「米銀行問題は始まったばかり、利上げ一時停止を-前ダラス連銀総裁」というニュース報道に際して(西暦2023年5月4日記載)
極論するならば、アメリカを社会主義国家化するわけにはいかない。もちろん、「利上げはしないが、引き締めスタンスにいる」というのも、「経済というものが破壊されるよりは……」という点では同じだろう。アプローチの違いが、銀行に負担を掛けるというのならば、
例えば、
加害者が特定の事柄Aを行うにおいて、仮に加害者がそれを悪事であると認識して行っていなくとも、加害者はそれが被害者の是認を求める行為となっていることは理解できるものであるということである。
つまり、米FRBのパウエル議長は、以前からその場その場での対策として素行的措置を取るとおっしゃっている、が、一般的に言われる「データドリヴン」とは違うということだろう。それは、どのような指標であっても、悪化のバイアスが掛かっている限りにおいて、(それを)最大限除去するという、パウエル氏の努力の表明ではないだろうか。
蛇足だが、信用状況が「通常はより深刻になる」局面はまだこれからだというのも納得である。
「「そもそも私はダサい」と開き直ったら「スタイルのある人」になってしまった」というニュース報道に際して(西暦2023年6月12日記載)
私は「スタイルのある人」と自身を呼べるほど恰好良い人ではないですが、男性は30歳も過ぎて中年のオッサンになると、色々と自分にこびりついたヨゴレモノが剥がれ落ちてゆくということがあります。「そもそも私はダサい」というか、「(もはや)自分はダサい」「(少なくとも)現時点で自分はダサい」と考えることで、「無想転生」じゃないですけど、自然と自分に合わさったカッコウが出来る(出来上がる)様になるのではないでしょうか。
「事実」の解釈にも因りますが、ところで、「事実に基づいていないものは却下する」というものがあります。これに依存する人間達は、おそらく物事の道理や何がどうなっているかということが分からないわけではないです。そのような(に)マンガ的キャラクターによって自らの社会的立ち位置を社会に求めているのです。これは日本人の若い女性において欧米人のファッションモデルの様な高身長でスタイルのいい女性が「コンサバ系」などと呼ばれてconservativeを自称しているのと似ています。確かにconservativeな美というものは存在するでしょうがそれが彼女らであるとは誰も認め断定することはできないでしょう、だからこそ「コンサバ」なファッションスタイルが彼女らのものであるということであろうし。
そして、彼らは、「マスクを着用することはCOVID-19への自己感染を含めたその社会的蔓延への対抗策となるということは事実に基づいておらず根拠が無い」と主張するような連中だということもあり敬遠されてしまう。挙句の果てに彼らは「データドリヴン」とか言い出す。そんなものは当たり前です。そのようなものが彼らの当該だの理想だの殉教だのというよりは、そこにあるのは快楽のための快楽・暴力のための暴力・秩序のための秩序・統率のための統率・管理のための管理等であるということです。