早期の死を希求する高齢の方々も居らっしゃる様ですが、私が云う様に安楽死執行施設の設置に答えを求めるのもまた間違っている様。老活なんて事も云われている様ですが、健康寿命を延ばしたり老い方の属性を変えるという事でそれらを推す財やサービスが新興市場としてマーケットを形成している様です。
その内「死も金で買う時代」とか云われる様になったりして。「生」は異性に対する必要概を前提としておりまた育児費用等も掛かる事からとっくに「金」が絡むものと考えられますが、「空気」なんかもエアコン無しの環境は考えられない以上今後さらに何らかの形でビジネスとして発展するかもしれません。
生まれさせられて労働を売らなければ死ぬ事も出来ないなんて嫌ですけどね。しかしこの考え方はテキストであり、然らずんばそれは既に為されている。特に日本人の場合教育の現場で死に対する恐怖を煽り合って「忌死観」をそれこそ必死に養ってるでしょ?男女交際なんてものもそれの一環かもしれません。
其処から「性は買え」ではなく「性は売れ」という考え方が出て来る。只少なくともおそらく女性視点からして人の営みとして本来的に正しいのは前者。後者に携わる者はセクシストと見做される。其処には絶対的な問題としての性差が存するからです。只生物としての本能に従うならそれも肯定されてしまう。
だから、「セックス」にまつわるのはエロスではなくタナトス。エロスは行為としてのセックスの具体的児戯にまつわる何某。フェティシズムの類は全てエロスに基づく。それは人と人との関係という事においては邪魔だから、人はタナトスの概念を生み出し、死という事について考え行為に活かす様に為った。
其処がヒトとヒト以外の動物を分けるものなのだろうが、それもまた自体的に人にとっては邪魔である。(しかし)どちらにしろ人から主体性を拭う事は出来ない。だから先の唯名としての「セックス」と行為としてのセックスを分けて考えるという事も可能なのである。私は人の理性というものを否定しない。
つまり人の理性が否定されない限りにおいて「理性的な死」とその探求という事も其処で考えられる様に為る。それは自殺とは異なる。それの答えの一つとして「死を金で買う」もしくは安楽死という事も云える様に為るが購入するのは死そのものではなく死の手段である。どうしてもそれは自殺とは異なるが。
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そういう、「金払って死ね」という所のデスビジネスみたいなものが資本主義社会下全般において希求される様な事に為るかというと、そうではない。其処の所は日本のお家芸的。私は日本の警察も日本人の医師らも殆ど信用していない、が、そういう威信業に携わると日本人は一気にその「頭角」を現し出す。
日本人の場合文化人類学的な観点からして事は容易に暴力集団化し出す。要は例えば警察なら警察で自分以外の人間がどう警察業務に携わっているかという事でしか無い。日本の場合、具体的な(に)警察機構はいとも容易く実社会から捨象されてしまう。警官、市民団体、暴力団…誰が「携わって」いるのか?
警察なら警察で、具体的な警察機構と警察官集団とのズレが、其処で警察官における不祥事という形での非行を生み出す。デスビジネスならそれで、云わゆる借金取りとは逆パターンだが、彼らそれに携わる者らも場合に拠り暴徒と化しかねないという条件も日本文化においては取り揃えられている。逆も然り。
つまりそういう文化的風土が在るから先述のデスビジネスが(それこそそれ当該的に)起こり得る。「金を払ったら楽に逝かせてやる」なのか「殺して金を奪う」なのかこれに関してははっきりしない。其処にデスビジネス(の非行性の胎動)が存する。「それがデスビジネスですよ。ヤってます。」という訳。
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