「学校でも職場でも気づけば「ぼっち」、集団の中で孤立しがちな人の傾向とは」というニュース報道に際して(西暦2023年4月23日記載)
これは、雑誌の記事だから、それこそ「学校でも職場でも孤立した経験」を、こういう「ぼっちは悪」というスタンスで積ませて、一つ一つ印象付けていくという日本のマスメディアの卑猥なやり口の一つだというわけです。
孤立という概念がそもそもどういった場合に個人にあてはまるのかという問題があります。職場で(まともにもしくはまともな)仕事をもらえずに窮するというのは問題かもしれませんが、そうではないお遊び関係に事欠いているというのは、本人にその気が無ければ、さして問題にはならないかと考えられます。
しかし、残念ながら、古典的な日本の社会では、そのお遊び関係が職場における人間関係に跡を引く場合が多々あります。もちろん、これは、日本における義務教育の現場に端を発してます。誰しも付き合いたくない人間なんかと付き合いたくないですよね。にもかかわらず、同調圧力を捏造して、「迷惑です」と断りにくい何某を日本人は必死に作ります。日本のマスメディアはこれを利用して金儲けに勤しみます、人を食い物にするんです。これは(が)弱者の生きる術なわけです。私は、「日本人の抵抗の仕方は(基本的に)人民総奴隷化である」と言ってますが、まさに幕末の「ええじゃないか運動」です。ウザいですよね。こういうものを無くそうと、現代では、特に若い人たちを中心に、皆さんが努力をしておられるのかと思われます。