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ところで私がupしているのではない私が書いた「die Zelle」というタイトルのブログ、あれはどうやらネット上から消去されない様なのでここやここにリンクを貼ってあるブログの方も書き続けることになりそうです。あの「die Zelle」は私杉浦真平が約15年程前に書いたものです。ご迷惑をお掛けしました。

「日記」というタイトルのブログ本サイトの方も含めた過去の記事が載せられたブログは、私が当時どれだけ薬物に拠って異常な頭であったかという事を示し記しておく為に、故意に消さないで置いてあります。関係した皆様におかれましては大変ご迷惑をお掛けしました。この場を借りてお詫び申し上げます。


(14:17 2025/01/15)
(14:21 2025/01/15)




WSJがマコーネル米上院議員の「日本製鉄敵にあらず」という談話を載せている。ではトランプ氏がOKサインを出すのを仰げば良い。これが米共和党と米民主党の政争に利用され(てい)るのは確定事項です。という事は次期大統領が政敵に対する攻撃上の事として判断を下すのを待てば良いという事でしょう。


(14:51 2025/01/15)




相次ぐ財務省批判について加藤勝信財務相が「努力してもどうにもならない思い」と仰ってます。例えば例の「財源を示せ」だとか、財務官僚の人達が「そういう考え」を持っている事自体は突っ込まれるべきところではない。只、具体的問題当該で(リスクを踏まえて)考えるべき所は考えなければいけない。


(8:55 2025/01/16)




ところで、ガザの停戦の協議が成立した模様です。人質の人達も返って来るそうです。良かったですね。一部イスラエル国民の間にはこのディールに反対している人々も居る様ですが、安易な楽観論に浸るべきではないとかどうとか。只、ともかくも今は喜ぶべきでしょう。争い合いが無いのが一番良いのでね。

イスラエルに対するプロテクションとガザに対する人道援助、これがまず必須な様です。UNのグテレス事務総長は「パレスチナのテリトリーの検疫」を謳っておられますが、それよりもまずイスラエルの人質の人達やガザの人々の人命を確保し、その上で、人道援助が為される事が最優先でしょう。悪しからず。


(9:05 2025/01/16)上段
(9:19 2025/01/16)下段




日本人「何時災害が来ても動ける様に心の準備を」、対して、アメリカ人「希望は戦略ではない」。差は歴然。前者は余りにも具体性を欠いている。外面だけ「ヴィジュアル」的に取り繕っても、中身灼熱ドロドロの気持ちの悪い人間ってよく居るよね。ストレス溜め込んでも良い事無いのにね。「内分泌系」?

ソクラテスの名言「今あるものに満たされない者は…」、とか。例えば、アフリカで泥水を啜りながら生きて寿命として30年もライフスパンが持たないヒトに対して、アンタ偉そうに同じ事言えるの?と私は問いたい。ソクラテスに対してではなく、コレをニュースとして持ってきてる馬鹿な人間に対して、ね。

ハイエクとケインズが犬猿の仲だったのは(歴史上の)一事象に過ぎない。ところで、人類の歴史は経済発展の歴史の十分条件であり、前者は後者の必要十分条件ではない。つまり、二元論自体は否定されるべくもなく、ハイエクとケインズを対置のものとして持ってきて差支え様とする事自体が間違っている。


(11:05 2025/01/16)上段
(11:21 2025/01/16)中段
(11:41 2025/01/16)下段




"law enforcement"を「順法意識」と訳出するか否かに、我々非印欧語圏の人間の弱点を克服出来るか出来ないかという問題が提起されてはいるだろう。これは勿論文法義の問題ですが、彼らと我々では感覚というよりは物事の見方、ひいては全て、が、違う。"Law is the law."とか云われたらミもフタも無い。


(13:09 2025/01/16)




"law enforcement"を「順法意識」と訳出するか否かに、我々非印欧語圏の人間の弱点を克服出来るか出来ないかという問題が提起されてはいるだろう。これは勿論文法義の問題ですが、彼らと我々では感覚というよりは物事の見方、ひいては全て、が、違う。"Law is the law."とか云われたらミもフタも無い。

刀剣という事について、西洋の剣は斧を亜種に持ちあくまで押し切るものである。フルーレやエストックやエペ、レイピアの類についても同じであり、あくまで押し突くものである。概して日本の刀は包丁の使い方の場合と同じく引き切るものである。槍の場合でも、「足軽」という兵種の名称で鑑みられる様に、引く体勢で前後させるものであると考えられる。大陸には、青龍刀や、ハンマーやモーニングスター等の武器も存在するが、概して「押す」体の使い方に拠って武勲が為されるものであると考えられる。また、洋弓と和弓についても、同じ事が云えるだろう。

日本人において、「攻撃」というとまず「やる」ではなく「やられる」が念頭に置かれる様である。其処にはやはり被害者意識の不具合な所が浮き出しており、「背中合わせ」などと云えば聞こえは良いが、「共感」や「共苦」といった点に(で)繋がってくるだろう。

社会的キャラクター単位で鑑みるなというのは、そういった日本人が紡ぎ出した教訓だろう。例えば、料理という場合、日本人においてはどうしてもその行動原理構成原理や調理方法云々より「おいしい」が先に来る。快楽を先取りするという事は、場合に拠り美徳に反する。つまり、この場合だと、「快楽か」「快楽でないか」、「美徳か」「美徳でないか」、という並列ならぬ直列思考に日本人は目を奪われてしまうのである。

特定の対象である何らかの客体を対象として置くのではなく、日本人の場合、対象概として何らかの客体が対象として置かれている。"What is...?"から始まる構文でも、日本人とそれ以外の人々では、あまりに違いがあり過ぎる。


(13:09 2025/01/16)第一段
(13:45 2025/01/16)第二~五段




慶應義塾の先生が韓国の分断を理解するにあたって「朝鮮ナショナリズム」というものを持ち出して説明していますが、だから「全部」(そう)だよ、って事じゃないの…?大学ではそういう(局所的な)教え方をするから、どうしてもイデオローグ(的)に為る。特に日本の大学の文系学部の場合そうだよね。

歴史を学ぶ意義というのは、過去の事実(について)は断定出来ない、という所にこそ在るでしょう。事実か事実でないかというのは法廷内において裁判官が下す判決に際して存すべきものであって、つまり、特には歴史上の出来事というのは、それが事実であったかそうでないかは大して(は)問題ではない。


(16:50 2025/01/16)上段
(16:55 2025/01/16)下段




大統領がバイデン氏からトランプ氏へと代替わりするアメリカにおいて、政治が勿論良い意味で役者政治化している様に見受けられる。(誰も彼もが)歴史の大舞台に立っているというか、政治自体が歴史化している。故意に罪を犯す事を代償として、架空のアルカトラズ島の中に人を閉じ込めるのならば、それは(それが)再生の途上にある人類であると云う事も出来るだろう。アドルフ・ヒトラーという人は、その酷い(むごい)(社会的)役割を一手に引き受けて死んでいった人である。その点、デカルトは全てを記していたが、苦悩せずに一瞬で受け入れられる死を選ぶのは安楽である。死後の世界?「人は考える葦である」と云ったのはパスカルだが、(人において)他者に為りたがる欲求において意味は無い。ヒトラーは演技性人格障害であったと言った精神科医を私は個人的に知っているが、everythingがposeであるとはよく云ったものである。では、ヒトラーの死とは一体何だったのか?それは、生物学的な自己同一性の死である。


(18:39 2025/01/16)
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