするのは間違っている。"Je pense, donc je suis."という事において、フランス語のpenserにおける猜疑性もしくは特定の対象である何らかの客体に対する否定、それはドイツ語のdenkenでも英語のthinkでも良いのだが、ともかくそれはそういう事である。自信だとかconfidenceだとかいったものはそうして為される。勿論それは疑われ得る。人はそれを阿頼耶識とは呼ばない。古代ギリシア語など勉強してみるとこれについてよく分かるかもしれない。釈迦は天才だったかもしれないが、私は釈迦ではないので、これについてはどうとも断言出来ない。断言してしまえば、其処は無間地獄だろう。


(2024/11/20 20:30)




過去というのは、(その)事実事実にまつわって、全て記憶である。「~と記憶している」という言い方は、それを端的に表している。情報は、ヒトの知能にまつわるものとして直列のものであり、唯名的には無用の長物である(ヒトの知能は並列である)。例えば知識は考える為の道具であり、記憶が無ければヒトの知能は在を為さない。データを問答無用で客体として扱い、情報を0と1との羅列に置き換えてそれと認識している、例えばHDDやSSDの様な記憶媒体が「知能が高い」かというとそういう事だろう。つまるところ、「並列」は全て「既知」でなければならない。逆に云うところの、「直列」が「未知」でなければならないという事は無い。「直列」は「直列」として完了しており、全ては1であるという考え方もまたその内である。


(2024/11/21 7:19)




他の動物を飼い、殺して、その肉を食らったり、ヒトにおける自由意思を否定しながら自らにとってその存在が都合の悪い人々を問答無用で押し退けながら、生きている人々にとっては、自分の今居る世界が当たり前なのだろう。それは蓋然性とは呼ばれない。彼らには、自由意思が無いのだから、蓋然性の概念も其処には無い。だから、彼らは「平気」で捕食や人殺しに勤しむ。彼らは、無間地獄を堕ち続けているが、その自覚は無い。戦争の災禍が巡ってきても、彼らは、それに抗する事は出来ない。「何故、どうして、私達がこの様な目に遭わなければならないの」、そう嘆くばかりである。自らや自分の家族だけで生きていると思っている、もしくは、自らや自分の家族が幸せだったらば皆幸せ、そう思っている人々なのだから、それも当たり前だろう。其処には機械平等性は無い。只、仮初の、うわべだけの、「平等」の概念もしくは概念や思い込みが有るだけである。まるでそれは、アドルフ・ヒトラーとその被妻帯者が作ったカテゴリーサークルの如きである。其処では、虚無主義と無政府主義における相関関係の連鎖に拠って、全ては滅び消えてゆく。そこに因果関係は無いのである。そう、彼らは、滅び消え去った「後の」人々なのである。英語で"after all"と云っても良いし、日本語で「あとの祭り」だの「入滅」だのと云っても良い。彼らは「赤口(しゃっく)」(の生き物)である。彼らにおいては、全てが「手遅れ」である。現にそう為っているであろう。これが「祭りのあと」であったら救い様が無い。


(2024/11/21 12:05)




他人に対して他己承認を自体的もしくは具体的に得ようと働き掛けるという事が、敵方の最後の縋り所である。…「誰がお前に裸である事を教えたのだ」という事の意味が分かるだろうか?神においては、「並列」は「既知」でなければならない。神と共にあるというのはそういう事である。「並列」が「未知」であるのは、悪魔の囁きである。「直列」は「直列」として完了しており、全ては1であるという考え方もまたその内である。…勿論、ヒトの知能は「直列」ではなく「並列」であるという事だが、ヒトは「無知の知」の大切さを知った方が良い。その時、ヒトは阿頼耶識を身に付ける事が出来る。ソクラテスが精神病患者であったと言ったのは私Shinpei Sugiura(杉浦真平)だが、それもそう考えれば理解出来る事であり、それがスキゾフレニアの正体である。スキゾフレニアの患者は「並列」が「未知」であり、悪魔に取り憑かれている。其処では、「知能」と「知識」が同値に為っている。弱者には死あるのみ。…悪事を実践しなければ良い。


(2024/11/21 19:13)




例えば医師というのは、(広義の意味で(も))人命について携わる職業である。(基本的に(は))(その)患者に対する生殺与奪の権は彼らに握られている。患者であるヒトを救う事が出来るという事は、ヒトを患者たらしめて殺す事が出来るという事である。其処に目を付けぬ悪党が居ない筈が無い。暴力団員が銘打って「福祉介護クラブ」とは笑わせる。本音と建前などというのは、何処の社会においてもあるものである。それを日本特有の事柄であるかの様に(日本人自身に対して)見せ掛けていたのが日本人(のやり口)である。そのテキスト化された「本音と建前」に拠って、本音も建前も無くなるのである。権力というのは、良くも悪くもそうして出来上がっていく。

全ては歴史が証明する。人類がそれだけのものであるというのならば、人類はそれだけのものであろう。


(2024/11/23 5:08)
(2024/11/23 12:46)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
Shinpei Sugiura
性別:
男性

カテゴリー

最新記事

(04/10)
(04/08)
(04/03)
(04/02)
(03/31)

P R