忍者ブログ

card

memo107

先に言及した、医師に拠るモラルハザードならぬバイオハザードについて、解決策の一として、医師の社会的地位と給与全体を下げ(るべく)、人員を増加させるという方法がある。当目、彼ら自身社会資本を担う社会主義社会の雄を自称しているのであるから、そうしてやれば良い。もしくは、国民皆保険制度を撤廃する等々、それについては、民間の保険業者についての仲介についても同じであり、ともかく、医師にお国やその他公の威力のお墨付きを与えない事である。医療業界を競争原理に晒す必要性は言わずもがな(という事)である。

…(その辺り)、中国は基本的に理詰めである。彼らは、経済学の理屈については、基本的にそれを採用している。今回、G7において中国の過剰生産問題(という事でそれ)が取り上げられたが、つまり、プロパンガンダを打っているのは東側ではなく西側の方である。というか、東側と西側では、プロパガンダとそれ以外という事では、その位相が逆転している。当然、東側では(性善説に基づいた)恐怖政治めいたものが敷かれるだろう。西側においてはその逆が為される。


(2024/6/26 14:24)




The West fears to be realized by Russia. What does this mean? It is not difficult but simple. Russia says nothing. Kim-Jong Un is conquering humanity no less than dignity, they consider.


(2024/6/27 15:04)




教師である人々の中には、ある程度厳しい指導を行っても自らの教師としての責任を全うしようとする人も居るが、逆に、自分の指導力不足を同業他者に指摘される事を避ける為に子供の自習を阻む様な連中も居る。あの様な自分の社会的キャラ立ての為に業務遂行を行っている様な連中については排除されて然るべきだろう。…彼らは概して女性的である。

ところで、私は子供の頃、「アンクル・トム」の黒人奴隷差別についての映画を見たことがある(テレビで放映されていた)。歴史上、黒色人種に機会を与えるというのは、単なる成り行きではなかったかもしれない。…どちらにしろ、それでは、特にアフリカの黒人さん達は怒るだろう。只、先史以前のものも含めて、歴史の成り立ちという事を考えた場合、それは避けられ(得)ないものではあったかもしれない。白色人種が黒色人種に関しての事実を掻き集め様としたという事であり、然るところ、黒色人種の怒りや悲しみや絶望感は当該的であり本物である。つまり、残酷な様だが、与えられた状況の中で当該本人がどういった行動を取るかという事でしか無い。「肉体の見た目が違うから」「恵まれないから」という理由付けなど、どうでもよいのである。…現実に対処して生きていくしか無い。

女性の、個々の男性に対する、社会的キャラ立てもしくは態度の豹変ぶりについては、如何にそれが自分(達)の身を守るある種の生存本能から来ているとは云え、男性としては見ていて嫌にもなる。つまり、ヒトのメスのその様な生態を彼女ら自身が前面に押し出すからして、それが異性である我々ヒトのオスには第一義として目に付き、女性を(女性)集団として見做す傾向を産み出さしめるのであろう。


(2024/6/27 3:05)
(2024/6/27 20:56)
(2024/6/28 10:05)




イランのイスラエル敵視は相変わらず凄まじい。「我々はイスラエルを除いた世界の全ての国々と仲良くしたい」と。宗教指導者であるハメネイ師の手前もあるのかもしれないが、それだけではないだろう。

私は構造的差別というものを嫌悪するが故、少なくともこの点においてイランとそれに追従する国に味方は出来ないが、イスラエルも含めたそれぞれの国に言い分があるだろう。

ところで、イスラエルがエルサレムを一都市としている事は、キリスト教の要所的側面として重大なところのもののそれである。それを考えると、アラブ圏の宗教指導者達が、彼らが宗教指導者である限りにおいて、エルサレムをイスラム教国一国支配の体制にはしたくはないはずである。双方共に上手く持っていきたいのは違いが無いであろうが、紛争中である事が最適な結論であるという事態は避けられるものであると期待している。


(2024/6/28 18:04)




イスラエルの、この戦争における総体的見地は何処に在るのか?という疑念を呈する事は、戦争の本質を見ていないとしか言い様が無いだろう。これは戦争である。その点、臨機応変にとしか言い様が無い。

少なくとも、右派のネタニヤフ首相がお考えになっているのは、今回の戦争においてはハマスの殲滅がまず第一義という事である。それが可能であるとか可能でないとかいった見地ではなく、ハマスに最大のダメージを入れる事が、どの様な犠牲を払ってでも、最適解であるとネタニヤフ氏はお考えになっているという事である。


(2024/6/28 19:08)




ジョセフ・スティグリッツ氏を始めとするノーベル経済学賞を受賞した16人の経済学者が、トランプ氏が今回の大統領選で再選するとインフレが再燃するリスクが有ると主張している。その中で、「トランプ氏は減税の恒久化と法人税率の引き下げを掲げており中国からの輸入品に60%超の関税を課すなどとしているが、関税は輸入物価の上昇を通じてインフレを加速させ最終的に米経済の7割を占める個人消費に悪影響を及ぼす可能性がある」というものがある。また、その他で、「不法移民の取り締まり強化が労働市場の再過熱を招き物価上昇に繋がる」との意見もある。

これにおいて、ヒトの個別性というものは基本的に無視されている。只でさえ、中国の過剰生産問題が取り上げられている昨今、アメリカ国内が中国製品だらけになったら一体どうなるのか考えられていない。そして、アメリカ国内が不法移民だらけになったら一体どうなるのか考えられていない。これには、「価格という絶対の一律な基準のみで財やサービスの価値が決定される」という事が前提となっており、また、「人々は必ずルールを守り給与を得る限りにおいて全力で労働を提供するものである」というあまりに馬鹿げた性善説が前提となっている。

また、ちなみに、「著名人の推薦が選挙結果に重大な変化をもたらすという証拠は無い」という主張があるが、「著名人の推薦が選挙結果に重大な変化をもたらさないという証拠は無い」という事も言えるだろう。つまり、こんなものは、「著名人の推薦」自体が存しているのか存していないのかという事を考えれば自ずと答えは出て来るというところの性質のものである。


(2024/6/29 1:57)




女性の、「『自分を』見て欲しい」というのは、男性、少なくとも私には、少々感覚としては分かりづらい。女性の、赤ん坊を生むというのは、その身体感覚と相俟って、そういった見地に根差すものなのだろう。人々、特に男性に、社会的キャラ立てを止めさせるべきだというのは、それでは女性が可哀そうだから、という事である。その、男性における女性に対する想念の様なものが歪んで自虐心と相俟って自己に向くとおそらくナルシズムと呼ばれるものとなる。だから、彼女らはナルシストの男性を嫌うのである。これは、例えば、ヴィジュアル系ロックバンドの一部のメンバーの様な「ナルシストっぽいお兄さん達」の事ではない。彼らは、ある種のテキストに合わせて演技上(の)自分の姿やパフォーマンスを形作っているだけである。彼らにはファンも付く。そうではなくて、女性達は真の意味での「ナルシスト」を見分ける嗅覚を持っているという事である。例えば、英語では、cleverとsophisiticatedは違うが、その辺りの事を考えれば自ずと答えは出て来るものと思われる。

ところで、ボリビアの大統領が、「民衆の蜂起を促す為」「民衆を扇動する為」クーデターを演出して将軍にワザとそれを行わせた、という報道があるが、非常に興味深い。…大衆はその様に、自分達自身を方法論として学ぶ。一般的にそれは彼らの愚かさを体現しているだろうが、為政者が賢ければそれは吉と出るだろう。

女性達の中には、異性(どころか同性にも)必要とされない女性というのが居る。特別に不美人だったり、人格の中身が破綻しているような人々である。彼女らは、「大衆」扱いされ、間違っても「貴族」扱いはされない。彼女らが排斥されるのは、彼女らが(その)当該であるから、ではない。「場」の認識が無いからである。


(2024/6/30 9:16)
(2024/6/30 9:45)
(2024/6/30 14:43)




教育という事においては、被教育者が為教育者によって騙されるという事が意味されている。「卒業」という概念は、それを如実にあらわしている。そこでは、逆説的に、ヒトにおける学習能力というものは否定されている。「それ」を(その意味で)教育に携わる者達は否定してくるのである。私は、以前、学習と勉強は違うという稚拙な内容の事を書いたが、学習というものが否定される限りにおいて、それは洗脳であり、その洗脳され易さにおいて他力本願という事が現れてくる。それが日本人における社会の作り方なのである。

我々は、敵(というもの)に対して、価値承認を求めていない。また、我々は敵に対して能力の証明を行う事は無い。敵は、必死にこちら側に対して、「認めて下さい、相手して下さい、構って下さい」と、様々に能力の証明や価値判断の施行を求めてくる。敵は「それが故に」敵であるという事を理解しない。只、そして、これは、敵が敵である事の十分条件である。敵は随時様々な形で現出してくるが、我々に屠られるだけである。それが敵の存在証明となる。…何故私がこの様な事を(この場において)書くか?何も結果は変わらないからである。それどころか、現実を突き付けられる事に拠って、敵はその姿をより鮮明に浮かび上がらせるからである。何も結果は変わらない。

私は、「単元的」奴隷であっても良いが、人民の総奴隷化に協力するつもりは無い。ちなみに、「単元的」と「目的概化」とは違う。自分の何たるかを他人に押さえさせるなというのは人間関係の基本だろうが、明確に味方であると認知できる相手に対してはそれも有りだろう。「味方」とは、力関係の上下にまつわるところのもののそれである。「力」とは、「目的概化」を排除する能力のことである。

(2024/7/1 6:40)
(2024/7/1 14:42)




イギリスで4日に行われる下院選では、スターマー党首率いる労働党が「地滑り的」勝利を収める目算云々だとか。ブルームバーグの報道。

マスコミはこういう報道をいい加減に止めないか、という事。この「地滑り的」というのは、単なるブルームバーグ通信の報道姿勢に過ぎない。それを一般化もしくは普遍化してまるで「そうであるかの様に」報道する事は、マスコミの姿勢として正しくはないだろう。マスコミは事実の報道をせよ、という事。

生成AIに拠ってホロコーストに関する史実(事実)が改ざんされるなどというものに関しても、同じ事である。(場合に拠りコンピュータの類や)人工知能を絶対の判定基準として用いている事がそもそもの間違いであり、そういった結果が人工知能に拠ってもたらされるのであれば、史実(事実)と違うという事で、只否定すれば良い事である。

(単一)事実に拠って理(ことわり)の云々が為されるというのは、それは法廷における裁判官の為せる業である(彼らは死をも司る)。「事実は何か」という事がどういう事であるのか、人々は中々理解しない様である。マスコミが事実の報道を行っている限りにおいてという事だが、それは当該的であるという短絡的な答えもまた間違っている。具体的数値等で指標化出来る概念を当該の対象である客体に適用する場合勿論それはその客体の十分条件であり、それを十分条件ではなく必要条件であると考える事は間違っている。例えば、A行動を取った場合に、それがコミュニケーションの相手に直接に差し向けられているものであるとすれば、それは殺害以外に成立しない。おそらく、それはコミュニケーションではない。コミュニケーションが必要とされないコミュニケーションが、すなわち柔道や剣道といった武道の如く、刃で相手を斬り殺す事の表象として存している事が(「それ」の)本質として存する。その(様に)、(表象という場合)、コミュニケーションによってヒトは進化してきたという事が言えるだろう。しかし、その進化というのはどう具象化されるのか。「『それ』を見切っている限りにおいて」という事になるだろう。それは、ヒトのオスとヒトのメスで性交を行って出来た子供の存在によって裏付けられるだろう。子供というのは夫婦関係の表象なのであり、子供というのは該当事実なのである。そして、「『それ』のみにおいて」子供が差別される事は無い。


(2024/7/1 17:54)
(2024/7/1 23:12)




日銀の政策(?)、経済状況がこのままだと、当面のところ(の)インフレは続くという事になるだろう。そうすると、日本国民の人々は消費活動において安価な代替財に手を出し始めると考えられる。そうすると、それらの財の供給の性質上、日本の中小企業にお金が回る(よく売れる)様になる(傾向が生まれる?)と考えられる。一部の財やサービスに限った事かもしれないが。それ(によって)で、日本の中小企業が賃上げに結び付け(る流れが生まれ)てくれれば(という事だろう)。

日銀の植田和男総裁は、そこのところの日本人の文化人類学的気質(の様なもの)についてもきちんと考慮に入れておられる気がある。

今までの「日本経済」は、(社会的)弱者を見捨てんとせんが為のものである様な側面があった。そうすると、(我々の)先天的な文化人類学的特質と相俟って、(日本国民の)人々は多分に社会主義的性向を発露し始める。(少なくとも日本銀行としては)(色々な意味で)それはどうしても避けたい。アメリカにとっても、(おそらくは習近平氏指導下の中国にとっても)、日本が中国化するのは非常に拙いのである。…そもそも、その日本人における「(社会的)弱者を見捨てんとせんが為のものである様な側面」というのが、旧態依然とした大文字での社会主義(性)の元来性を説明せんとする様なところのものである。良く云えば「万人がエリート意識が強い」という事だろうが、悪く云えば封建的であり前時代的という言い方も可能だろう。


(2024/7/2 12:58)




例えば、ある研究者が当該の研究機関へ所属するという事においては、様々な要因が存在するだろう。それを収入の額だけに一義化しようとする一部日本のマスコミの報道は愚かしい。特に(当該のという事での)日本人という場合、労働内容や労働時間に対する給与水準だけでそれに対する選択が賄われる訳ではない。個々研究者における心情的なものまで(も)考慮される必要があるだろうが、既存の経済学ではどうしてもその現時点にて与えれられている指標に(労働力としての)ヒトを当て嵌めるという事に為りがちである。

…トランプ氏はロシアとウクライナの戦争を一日で終わらせられると言明しているが、ロシアのネベンジア国連大使は(彼に)そんな事は不可能であると言明している。


(2024/7/2 12:53)
(2024/7/2 16:32)




「逆らえない」という事を理解しない(敵方)連中が居る。"I am your personal enemy."とは、その発想自体が笑わせる。自己自身を擬態する事でそれを釣っているのであろうが何であろうが、「味方であるか、敵であるか、そのどちらかしかない」。つまり、妙な言い方だが、理(ことわり)に従っていれば、当該人物におけるpersonal enemyが釣られるという事は有り得ない。その該当人物がキックアウトされて終わりである。

特定のhistorical figureが事実であったかどうかという事については、誰もそれについて断言出来ないだろう。(一部で)確かに云われてはいる。しかし、どう(それを)確かめるのか。歴史学的なものの見方、というより、むしろ、人類の歴史の作られ方を知っている限りにおいて、その様な事実群について訝しくもなるだろう。

…ところで、私は特にお天気屋という訳ではない。高気圧だと調子が悪く低気圧だと調子が良いという明確な特徴がある。ちなみに、私は特に天候を操作する様な能力は持ち合わせていない。


(2024/7/2 19:57)
(2024/7/2 20:03)
(2024/7/2 20:16)




最高裁に拠る旧優生保護法に対する違憲判決が下された。…それがどういった経緯で行われたものであれ、「優生保護」という事に関して、それは特定母集団の人口の増減に関わるものでしかない。つまり、確かに障害者と障害者でない者の線引きというのは存在するが、「優生」についてのパラダイムシフトが為されるにおいて、その定義は容易に変逸し得るものであるという事である。「優生である」とか「優生でない」とかいう事について、そこには論理の飛躍が存し、貴方の希望的観測や感想の類であろうという指摘をそれらの判断者が受けても、誰も異を唱え得ないであろう。よって、結論を述べるならば、私は旧優生保護法には賛成である。「その様な事を行う」母集団の人口は減った方が良いからである。自己を必要以上に高く設定し(て見せ)たり、自己を必要以上に低く設定し(て見せ)たり、愚者の行う事は色々と忙しい。私は、人々をあらゆる基準において(でおいて)断裂せしめている。そう、私は、生物学的な自己同一性に対して、社会学的な自己同一性を作っているのである。


(2024/7/3 15:55)
(2024/7/3 17:56)




「死を喜べ」とは云わぬが、死に抵抗しても無益無駄である事を知る事は然るべきところの認識である。例えば、医師に拠って(も)、インフォームドコンセントが徹底されない事に拠って招かれる死が患者を襲っても、彼らはそれを拒否出来まい。彼ら医療従事者は、ヒトの生を司っている分、その死をも司っている。アカデミズムの最たるものは、医療従事者達とその業務であろうが、彼らの行いは在野する事で為され得るところのものの内最たるものであるという事である。患者の存在無しには医療とその業務は成り立たぬ。医療の為の医療など存在せぬ。つまるところ、アカデミズムはそれを含めた民衆の営み全てと共に、インテリジェンスに対する全き抵抗であったのである。

もし物事を論理的に考える頭があるのなら、自分に嘘は吐けまい?

彼らは(当該的に(も))生物学的な自己同一性を司っているが、我々社会学的な自己同一性を司っている者らとは対立の関係にある。彼らが逆らうが故に、我々は為される。民主主義で呼称されるものが愚者の逃げ場であったという事の証明を取る為に(その辺りの)歴史が存在したのであろう。


(2024/7/4 8:05)




例えば、「偏差値75なんて海外では通用しない」というニュース報道があるが、そんなものは当たり前である。というか、そもそもその(日本社会における)最高レベルの学力を持つ子供達は、東大なら東大で「東京大学に受かる事だけを目的としたそれのみに特化された一義化された単純な教育」を受けていないだろう。よって、学校とは別に塾や予備校へと通う子供も多い。そのレベルの子供を相手にする学校の先生達は、教育の何たるかの概念的なところからして子供達にきちんと教えていると思われる。また、そのレベルの子供達は本質的に色々と(それらの事を)学んでいく頭を持っているだろう。

…ゼレンスキー氏はトランプ氏に対し、「戦争を終わらせる方法を知っているのならそれを示すべきだ」と主張を述べている。私見だが、おそらくトランプ氏の「方法」とは、ウクライナが領土の一部を割譲しプーチン氏がかつて述べていた様にロシアからの文化人類学的な流れを形作るべくのウクライナの抗立という事を示すものだろう。しかし、それについてはウクライナ国民の一部とゼレンスキー氏が納得しまい。確かに、プーチン氏がそこで仰っている事自体と実際のウクライナの民族性について、それは、正しくはある。しかし、西側はそれについて納得しない。というのも、ロシアはいずれさらに領土を西方へ対して拡げようとするであろうと西側は考えており、私もそれについてはそう考えるものである。

教育とは何か?それはマスコミの垂れ流す駄利妄説ではない。


(2024/7/5 9:14)
(2024/7/5 9:39)




ヒトのメスはヒトのオスに比して社会的にも物理的もしくは生物学的にも弱い。そこのところを(特にはヒトのオスからして直接に)知らしめられた場合、ヒトのメスは豹変する。そこでヒトのメスはヒトのオスに対して取り繕いをもってして媚びるという事を行い出す。それが弱い者の戦い方なのである。それ「ら」自体にヒトのオスは、(おそらくはその生殖原理上)、やられるのである。そこでヒトのオスはヒトのメスを「食う」ではなく「犯す」という行動を取る。メスの魔力とは大したものである。つまるところ、ヒトのメスはその生殖形態上そうではないが、ヒトのオスはその生殖形態上の事として性的魅力の無いヒトのメスに対しては性欲を感じない様に出来ている。つまり、醜さについてすら性欲を感じてしまう悲惨な性向性癖を持つヒトのメスとは違って、ヒトのオスにおいて「遠い所に居る女」ほど醜さから遠のき、それについて性欲を感じる様に出来ているのである。ここで云われる「遠い所」というのは、勿論物理的な距離の事ではない。

「何故人は近親相姦を行ってはいけないのか?」という問い程馬鹿げたものも無い。というのは、ヒトは血の繋がりが濃いところにある異性であるヒトには性欲を感じない様に出来ているのである。血統の近い所にある異性との交配で生まれた子供は、その両親の血の繋がりが濃ければ濃い程、障害児である可能性が高くなる。その様な事が避けられる為、ヒトはその様な相手には性欲を感じない様に出来ている。

だから、「ヤクザ女」だの「ハニートラップ」だの「ギャル」だの、ヒトのメスに色々と属性を付与する様な事を行うから拙い事に為るんだわな?結論としての、「女はトラップだ」という事が提示されていれば良い。


(2024/7/3 17:31)
(2024/7/5 1:33)
(2024/7/6 10:52)




邪悪というのは、人類の存続の為に必要なのである。そこへ来て、リプロダクティブヘルス云々という、物理的にグロテスクな話をしているのではない。考えてもみよ、邪悪の無い世界であれば、ヒトは殺し合い死滅して終わりである。そこでは、それ(自体)すらも邪悪ではない。全てが選ばれるというのであれば、いつか死滅のパターンを選択する事もあるだろう。それはそうでなくてもそうかもしれないが、その場合その状況が訪れる可能性は低くなるだろう。

私は、もし仮に人類から邪悪の概念が消失したらば、ヒトは即座に殺し合いにかまけるものであると考える。殺人が罪ではない社会で、ヒトはどういった行動を取るだろうか?(皮肉にも)現行の社会を(再)構築するか?それとも別の社会を構築するか?死滅するか?

現行の社会は死刑制度が在る限りにおいて最善のものではないという見解は、間違っている。死刑を適用される事それ自体が死の表象なのである。世界と世界を結び付ける「それ」が万物の元凶であるという事を人は知るべきだろう。

かつては、私も、環境擁護派であった。現在でも、基本的なゴミ出しルール等は守っている。ところで、宇宙からの飛来物を含めた天変地異一般にヒトは逆らう事は出来ない。かつて、養老孟司氏が「石油は早く使い切れ」という主張を行っていた事があったが、つまるところ、現行人類が永続的に存続する必要など何処にも無い。我々人類は、地球にとっては只の雑菌病原菌の様なものである。そして、その地球を主体として持ってきてものを考えるという事もまた馬鹿げている。別に我々が呼称するところの太陽系第三惑星地球が修復不可能な程に(特には我々現行人類に拠って)破壊されようとも、特に大した事ではない。特に数千年前の太古の昔までその例を求めて遡るべくの旧態依然とした大文字での野蛮な社会主義が復権するという危惧も一部にて存在するが、雑菌病原菌とそれを養うものに拠って「知財一般」が存続される必要性は皆無なのである。何処に、何らかの不確定要素等に拠って、我々サルの末裔が成し遂げてきた事が、一瞬で崩壊しないものである保証があるのか?また、何処に、何らかの不確定要素等に拠って、我々サルの末裔が成し遂げてきた事が、一瞬で(は)為されないものである保証があるのか?

その、人類の存続という事においては、その「知財一般」が補填の連続に拠って為されていくという事がある。只、それは、その意味での、「人道」上の事である。私は、ここで、現行人類の社会の形成発展の様な事を論じるつもりは無い。私は、イスラエルの人々を見ていて思うのだが、彼らの中には、その、懐柔の態度を示す事に拠って敵に対して自分達は相手方の敵ではないという事を表明しその(一見しての)平和的態度に拠って相手を妥協妥結しその様な「知財構造物」を構築していくというやり方をする人々が居る。中には、その意味で(の)シオニズムの終焉を唱える人も居る。彼らには、「貴方方の敵は貴方方の敵であり、彼らは貴方方をまかり間違っても生かすまいとしているのだ」という事をいくら説明しても理解しようとしない人々の存在もある。それが彼らの敵の最も癇に障る部位なのである(という事を彼らは理解しない)。彼らがその態度を脱ぎ捨てて、一見しては妙な言い方だが、「戦う事を決意すれば」、彼らの敵は「イスラエルに死を!」とは叫ばなくなるだろう。彼らは、彼らの敵にとっては、不確定要素そのものなのである。

現代の社会における「学歴」というのは、the high end of low、つまり庶民の夢である。努力が通じるのは「ハイそこまでよ」という事である。その「学歴」を為すものは、特には日本のマスコミが喧伝する様に「東京大学理科Ⅲ類合格」であったり「京都大学医学部合格」であったり「大学院卒」であったりするかもしれないが、ともかく、それは、奴隷をよく調教して上手く働かせる為の特には高等教育機関における教育やそこでの教育に携わる教員を育成する為のアカデミズムの原理、それらが上手く混ざり合い相織り成って為されている。場合に拠り、そこに、特に日本の場合、芸能人一般や芸能人に扮した芸能学者が出張って来て、「持ち金の量」というものを煽る場合も有るが、ともかく、人は人を簡単に殺して死に至らしめるものであるという事を、奴隷は理解しない。病気(の概念)、殺人その他の事件の類、事故に見せ掛けた汚職の数々、人は人を簡単に殺すのである。ナチスは、それを強制収容所という形で具象化したに過ぎない。


(2024/7/7 0:36)
(2024/7/7 12:17)
(2024/7/7 12:52)
(2024/7/7 16:59)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
Shinpei Sugiura
性別:
男性

カテゴリー

最新記事

(04/13)
(04/10)
(04/08)
(04/03)
(04/02)

P R